ローラの人生 (1867-1957) | ローズの人生 (1886-1968) | その他の家族の出来事 | アメリカの歴史 | 日本の歴史 ・ 日本における「小さな家」の歴史 (1949-1976) |
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1865 メアリー誕生 | 1865 南北戦争終結 | |||
1867 ウィスコンシンの「大きな森」で誕生(2月7日) | 1867 大政奉還、王政復古の大号令(明治維新) | |||
1868 ミズーリへ[1歳] | ||||
1869 カンザスへ[2歳] | 1869 大陸横断鉄道完成、ワイオミング州で合衆国初の女性参政権が認められる | |||
1870 キャリー誕生 | ||||
1871 「大きな森」へ戻る。メアリーとバリー・コーナー学校に通う[4歳] | ||||
(この頃、アルマンゾは家族と共に、ニューヨーク州、マローンから、ミネソタ州、スプリング・ヴァレーへ移住) | ||||
1874 ミネソタのプラム・クリークへ[7歳] | ||||
1875 バッタの襲来。とうさんは東ミネソタに出稼ぎに。チャールズ・フレデリック誕生 | ||||
1876 アイオア州のバーオークへ[9歳] | 1876 日照りとバッタの襲来とうさんは再び出稼ぎに。チャールズ・フレデリック急死 | |||
1877 秋にミネソタのウォールナット・グローブへ | 1877 グレイス誕生 | 1877 インディアン戦争 | ||
1879 シルバー・レイクのほとりへ[12歳] | 1879 メアリ、脳炎のため失明[14歳]。とうさん、ダコタの鉄道工事現場へ | |||
1880 夏は開拓農地に、冬は町(デ・スメット)に住むように。10月に吹雪が来て、7ヶ月に及ぶ「長い冬」に[13歳] | 1880 とうさん、デ・スメットに家を建てる | |||
1881 メアリー、アイオワ州、ヴィントンの盲人大学に入学[16歳](1889年に卒業) | ||||
1882 教員試験に合格[15歳] | ||||
1883 開拓小屋の学校で教える[16歳] | 鹿鳴館時代 | |||
1884 アルマンゾと婚約[17歳] | ||||
1885 アルマンゾと結婚[18歳] | ||||
1886 ローズを出産[19歳] | 1886 誕生(12月5日) | |||
1889 男の子を出産するが、2週間後に死亡[22歳] | ||||
1890 ミネソタ州、スプリング・ヴァレーのアルマンゾの両親の家へ[23歳] | 1890 フロンティアの消滅 | |||
1891 フロリダへ移住[24歳] | ||||
1892 デ・スメットへ戻る[25歳] | ||||
1894 ミズーリ州マンスフィールドに移住[27歳] | 1894 日清戦争勃発(-95) | |||
1901 グレイス、ネイサン・ダウと結婚[24歳] | ||||
1902 とうさん、亡くなる[66歳] | ||||
1903 ルイジアナ州クラウリーの伯母の家に下宿、高校に通う | ||||
1904 1年間で卒業に必要な4年課程を修了し、カンザス・シティのウエスタン・ユニオン社で電信技士として働き始める | 1904 日露戦争勃発(-5) | |||
1908 サンフランシスコへ[22歳] | ||||
1909 ジレット・レインと結婚。カリフォルニア州初の女性不動産業社に[23歳](数年後、『サンフランシスコ・ブリュテン』に記事を書くようになる) | ||||
1911 『ミズーリ農民』に最初の記事を書く[44歳] | ||||
1912 キャリー、デイヴィッド・スウォンジーと結婚[42歳] | 1912 大正元年 | |||
(1914 第一次世界大戦勃発) | 1914 第一次世界大戦に参戦 | |||
1915 万国博覧会を見物するため、サンフランシスコのローズの家に滞在[48歳] | ||||
1917 農業ローンに会社を始める(-1927)[50歳] | 1917 『ヘンリー・フォード物語』執筆[31歳] | 1917 ドイツに宣戦(第一次世界大戦参戦) | ||
1918 離婚後、ニューヨークへ。この体験を基に、処女小説『わかれ道』執筆(出版は翌年)。レポーターとしてヨーロッパ等へ派遣されるようになる[32歳] | 1918 ウィルソンの「平和14原則」(11月11日 第一次世界大戦休戦) | |||
1920 米国赤十字からヨーロッパに派遣される[34歳](-1923) | ||||
1922 小説"Innocence"でオー・ヘンリー賞を受賞[36歳] | ||||
1923 マンスフィールドへ戻る[37歳] | 1923 関東大震災 | |||
1924 かあさん、亡くなる[85歳] | ||||
1925 昭和元年 | ||||
1928 メアリー、亡くなる[63歳] | ||||
1929 ウォール街で株の大暴落。世界大恐慌始まる | ||||
(この頃、一時期アルバニアへ移住するが、マンスフィールドへ戻る) | ||||
1931 フーヴァー・モラトリアム | ||||
1932 『大きな森の小さな家』出版[65歳] | ||||
1933 『農場の少年』出版[66歳] | 1933 ニューディール政策(-36) | |||
1935 『大草原の小さな家』出版。この頃「小さな家」をシリーズ化する計画ができる[68歳] | ||||
1937 『プラム・クリークの土手で』出版[70歳] | 1937 ニューヨークへ。『嵐よ、ほえろ』と『自由の土地』がベストセラーに[51歳] | |||
1938 アルマンゾとデ・スメット訪問[71歳] | 1938 コネチカット州、ダンベリーへ[52歳] | |||
1939 アルマンゾとデ・スメット訪問『シルバー・レイクの岸辺で』出版[72歳] | (1939 第二次世界大戦勃発) | |||
1940 『長い冬』出版[73歳] | ||||
1941 『大草原の小さな町』出版[74歳] | 1941 グレイス、亡くなる[64歳] | 1941 第二次世界大戦参戦 | 1941 日本軍、ハワイ真珠湾を攻撃 | |
1943 『この楽しき日々』出版[76歳] | ||||
1945 広島・長崎に原爆投下 | 1945 ポツダム宣言受諾、無条件降伏 | |||
1946 キャリー、亡くなる[76歳] | ||||
(父の死後、ダンベリーと母の住むマンスフィールドを行き来する) | 1949 アルマンゾ、亡くなる[92歳] | 1949 『長い冬』(石田アヤ訳、コスモポリタン社)出版 | ||
1950 『草原の小さな家――少女とアメリカインディアン』(古川原訳、中教出版)出版。『大きな森の小さなお家』(柴田徹士訳、文祥堂)出版 | ||||
1955 『長い冬』(鈴木哲子訳、岩波少年文庫)出版 | ||||
1957 亡くなる(2月10日、マンスフィールドの自宅にて)[90歳] | ||||
1962-65頃 『大きな森の小さな家』(白木茂訳、少年少女新世界文学全集一三、現代アメリカ編二、講談社)出版 | ||||
1965 記者としてヴェトナムに派遣される[79歳] | 1965 北ヴェトナム爆撃(北爆)を始める | |||
1966 糖尿病になるが、世界旅行は続ける | ||||
1968 亡くなる(10月2日、ダンベリーの自宅にて)[82歳] | ||||
1972- 『大きな森の小さな家』『大草原の小さな家』『プラムクリークの土手で』『シルバー・レイクの岸辺で』『農場の少年』(恩地三保子訳、福音館書店)出版 | ||||
1975 テレビアニメ『草原の少女ローラ』放送開始(-1976、東京放送) | ||||
1976 アメリカNBCのテレビドラマ『大草原の小さな家』放送開始(NHK) |