研究テーマ

糖鎖について
 糖鎖は,単糖(マンノース,ガラクトース,グルコース,N-アセチルグルコサミン,シアル酸など)が共有結合した鎖状の物質である.その多くは細胞外および細胞表面のタンパク質や脂質に結合して存在し,細胞外分子の認識や細胞間のコミュニケーションなどに関わっている.糖鎖の形が変われば分子認識も変わるため,多数の細胞が互いに影響しあって成立している多細胞生物においては,糖鎖の構造変化は病気と密接に関連している.
 タンパク質を修飾する糖鎖は,N-結合型とO-結合型に大別される.N-結合糖鎖はタンパク質中のアスパラギン残基側鎖に含まれる窒素原子(N)に共有結合した糖鎖で,O-結合糖鎖はタンパク質中のセリン残基やスレオニン残基の側鎖に含まれる水酸基の酸素原子(O)に共有結合した糖鎖である.N-結合糖鎖は,小胞体でのタンパク質品質管理機構(正常な立体構造のタンパク質を選別する機構)における認識タグとしての役割を持つが,品質管理を通過した後の利用のされ方は生物種によって異なる.


単細胞真核生物での糖鎖の役割
 単細胞真核生物では,N-結合糖鎖はどのような役割を持っているのだろう.代表的な単細胞真核生物である酵母を見てみると,マンノース多糖(マンナン)を主成分とするN-結合糖鎖で修飾されたマンナンタンパク質が細胞壁の主成分のひとつとなっており,細胞に物理的強度を与えている.原虫(*1)では,マラリア原虫のようにN-結合糖鎖を持たないものから,T. bruceiのように多細胞生物と同様の糖鎖を作るものまでさまざまである.T. bruceiは,品質管理機構を通過した後の糖鎖にトリミングと伸長反応を施し,複雑な糖鎖を作り上げているが,その役割はほとんど分かっていない.T. bruceiは他の原虫と異なり,宿主の細胞内ではなく血流中を増殖の場としているために,例えば宿主の免疫機構から自身を守る手段として,複雑な糖鎖を作るのだろうか.


T. bruceiの糖鎖
 T. bruceiが作る糖鎖にはN-結合型糖鎖とグリコシルホスファチジルイノシトール(GPI)アンカーを修飾する糖鎖が知られており,N-結合糖鎖としてはパウシマンノース型(*2),ハイマンノース型,コンプレックス型,ハイブリッド型が検出される(Izquierdo, L. et al. (2009) Mol. Microbiol. 71, 478).これらの糖鎖はT. bruceiでどのような役割を持っていて,生存・増殖にどの程度のインパクトを持っているのだろうか.我々のグループでは,これらについて解明を進めている.

 この疑問に答える一つの方法は,糖鎖の合成に関わる遺伝子(例えば糖転移酵素をコードする遺伝子)をノックアウトした原虫を作出し,その性状(表現型)を調べることである.ノックアウト原虫に何らかの変化が見つかれば,ノックアウトした遺伝子がコードするタンパク質の機能およびそのタンパク質によって合成される糖鎖の機能が推測できる.ただ,ノックアウトの影響が間接的である可能性には注意が必要である.そのようなやり方でTbGT8,TbGT3,TbGT11,TbGT15の機能が報告されている(Izquierdo, L. et al. (2009) Mol. Microbiol. 71, 478; Nakanishi, M. et al. (2014) Parasitol. Intl. 63, 513; Izquierdo, L. et al. (2015) Glycobiology 25, 438; Damerow, M. et al. (2014) J. Biol. Chem. 289, 9328; Damerow, M. et al. (2016) J. Biol. Chem. 291, 13834).TbGT8はGPIアンカー修飾糖鎖とN-結合型複合糖鎖両方の合成に,TbGT3はGPIアンカー修飾糖鎖の合成に関わる.また,TbGT11は複合型糖鎖合成の初発反応(Man3GlcNAc2にGlcNAcを転移する反応)に関与し,TbGT15はその次の反応(GlcNAcMan3GlcNAc2にGlcNAcを転移する反応)に関わる(*3).TbGT11と15の機能は多細胞生物のGnT-IおよびIIの機能にそれぞれ対応するが,驚くべきことにそれらのアミノ酸配列間には相同性が見出されない.また,上記いずれの糖転移酵素遺伝子のノックアウトもT. bruceiの増殖には全く影響しない.これらのことは,コンプレックス型糖鎖やGPIアンカー修飾糖鎖はT. bruceiの生存・増殖へのインパクトが弱いことを示唆しているが,さらに詳細な解析が必要である.

注釈

*1 「原虫」は,病原・寄生性と運動性を有する単細胞真核生物を指す単語として慣用的に使われている.例えば,トリパノソーマ原虫,リーシュマニア原虫,マラリア原虫,トキソプラズマ原虫のように使われる.

*2 パウシマンノース型はマンノースが3つ以下のN結合糖鎖(Man3GlcNAc2-)を指す.それよりもマンノースが多いものをハイマンノース型と呼び,パウシマンノース型にガラクトースやN-アセチルグルコサミン,シアル酸その他の糖が結合して伸長したものをコンプレックス型,コンプレックス型とハイマンノース型の両方の特徴を持つものをハイブリッド型と呼ぶ. Nglycan

*3 T. bruceiの小胞体ではMan9GlcNAc2型だけでなくMan5GlcNAc2-の糖鎖(M5*,下図左)もタンパク質に転移する.また,TbGT11(TbGnT-I)はMan5GlcNAc2-の糖鎖(M5,下図右)にGlcNAcを転移できない点で,哺乳動物のGnT-Iと異なる. M5s