ドイツ語リーディング


 以下は愛媛大学の人文科学資料講読・研究(2004年度)の学生が書いたレポートです。
 この半年の授業で映画『グッバイ、レーニン!』を、見ながら・読みながら楽しみました。


"Liebe Mama, ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ dein Sohn"
 僕たちが母さんにつき続けた嘘と母さんが僕たちにつき続けた嘘。母さんがつき続けた嘘の方が大きく、それを背負い続けた母さんは僕たちよりもずっと深い重い苦しみを抱えて生きてきたんだね。別荘での母さんの話。母さんが誰よりも父さんとそして家族みんなでずっと暮らしたかった、そして西ドイツのような暮らしがしたかったんだろう。だから僕は本当にこれで最後の嘘、幸せな嘘の物語を、天国にいるだろう母さんに贈るね。
  「……東ドイツと西ドイツは突然統一されることになった。それはちょうど、クリスティアーネの夫ロベルトが、東ドイツでの苦しい生活に耐えかね自由を求めて西ドイツに行くことを決めた頃であり、クリスティアーネが、二人の子供を連れて危険を犯して夫について行くか、東ドイツに残るか、ひどく悩んでいる頃だった。クリスティアーネはもう悩む必要はなかった。家族みんなで自由な生活ができるようになったのだ。東西ドイツ統一。何を話していても捕まえに来る人はいない、何を着ても何を食べても良い自由な暮らし! 西ドイツの生活はすべてが新鮮で色鮮やか、そして何より家族みんなが一緒に楽しく暮らすことができる。クリスティアーネはとても幸せだった。
 さらに、クリスティアーネ達、旧東ドイツの人々はまた、市場経済のなかでの労働においても豊かさを獲得することができた。社会主義体制のなかで協調や一致に価値をおくことを身につけてきた旧東ドイツの人々の「控えめさ」「思いやりの深さ」は、市場経済のなかでもうまく表れた。仲間とうまくやっていける、意見を自己中心的ではなく他人のことも考えながら主張することができるなどの面で高く評価され、また、旧東ドイツは、犯罪からの保護、女性の同権、社会保障という面でも優れていたため、旧東ドイツの人々は様々な場で必要な人材とされた。その上、彼らは尊敬されてたかぶることもなく、逆に旧西ドイツの人々を尊敬していたので、旧東西ドイツの人々はどちらかが優越感、劣等感を持つこともなく、尊重し合い、同一の「ドイツ人」として幸せに暮らすことができた。ロベルトも職を得て、職場でもとても尊敬される存在となり、休日にはクリスティアーネと子供達と一緒に過ごした。東ドイツでの生活も思い出の一つとして大切にし、一家は楽しく、ときには悩みを乗り越えながら心豊かで幸せな生活を送り続けた。」

 実はね、東西ドイツが統一された今、この理想的な嘘とは正反対の状態なんだ。統一後、実際には自由への欲求も豊かさへの欲求も理想的には実現されず、東と西がどれほど異なっているかが明らかになっただけだった。ベルリンの壁は崩壊しても人々の心の壁は崩壊しなかった。東の人は西に対して劣等感を持ち、西の人は東に対して優越感を持つ社会。また、自由な社会であるため責任がすべて自己にふりかかってくるという社会。競争社会であるため職業を得られる保障がない社会。東ばかりが転換を迫られるのに西は生活も変わらず、東のことを理解しようともしない、東側ばかりが変わらなければならない社会。
 これから、僕たちがこの社会を変えていかなければならない。母さんに贈った、この嘘の物語のような幸せな豊かな暮らしができるように、僕は旧東ドイツにもあった良いところを旧西ドイツの人に理解してもらうように頑張るからね。そして人々の心の壁が崩壊していくのを、母さんも天国から見守っていてね。(奥田朋子)


"Ich bin …… "
 トルコ人の女は俺を小さなプラスチックケースに入れて、売った。人は何を思って俺達を買ったんだろうね。俺を買ったこの兄ちゃんはおそらくヴェッシーだな。Coca Colaの飲み方が慣れた感じだもんな。プリンツェン通りの検問所でCoca-Colaが無料ドリンクを配ってたが、オッシーの群がりようはすごかったぜ。その分厚い本は、もしや噂の辞典かい? 『東独語辞典 第三巻』……。なぜ東語を知ろうとする? オッシーの友達でもできたのかい? それとも、単なる好奇心ってやつ?
 君もやっぱり、その、なんというか、東はお荷物だって感覚はあるのかい?西が抱く優越感と東への侮辱感。28年間もさ、ずーっと立って色んなもんを見てきたんだ。人間ってものが少しは分かる、気がするのさ。
 1945年8月2日ポツダム会議。初めはドイツを統一的に再建しようってことだったのに、だんだん、みんな=米英仏ソが、自分が欲しいものは何かってことを考え始めた。何か見えないか、ここに。Alliierte Armeen ist auch nur ein Menschなのかってこと。
 この4日後Japan のHiroshimaってとこに原爆が落とされたらしい。全く、始めたいのか、終わらせたいのか。多くの人が熱さで苦しんだ。死んだ。死んだ人間は殺したやつの顔なんて知らない。殺したやつは死んだ人間の何を知っている? 何だ、結局、世界のどこかで誰かが苦しんでるってことなのか。
 1961年8月13日日曜日の真夜中の二時。東の警察と人民軍隊が西ベルリン地区への道路を遮断した。2日後、俺が生まれた。高さ4M。ベルリン市内に43,1km。想像できるかい? 俺をはさんで、イデオロギーが正反対の政治モデルが存在した。サンドイッチを召し上がれ。きっと具は戸惑いの味だね。生活が違う、全く違う。ほんと信じられないよ。俺は両方を見てたから。西の経済は向上の一途をたどったんだ。自由と仕事求めて東から西へ人は流れて行った。その流れを食い止めるのが俺の仕事。でもそれ以上の意味を俺が持つようになるのに時間はかからなかったよ。
 東と西、みんなそこで生きていた。通過協定なるものも出されたよ。親戚に会うために東を訪れる人々。Weihnachtsmarkt。東にはいつもの街灯と一本だけライトアップされた木が見える。テントが並んでる。西はまさにWeihnachtsstimmumg。光のオブジェが街を飾り、高層ビルのうえにはベンツの、ベンツの看板が光ってる。その光は向こうに届くはずなのに、ごめんよ俺が遮ってる。
 そんな時でもお互いの火器の標準はぴったり定まっていたよ。常に相手にね。俺を無理に越えようとして78人が射殺された。俺の目の前で。俺は見ることしかできなくて。Der Betonの冷たいままでいるしかなかった。俺に染み込んだ血は、誰のもの?どこから来たの?…… おまえさん、見分けがつくかい? 100人以上が重傷を負った。3000人以上が脱出に失敗して連行された。
 1989年11月9日俺は壊された。現実? 人々は最初信じられないようだったが、やがては現実を認めざるを得なかった。ビザも身分証明書もスタンプも何の必要もなく人は東へ西へ。俺は初めて熱さを感じた。笑い声と喜びと感激。
 あったら厄介でなかったら喜ばれるものなーんだ。なぞなぞにしておくれ。
 俺は今、一つの歴史のかけらとして、この若い兄ちゃんの部屋に飾られている。飾りになりたくはないが、これも運命なのか。ある本にはこう書いてある。「壁の跡は地表からも人々の記憶からもゆっくりと時間をかけて消えてゆくこととなるだろう。長く口のあいていた傷がゆっくりと癒えてゆくように」と。でも俺は思う。Ein Spannungsfeld mit extermen Polen. Ost und West in Kultur pur.Auf deutsch.Geistige Brfruchtung, die Tradition hat. Im neuen Deutschland.この街ではまだzwei Herzen pulsiert.
 俺はもういないけど、単に「通り抜けて」ほしくない、みんな俺を「登って」くれ。
ではTschuess! さようなら!(久保友美恵)
参考文献
@マリオ・アンブロスィウス『ベルリン・壁のあとで』1991.11.1 リブロポート
Aパウル・グラーザーなど『ベルリンの壁崩壊 フォトドキュメント1989.11.9』三修社
Bフランス ミシュランタイヤ社『ドイツ ミシュラン・グリーンガイド』1998.5.10 実業之日本社
C早川東三・工藤幹巳『ドイツを知るための60章』2001.8.20 明石書店より6章と5章
D谷克一・鷹野晃など『図説 ベルリン』2000.10.25 河出書房新社よりP.16,17,80-83


映画『グッバイ、レーニン!』がこんな展開だったら……と考えてみた。
 ついにベルリンの壁が崩壊した。
 それを聞くや否や、東ドイツ国民はみんな一目散にそこへ向かって走りだしていた。
 ただひたすらに。理由なんてわからない。この際理由なんて必要ないのだ。
 けれど、あのカベを、もともと1つだった国を引き裂いたモノの終わりを、見ないわけにはいかない。わたしたちが、政治の道具に利用された現実はそこにあったのだから。
 人々はみな、ベルリンの壁の崩壊の事実をテレビまたはラジオを通じて知っていた。
 こう述べるものもいる。「西にはいろんな自由があるんだ。いろんな服装、いろんな建物、いろんなテレビ番組、いろんなお店。ようやく俺たちもそれを共有することができる!
 もうこんな制限された生活とはお別れだ!!」
 アレックスも彼ら同様に期待に胸を弾ませ、ベルリンの壁に到着した。
 そして彼の目に飛び込んできたものは、今まで行く手を阻んでいたそれではなかった。
 「あのカベもこんな姿になってしまうんだな……」という声が聞こえてくる。
 口には出していなかったが、同じ思いをアレックスも抱いていた。
 母が社会主義の指導者になった原因を作り出し、
 そして母を寝たきりにさせる原因をも生んだ、カベ。
 父が母を置いて西に亡命していったのも、この壁があったからではないかと、つい考えてしまう。この壁さえなければ、家族一緒に幸せに暮らしていたのかもしれないのに……。
 それは小さな幸せであるかもしれないが、今はなによりもその幸せがほしい……、と、考えれば考えるほど怒りがこみ上げてくる自分がいる。どうして僕らが!
 けれどアレックスは思い直した。過去を振り返り続けても仕方がない。
 現実に、カベは、崩壊したのだから。そう、今を生きないと!
 そして彼は西に向かって歩き出した。
 東に向かってすごいスピードで走ってくる人々がなぜかたくさんいた。周りの空気がどこかおかしい気もした。だけど、今の彼には関係なかった。遮るものなんて、もう何もない。
 西に一歩を踏み入れ、思い切って遠くまで走った。喜びを何かの形にしたかった。
 これが西なんだなあ……という感慨にアレックスは浸ろうとした。
 が、そんなことを考える間も与えられず、アレックスは東に向かって、東ドイツに向かって猛ダッシュをしていた。そうせざるを得なかった。さっき走っていた人たちのように。
 そうか、だから気になっていたんだ!
 僕の頭をふとよぎったことは、間違いじゃなかったんだ!!
 【西が有り得なく寒い国で、対照的に東が暑い国だったら……】(坂田駿)


壁の向こう側
 ベルリンの壁ができてから100年がたった。壁はどんどん高くなり、今では空を覆っている。わかりやすくいえば、私たちはドームの中に暮らしているのだ。今では外の世界を見たことがある者はほとんどいない。かく言う私もその一人だ。
 失業が無い。ゆりかごから墓場まで、国が面倒を見てくれる。競争も無く、自分がいつ追い落とされるか心配しなくていい。分をわきまえ、国に従っていれば、大過なく一生を送れる。それが東ドイツ。
 進歩が無い。面白みが無い。自由が無い(子供を作る自由さえも)。それが東ドイツ。
 私は外へ出ようと思った。
 綿密な計画を立て、それを実行した。計画は成功し、私はついに外に出ることができた。
 地平線から朝日が昇ってくる。天井に映る偽物ではなく、本物の太陽が昇ってくる。
 本物の太陽が、壁の向こう側の世界を照らし出した。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 真っ平らで、見渡す限り何も無い、雑草さえも生えていない、無人の荒野を照らし出した。
 100年の間に何があったのだろう。そこには人も、町も、山も、動物も、植物も、虫も、何も無かった。
 私は帰ろうと思った。
 しかし、すぐにいろんな考えが頭を回りだす。
 『この現実を知って、壁の中で今までどおり安穏と暮らすことができるだろうか。壁の中のお偉方は、何か知っているのではないだろうか。どこかに他の人間がいるのではないか。』
 そして最後に考える。
 『壁の中の、未来がわかりきっている一生を過ごして、それで自分はいいのか。』
 そして私は……(三宅晃)


グッバイ・レーニン! 「例えば」の物語
 以前とは変わってしまった窓からの風景を、クリスティアーネは穏やかな気持ちで眺めていた。今、家に居るのは彼女ひとり。アレックスはララと2人でデート。アリアーネは可愛い孫を連れて買い物に行っている。クリスティアーネの体力は少しずつ回復してきて、もうベッドから起きて動き回っていても平気だ。しかし、今アレックスが戻って来たら、「お母さん、まだ寝ていなくちゃ」と怒られてしまうだろうか。その場面を思い浮かべて、クリスティアーネは心の中で笑った。
 どこからか、子供たちが楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。あの頃のように、また、少年団の子供たちと一緒に歌を歌いたい。クリスティアーネは目を閉じた。誕生日に皆が歌ってくれたあの歌が、彼女の中で甦る。あの時は、本当に嬉しくて、幸せな気分だった。アレックスとアリアーネはもちろん、自分のために集まってくれた心温まる人たちに、心から感謝した瞬間だった。素敵な思い出をありがとう。そしてまた、皆で歌えたら、とクリスティアーネは思う。
 気持ちよく深呼吸をして、再び目を開ける。クリスティアーネは、しばらく遠くを見つめながら考えた。
 統一後、西側から入ってくるものは、どれも新鮮で刺激的だ。今やスーパーには、たくさんの食品が並んでいるらしい。早く自分も外へ出掛けて行きたい。アレックスたちがよく飲んでいるコカ・コーラも、そのうちのひとつだ。あんなものが東側にいて手に入るようになるなんて、少し前までは夢にも思っていなかった。しかし、あの飲み物は美味しいのだろうか? 今度、自分も飲んでみようか……。
 いきなり多くのものが入ってきて、それに戸惑ってしまうこともあるけど、同時に少しの興奮も感じる。自分たちにはこれから、新しい世界が待っているのだと。今までずっと社会主義のもとで暮らしてきて、未練がないわけではない。でも今は、家族が幸せに笑って暮らしていけることがいちばんだ。アレックスとアリアーネには、父親のことで辛い思いをさせてしまったから。2人には、これから伸び伸びと生きていってほしい。そして、自分も……。
 クリスティアーネは、窓の外、遠くの青い空を見つめ、気持ちを新たにした。(竹原洋子)


映画『グッバイ、レーニン!』−−笑えない滑稽さ
 映画『グッバイ、レーニン!』は、東西ドイツの問題がベースになっているが、ここで私はなによりも、ドイツが東西に 分 か れ て い た、ということに注目したい。このストーリーを複雑さも、現実においての問題の複雑さも、この分けるという人間の性質から生み出されていると思うからだ。
 私たちはそれとそれでないものを分けることで何かを規定する。それとは言葉である。一つの言葉で表されることは、そのことに含まれるある点に注目することでさらに様々な要素の集まりであることが明らかにされる。また、どの点に注目するかによって分けられ方が異なるから、別の基準で注目された点と含む要素が重なることもある。アレックスはOssyかWessyかと言われたらOssyだけれども、男か女かと言われたら男である。Wessyにも男はいるし、男の中にもWessyがいる。
 OssyとWessyの区別に焦点を合わせているときは、互いにドイツ人であることや、互いに人間であってピクルスではないことなどは忘れられてしまう。そしてその人が、Ossyである前にその人であることも、もしかしたら一番好きな曲が同じかもしれないことも、気づかれることがないのである。
 全ての概念には名前がある。そして概念に範囲を与えたのは私たちだ。そうしなければ全ては一つで一つは全ての混沌である。だから、名前=それ自体ではない。OssyはOssyでなければOssyではなかった。Ossyであれと言われてはじめてOssyになったのだ。特にその名前である必要はないのだが、とにかくそう呼ばれることによってそうでないものと(特にWessyと対立するものとして)分けられたのである。争いについても同じことがいえる。言葉がなければ対立するものは生まれないから、争いは起こらない。現に今までの歴史の中で、大小様々な争いが起こってきて、またこれからもなくなることはないだろうけれど、それは言葉があり続け、対立するものがなくならないからだ。
 私は、単に差別や区別が良くないということが言いたいのではない。ただ、私たちがあまりにも偶然に対して従順であることに改めて気づき、奇妙でならないのだ。私たちは全くの偶然によって与えられた立場を、自分の基礎的な要素として受け入れ、頑なに守り続けることに、注意してみなければ、何の違和感をも感じない。そういうふうにできているのだ。だからこそクリスティアーネは資本主義と戦い、アレックスの奇行に卒倒する事ができたのである。
 私たちはこの分かることしか分からない世界で、分かることだけを現実として信じ、生活を営んでいる。そしてこの中で、何かと対峙しながら何かの一部としてあることで自分をつくる。自分はそのようにあると信じることによっていわゆる普通の生活は支えられているのである。これはさながら、命がけのロールプレイングゲームなのである。(山本亜衣)


アレックスの計画を失敗させよう!
 映画の中では、アレックスの母親騙し作戦は成功に終わった。だけど人生そんなに甘くない。僕は今回、母親への嘘のバレ方のパターンをいくつか考えてみた。
その@、《その時代に携帯電話が普及している。》
⇒完全なる個人使用目的情報ツールの携帯電話。さすがにその中の情報まではアレックスも管理できずにバレる……。
そのA、《紙ひこうき。》
⇒母親が寝ている部屋に近所の子供が飛ばした紙ひこうきが飛び込んでくる。その紙がベルリンの壁崩壊翌日の新聞だったためバレる……。
そのB、《その時代にポケベルが普及している。》
⇒『1012・1012(ドイツ・統一)』というメッセージが母のポケベルに入ったためバレる……。
そのヨン様、《アレックスの昔の彼女登場!》
⇒臨月であり、おなかの子供を認知してくれとアレックスに言い寄る。しかし今のアレックスには愛すべき恋人LARAがいるため認知せず。怒りのままに女性はアレックスの家に放火。逃げ出す家族。消火活動にはげむ消防隊員の「統一後放火が増えたな〜」という言葉からバレる……。
そのD、《姉の子供。》
⇒もうすぐ1歳になろうかという姉の子供が初めて話した言葉が「ベルリンの壁崩壊しちゃったバブ〜」だったためバレる……。
そのE、《オーナー会議。》
⇒吸収合併されようとする東ドイツの買収にライブドアの社長が名乗りを挙げるも、1リーグ制を推し進めるナベツネの陰謀の前に願いは叶わず、結局ドイツ統一。ファンの涙が母親の頬に一筋のエルベ川として現れたためバレる……。
 このような様々なネタバレの危機を乗り越え、嘘をつき続けたアレックス。
 あんたは偉い!!!!!!(矢部貴弘)


ドイツ統一と子どもたち
 映画「グッバイ・レーニン」では、東ドイツと西ドイツが統一されたあと、東ドイツに住む人々の生活が大きく変わった事が描写されていた。それは東ドイツで今まで使っていたお金が使えなくなったり(金銭価値がなくなった)、商店では西ドイツの商品が並んでいたり、さまざまであった。当時東ドイツに住む人たちにとって本当にあらゆることが変化したのだろう。人々は統一を待ち望んでいた。「外国」である西ドイツに憧れていた。がしかし実際統一ベルリンの壁が崩壊されてからどんどん高まる失業率、経済の面での東西の格差などに悩まされることになる。自分たちが引き起こしたのにもかかわらず、急速に変化する世の中に大人たちでも困惑していたはずなのに、子どもたちはそれをどう受け止めていたのか。子どもたちは本当の理由を聞かされることもなく、発言の機会も与えられず、ただその事実の結果生じてくる重荷だけを負わされていたのだろう。そこで、ベルリンの壁が崩壊された当時の子どもたちの思っていること、感じてたことを手紙にして、その手紙が収録されている「ドイツ統一と子どもたち−突然、何もかも変わってしまった」を読んで、子どもたちがどのように感じ、どのように悩んでいたのかを感じ取ってみようと思う。
 東ドイツで生活していた子どもたちが、ドイツ統一後に感じていた、統一後の変化の良かったこととは今まで学校で「外国」と教えられてきた西ドイツの街に行くことができること、西ドイツで売られていたおいしいお菓子やかっこいいおもちゃが売られていること、学校の先生が以前のように厳しく叱らないことなどがあげられている。そして、統一後の変化でよくなかったことは両親の失業、お金がなくて節約生活、父親が出稼ぎに出かけることによって家族がばらばらになってしまったこと、環境汚染などである。一方、西ドイツで生活していた子どもたちは、統一のことにあまり興味がなく、かわりに湾岸戦争のほうが身近な問題と感じていた。
 子どもたちにとって、統一は単純に夢見ていたし、その夢がかなってドイツは統一し、夢のような生活が訪れると思っていた。それが、日がたつにつれてそうではないことに気づいた。なかには政治家はうそをついた!という批判をしている子どももいるのだ。私は東ドイツとは暗く、怖いところであったようなイメージを抱いている。ドイツが統一して、国中が明るくなり、東ドイツの頃よりはよくなったと人々は思っているのだと思っていた。けれど、この本で父親が出稼ぎに出かけて帰らず、母親は職を失い、昔のほうが幸せだったのかもしれない、と語っている子どもがいて、私の考えは必ずしもドイツの当時の状況に当てはまらないものなのだと思った。
 子どもの考えや姿勢には大人の感情や意見がそのまま映し出されていることが多い。当時の大人たちには、相互間の価値観、生活習慣、労働意識の違いから「バカなオッシー」「傲慢なヴェッシー」という相互不信感が生まれており、このことから頭のなかの壁が存在していた。この本のなかでも、東ドイツで生活していた子どもが自分たちのことを「オッシー」と呼ばれることをすごく嫌っていることがうかがえる。しかし彼らが一番不安に思っていることは両親の失業問題である。大人たちが社会的なことで不安に思っている一方、子どもたちはもっと身近な問題である、家族の問題、今後自分の家族がどうなっていくのか、というところに不安を感じているのだ。
 この本に手紙が載せられている少年は「東の人も、西の人も、お互いによそよそしくなってしまった。相手側のことを理解しようという姿勢はほとんど見られない。誰もが統一で得をすることしか考えない。分かち与えようと思う人なんて誰もいない」と書いている。これを読むと、とても大人の思想が影響した結果の発言だとは思えない。彼らは大人たちの苦悩を必死に背負いながら自分の肌と心でいろいろなことを感じ取り、考えていたようである。その考えは大人たちよりももっと神髄を見抜いていたようにも思う。(楠本美穂)
参考文献
ドイツ統一と子どもたち/平成7年/吉沢柳子訳/丸善株式会社発行


玩具に見る旧東ドイツ
 旧東ドイツで使われていた玩具と社会との関係を見ていくことにしよう。まずは戦後70年代初頭まで作られていた木製の家や車の小さな玩具である。旧東ドイツの町には全く色がなくグレートーンだとよく言われるが、この玩具は赤や黄色などを使いカラフルに作られている。木製の玩具の工場で1950年代から60年代まで働いていた女性は、旧東ドイツ時代にはこういった木製玩具の工場は90年の再統一後西側の大きな工場に吸収されるか倒産してしまい、細かい手作業の玩具はもう作られなくなったと言う。旧東ドイツ時代には女性に働く機会が多く与えられていたし、障害者にも職場があったが、今はそんなことがなく残念と言う人も多い。
 次にプラスチックや金属製の玩具について見ていく。しかしここでいう「プラスチック」は日本の物とは大きく異なる。透明度が低く独特の乾いた手触りと、ポリッと折れる混ぜ物の多いプラスチックである。1960年から70年にかけて、プラスチック製の飛行機や戦車・宇宙船の玩具を多く見るようになった。同じ社会主義国のソ連とともに宇宙船やロケット開発などに余念がなく、小学生の憧れの職業のベスト5には必ず「宇宙飛行士」がランクインしていた。世界中で月面探査機や宇宙服・ロボットなどの玩具が社会的に流行しており、東ドイツでも大ブームだった。
 「何でも自分で作るのが好きで工作好きのドイツ人」というらしいが、1979年東ドイツ発インダストリアルデザイン専門書の雑誌で、子どものためだけでなく大人も楽しめる、一定の色や形の文法と法則を使った玩具が読者に提案された。ロシアの抽象画にも似たこの遊びや玩具作りの提案は「抽象的なアート」という西側らしい考えで作られてはいない。不要となった段ボール紙や木の切れ端、ビニールの残り、ガラスごみをリサイクルし、組み合わせて作るという点が非常に評価されたという。
 旧東ドイツでは保育園は市から多大な援助を受けていた。その背景には、まず多くの女性が職についていた点がある。西側の保育園に比べ預かってくれる時間が長いのも一つの特徴だ。そしてこれらの保育園に対し、国家は『子どもたちに早期から"社会主義意識において"の教育を施し、学校教育への準備段階を整える』状況を作り出すことに、興味を持っていたのだと言う。学者となり国のためになる研究をする。兵役につき国のために働く。手工業や建築業に精を出し国を富ませる努力をする。そういった目標に向けて努力をする従順な若者を作り出すために、何が正しくて何が良しとされることなのか、という意識を植え付けられる操作や雑誌・メディア操作がなされていただろう。女性も働く機会を与えられ、それに対する保護は非常に大事である。手工業者なども学者などと同じ権利を持ち国を支える尊い存在である、という考え方は今でも旧東ドイツ出身者には根付いている。これらは旧東ドイツの社会主義体制においてよかった点であると思う。しかし国家や政治体制は平等をうたいながらもそれに程遠い権力志向だったことや、情報操作はやはり好ましくなかったであろう。旧東ドイツの人たちは西側の人たちと統一された。統一10年後の2000年になされたアンケートでは、未だに人々の心の中には壁が残っており、その大きな原因には子ども時代の教育の違いが挙げられていたそうだ。そして玩具もその社会をあらわす物の一つであると十分考えられるのではないだろうか。(西森千恵)


資本主義社会について
 1 はじめに
 私がこのテーマでレポートを作成した理由は、授業で扱われた映画「グッバイ、レーニン!」のストーリーが、私たちの日常生活において、非主題的に生活・意識を規定している、「資本主義」という社会体制の特徴が、社会主義という対立する社会体制との対比によって、鮮やかに描き出している、というある意味衝撃に似た感想を持ったからです。その中で、特に私に「ハッ」とさせたのは、経済学者にとっては当たり前のことですが、資本主義社会は人間の欲望を増大させる社会だということを気づかされたことです。この事に関して、簡潔に論じてみたいと思います。面白いレポートを書こうと思ったのですが、なかなかよいアイデアが浮かばず、結局「グッバイ、レーニン!」を観て浮かんだ考えをまとめる形となってしまいました。
 2 本論
 「スーパーマーケットも西側資本で新装開店た。……今までとは比べ物にならないほど豊富な品揃えだ。どの棚を見回しても、カラフルなパッケージでぎっしり。」(文庫版p81)
 資本主義社会は、商品経済です。商品というのは、「さしあたり、その属性によって人間の何らかの種類の欲望を充たすところの、一つの外的対象すなわち物である」『資本論』第1篇第1章第1節。つまり、商品を消費するとは、欲望を充たすことです。商品経済は競争経済であるので、競争相手に勝つには、より多く消費者の欲望を充たす商品をより低コストで生産しなければなりません。人間の欲望は、本来、限定的ですが、引き出そうとすればいくらでも引き出すことができ、尽きることを知りません。そのため、生産者側は、彼らが消費者の欲望にあわせるよりも、消費者の欲望を商品にあわせるほうが効率的であるので、様々な手段で、より欲望を増大させようとするでしょう。たとえば、広告であったり、派手なパッケージであったり。
 そのうち、様々分野の商品市場が飽和的になってくると、企業側は、今まで、商品の対象とはならなかった分野まで商品へ組み込んでいくようになるでしょう。そのうちで最も注目すべきなのは、性が商品となったということです。性という属性は、人間にとって本質的であるので、人間が商品になった、と言っても過言ではないでしょう。人間の、人間を求める欲求をも、商品の対象となっているのが、資本主義社会ではないでしょうか。この点に関して、ストーリー中で、アレックスがベルリンの壁崩壊後、初めて行った西ベルリンで入った店が、そういう場所であった、という場面を挙げればわかり易いでしょう。生産が国家によって計画的に行われている社会主義においては、そのようなものが商品となることはないでしょうが。
 資本主義経済で重要なものなものは、貨幣です。貨幣を私は、商品経済における、欲望充足のためのチケットと考えます。これは、貨幣を手に入れることは、商品を手に入れることと等しい、ということです。貨幣は、商品または欲望を表現しています。このような社会は、幸せ且つ不幸です。競争に勝った者は、多くの貨幣を獲得しますから、まさに人間的欲求を支配することができますが、負けたものは、そういうものからより遠いものになります。世の中は、商品で溢れ、欲望を喚起してやみませんが、しかし、その増大された欲望を充足させるための現実的方法がかけています。そのため、負け組の者のみならず、一般的な人々でさえ、過度に増大させられる欲望の充足の道を絶たれ、アノミー状態へ陥っていく。そうなると、社会秩序は混乱したものになるでしょう。
 3 最後に
 以上、『グッバイ、レーニン!』を読んで、また、授業で接してみて感じたことを、社会主義と対比して主題化された資本主義という観点から、思いつくまま論じてみました。なにぶん、思いついたまま記述したので、首尾一貫したものではないですが、私が日常接している社会を反省的に主題化させることには成功したとおもっています。
 私がこのレポートで意図したのは、資本主義は悪で、社会主義こそ人間が幸せに暮らすことのできる社会だというのでなく、日常の中に無意識的に存在している資本主義という社会システムを顕在化させ、これからの社会とのかかわり方をどうすべきか、という問題をたてることです。
 21世紀になって、社会主義体制を辛うじて維持しているのは僅か数カ国となりました。資本主義が世界に繁栄している今、日本社会の一員として、矛盾した社会をよりよいものとするために、我々が何をすべきか、よく考えることが必要なのではないでしょうか。(奥村祐三)
参考文献
『グッバイ、レーニン!』 入間 眞 編訳 竹書房文庫 2004年
『資本論』カール・マルクス著 長谷部文雄訳 河出書房


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