ローラがここに住んだのは、1890年5月からの一年と少し。「はじめの四年間」の辛い日々を過ごした後、このスプリング・ヴァレーのアルマンゾの両親の農場に一時的に身を寄せ、それから、フロリダ州、ウェストヴィルへ移住するのです。ワイルダーの農場跡は現在残っていませんが、写真で見る限りで、ワイルダーの家はかなり大きいのです。ローラが過ごした家の中で最も大きな家だと思われます。 ですから、ここはローラのゆかりの地というよりも、アルマンゾの実家のワイルダー家ゆかりの地と言った方が良さそうです。『農場の少年』で描かれているように、そもそもワイルダー家は、ニューヨーク州、マローンで農場を経営していましたが、アルマンゾが十代の終わりか、二十代の始めの1780年代の半ばに、スプリング・ヴァレーに移住してきたのです。 その数年後、アルマンゾは兄のローヤルと共に、サウス・ダコタ州、デ・スメットの開拓農地に移り住み、ローラと出会い、結婚しますが、彼の両親は1898年までここに留まります。そして移住したルイジアナ州、クラウリーで詐欺に遭い、アルマンゾの父親のジェームズは翌1899年に急死し、その6年後に亡くなった母親のアンジェリーンと共に、クラウリーの共同墓地に葬られています。 ローヤルはデ・スメットからスプリング・ヴァレーに戻り、商人として成功し、ワイルダーの農場があった場所から歩いても数分のところにある共同墓地に葬られています(1925年没)。 スプリング・ヴァレーはアメリカの北部や中西部にあるゆかりの地の中では、かなり都会の印象。歴史協会(Spring Valley Community Historical Society)の本部があり、ローラも一時的に通っていたかつてのメソジスト教会(Methodist Church Museum)もかなり大きくて立派です。教会の向かいの家には、かつて医者が住んでいたということですが、現在は歴史協会所有の博物館(Washburn-Zittelman Museum)で、19世紀当時の都会のお金持ちの様子が偲ばれます。ローヤルもきっと、このような暮らしをしていたのでしょう。 |