用語解説「法律編」NO4

 

☆基本的人権☆

 

人間が人間である以上、人間として当然もっている基本的な権利で、近代市民(ブルジョワ)革命(フランス革命の成果としての人権宣言やアメリカ独立宣言等)の過程で18世紀の自然法(人間の本性そのものに基づいて普遍的に存立する法)の思想に基づき、国家権力といえども犯すことが出来ないものとして、実定憲法上認められたものであり、単に基本権とか人権とかで呼ばれる場合もある。それは、「国家以前から存在する権利」、つまり人類が社会を構成する以前、つまり自然の状態で、個人が生まれながらに有する権利であり、国家といえどもこれを奪うことができない永遠不滅の権利を意味する天賦(てんぷ)人権思想を背景としている。

日本国憲法は、思想・表現の自由などの自由権、個人が同等に取り扱われる平等権、健康で文化的な生活が出来る生存権などの社会権、国政や自治体の選挙に参加できる参政権、国や自治体の行為で損害を蒙った場合には、国や自治体に対して賠償を請求することができる権利などの受益権を基本的人権として保障している。ただし、それは無制限・無制約に認められるものではなく、「公共の福祉」に反しない制限的なものである。

 

くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけただれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き生きとしげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、ただ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」と、「平等」ということです。

人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、国の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。

またわれわれは人間である以上はみな同じです。人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありません。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。差別のないことを「平等」といいます。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。

国の規則の上で、何かはっきりとできることがみとめられていることを、「権利」といいます。自由と平等とがはっきりみとめられ、これを侵されないとするならば、この自由と平等とは、みなさんの権利です。これを「自由権」というのです。しかもこれは人間のいちばん大事な権利です。このいちばん大事な人間の権利のことを、「基本的人権」といいます。あたらしい憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない永久に与えられた権利として記しているのです。これを、基本的人権を「保障する」というのです。

しかし基本的人権は、ここにいった自由権だけではありません。まだほかに二つあります。自由権だけで、人間の国の中での生活がすむものではありません。たとえばみなさんは、勉強をしてよい国民にならなければなりません。国はみなさんに勉強をさせるようにしなければなりません。そこでみなさんは、教育を受ける権利を憲法で与えられているのです。この場合はみなさんのほうから、国にたいして、教育をしてもらうことを請求できるのです。これも大事な基本的人権ですが、これを「請求権」というのです。争いごとのおこったとき、国の裁判所で、公平にさばいてもらうのも、裁判を請求する権利といって、基本的人権ですが、これも請求権であります。

それからまた、国民が、国を治めることにいろいろ関係できるのも、大事な基本的人権ですが、これを「参政権」といいます。国会の議員や知事や市町村長などを選挙したり、じぶんがそういうものになったり、国や地方の大事なことについて投票したりすることは、みな参政権です。

みなさん、いままで申しました基本的人権は大事なことですから、もういちど復習いたしましょう。みなさんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利を与えられました。この権利は、三つに分かれます。第一は自由権です。第二は請求権です。第三は参政権です。

こんなりっぱな権利を与えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることを、国ぜんたいの幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。

 

atarasii

 

(童話社)

atarasii2

文部省編『新しい憲法のはなし』(1947年)より−中学校1年の教科書として1952年3月(昭和26年版)まで使われた。

 

 

基本的人権の前提となる3原則

 

 日本国憲法は基本的人権について全103条中30か条(憲法全体の3分の1)にわたって規定しており、最大限重視している。

 

1.      基本的人権の永久不可侵(第11条)

 

「国民は,すべての基本的人権の享有(きょうゆう=生まれながらもっていること)を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる。」

 

2.      基本的人権を保持利用する責任と濫用の禁止(第12条)

 

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断(ふだん=絶え間ない)の努力によって,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用(らんよう=みだりに用いること)してはならないのであって,常に公共の福祉(社会一般に共通する幸福や利益)のためにこれを利用する責任を負う。」

 

3.      個人の価値の平等・個人尊重(尊厳)の原則(第13・24条)

 

「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」

 

 

☆個人の価値の平等☆

国家や社会や種々の集団に対して、それを構成している個々の人を個人というが、すべて個人は、自由かつ独立の存在であって、個々人の相違や特徴で人間の価値が異なることはない(個人の価値は平等)という近代立憲主義(憲法に基づいて政治を行うという原理)の根本原則の一つである。日本国憲法第13条が規定する個人の尊重の基礎をなす権利である。

 

☆個人の尊重(尊厳)☆

人間個々人は生まれながらに自由で平等であって、国家をはじめ何人といえどもこれを犯すことが出来ない固有の権利と価値をもっていると言う考えに立脚するのが近代民主主義である。人間社会においてはその価値の根源が個人にあるため、個人を尊重しようとする思想である個人主義を反映したものであるが、そのゆえ近代国家は、個人の尊厳を最大限尊重するため積極的にこれを保障することが必要になる。 

 日本国憲法も第13条24条でこのことを表現している。憲法第13条が宣言する「個人の尊重」とは、一人ひとりの人間が、他人に頼らず自分の尊さを守る「独立自尊」の、かつ自由で、他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制することができる自律的存在として最大限尊重されなければならないという趣旨である。そして、そのような個人の集合体である「われわれ国民」が、国政の担い手としての自覚をもち、個人の尊厳と幸福に重きをおく自由で公正な社会を築き、国家の健全な運営に自ら責任を担うことを意味するものである。

 

☆基本的人権の分類☆

 

日本国憲法の基本的人権の保障
自由権,社会権,参政権,請求権,平等権,新しい権利,幸福追求権
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


lin_ie

 

☆精神的自由権☆

 

 基本的人権中の自由権の一つで人間の精神的(知的活動の)自由にかかわる権利である。個人の尊厳と民主主義存立の根幹的な権利であるため原則的にその制限は許されない。かりに合理的理由で制限される場合でも、合憲性の判断は厳格になされなければならない。日本国憲法のなかの、思想信条の自由(19条)、信教の自由(20条)、集会・結社の自由・表現の自由(21条)、学問の自由(23条)等がこれにあたる。

 

☆平和的生存権☆

 

戦争のもたらす恐怖と欠乏から免れて平和に生きることができる権利。この権利は、1941年の年頭教書(1月6日)で米・ルーズベルト大統領が唱えた、「(1)言論の自由(2)宗教の自由(3)欠乏からの自由(4)恐怖からの自由(戦争に巻き込まれない自由、世界的な軍縮)」という、人類の将来の「4つの自由」や太平洋憲章にその原点があるが、日本では日本国憲法前文第2段の「平和のうちに生存する権利」を直接の根拠とする。この権利を初めて認めた判決が「長沼ナイキ基地訴訟」第一審(札幌地裁)判決であったが、控訴審で否定された。平和的生存権の人権としての内容をめぐって論議のあるところである。

なお、08年4月17日の名古屋高裁判決は、以下のように述べている。

「平和的生存権は、すべての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利である。憲法前文が「平和のうちに生存する権利」を明言しているうえに、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的または参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求め、法的強制措置の発動を請求し得る意味における具体的権利性が肯定される場合がある。例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使などや、戦争の準備行為などによって、個人の生命、自由が侵害されまたは侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争などによる被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行などへの加担・協力を強制されるような場合には、裁判所に対し当該違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。」

 

☆環境権☆

 

よい環境を享受する(自分のものとすること)権利。環境権は、公害防止・環境保全の立場から主張され、健康や福祉を侵す要因にわざわいされず、安全で快適な生活環境を確保しようとする視点から出てきた権利である。

同権利は、1968(昭和43)年9月、新潟市で開催された日本弁護士連合会(日弁連)の公害シンポジュウムで打ち出された新しい法理論であり、1972(昭47)年6月、スウェーデンのストックホルムで開かれた国連人間環境会議にアビールとして提出されたものである(同月16日、国連人間環境会議採択の人間環境宣言は、環境の権利義務について、次のように表明した。「人は、尊厳と福祉を保つに足る環境で、自由、平等および十分な生活水準を享受する基本的権利を有するとともに、現在および将来の世代のため環境を保護し改善する厳粛な責任を負う」「大気、水、大地、動値物およびとくに自然の生態系の代表的なものを含む地球上の天然資源は、現在および将来の世代のために、注意深い計画と管埋により適切に保護されなければならない」)。

すなわち、大気・水・海水・日照・通風・景観等我々をとりまく自然(環境素材)は、従来「自由材」として、権利の対象と考えられていなかったが、公害や開発によって環境破壊が進んだ今日では、人間が健康にして文化的な生活、つまり人間らしい生活をする上で欠くことのできない貴重な稀少性をもつ資源としての「価値材」に変化した。それゆえかけがえのない地球=自然の環境素材は、すべての人間の共有財産で、良い環境を享受する権利は国民すべてに与えられており、それは、人間としての幸福追求の権利として、あるいは健康にして文化的な生活素材として、憲法13条25条によって保障されているものであるというところにその趣旨がある。

その意味で環境権は、万人に共通の欠くべからざる財産であり、権利として保障されるべき性格のものであると同時に、この権利は、人間に不可欠なものであるがゆえに、何人といえども、汚染、汚濁、破壊等によって侵すことができない権利ということになる。

 

☆景観権☆

 

景観とは、けしき、ながめ、特に、すぐれたけしきで、人間の視覚によってとらえられる地表面の認識像といわれ、山川・植物などの自然景観と、耕地・交通路・市街地などの文化景観に分けられる(大辞林)。また、眺望的景観のほか、位置、地形、生態系、鳥の声や虫の音、水や風の流れ、歴史・文化・信仰・教育・レクリエーションなどが構成要素として含まれるが、そうしたものを享受(きょうじゅ=あるものを受け、自分のものとすること、また自分のものとして楽しむこと)する権利を景観権という。

すなわち、だれでも好みに従って良好な景観を享受できる権利であるが、景観権訴訟で、東京地裁八王子支部は、01年12月4日、国立市の高層ビル問題の景観訴訟で、「客観的な財産権と性質が違う」と指摘、「景観の維持は特定の個人ではなく住民を代表する者の賢慮にゆだねるのがふさわしい」として住民の請求を棄却した==⇒関連判決=東京地裁;国立市の条例違反マンション、都の是正命令ないのは違法(01年12月4日)。

 

眺望権

 

従来享受(きょうじゅ=あるものを受け、自分のものとすること、また自分のものとして楽しむこと)していた眺望(遠く見渡すこと。また、その眺め、または「みはらし」)を、他の建物などにより妨害されない権利をいう。すなわち、恵まれた景観を持つ土地の所有者が景観を侵害された場合に、保護の対象となるかが眺望権の問題で、これまで旅館営業で認められたケースがあり、個人住宅でも美的景観が価値形成し、眺望保持が周辺利用と調和していることなどを要件に認めたケースがある。

 

☆知る権利☆

 

国民が公的な種々の情報を知ることができる権利、及び情報を持っている機関に、その提出・公開を求めることができる権利で、国民主権(憲法前文・第1条)の理念を背景に基本的人権の一つである「表現の自由」(憲法第21条)を根拠としている。表現の自由には「情報を得る自由」にとどまらず、国や行政が保有する「情報の公開を求める権利」まで含まれると解釈されるからである。

それゆえ、国民や住民の公的機関に対する情報の公開を請求する権利を保障し、その公開の範囲を拡大させるとの見地から、国の情報公開法や地方自治体の情報公開条例の中に、国民や住民の権利として「知る権利」を明文化すべきであるとの意見が強く主張されている。特に情報が公開されなかった場合の非公開処分不服申し立て訴訟の判断に大きく影響するためある(東京都の改正条例案では前文に明記された)。

だが、憲法第21条が保障する表現の自由はあくまで国家等からの自由権で、国家等に対する請求権的なものは含まないとの見解も根強く存在している。

 

☆個人の尊重(尊厳)☆

 

人間個々人は生まれながらに自由で平等であって、国家をはじめ何人といえどもこれを犯すことが出来ない固有の権利と価値をもっていると言う考えに立脚するのが近代民主主義である。人間社会においてはその価値の根源が個人にあるため、個人を尊重しようとする思想である個人主義を反映したものであるが、そのゆえ近代国家は、個人の尊厳を最大限尊重するため積極的にこれを保障することが必要になる。 

日本国憲法も第13条24条でこのことを表現している。憲法第13条が宣言する「個人の尊重」とは、一人ひとりの人間が、他人に頼らず自分の尊さを守る「独立自尊」の、かつ自由で、他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制することができる自律的存在として最大限尊重されなければならないという趣旨である。そして、そのような個人の集合体である「われわれ国民」が、国政の担い手としての自覚をもち、個人の尊厳と幸福に重きをおく自由で公正な社会を築き、国家の健全な運営に自ら責任を担うことを意味するものである。

 

☆個人の価値の平等☆

 

国家や社会や種々の集団に対して、それを構成している個々の人を個人というが、すべて個人は、自由かつ独立の存在であって、個々人の相違や特徴で人間の価値が異なることはない(個人の価値は平等)という近代立憲主義(憲法に基づいて政治を行うという原理)の根本原則の一つである。日本国憲法第13条が規定する個人の尊重の基礎をなす権利である。

 

☆安全配慮義務☆

 

「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきもの」(最高裁判所判例)、その内容は、「人としての尊厳を保ちながら、安全に生活・労働できる程度のもの」(2004〔平成16〕年3月26日新潟地裁判決)である。

例えば、労働者(会社員・従業員)が労働に従事する(業務の遂行)に際し、その生命及び身体等を危険から保護するよう会社(事業者・企業)が労働者に配慮すべき義務等をいい、具体的には、企業が業務遂行のために設置すべき施設、または器具等の設置管理、あるいは勤務条件等の支配管理に当たっては、労働者の生命・身体・健康等について危険から保護するよう管理すべき責任が企業側に発生し、この義務に違反して事項等が生じた場合には、企業は責任を負わなければないのである。もとより労使関係に限定されるわけではない。

実際、トラックに伐木材を積込み中に玉掛けワイヤーが解け木材が落下して傷害等級1級の重傷を負った事故について1億6,524万円の損害賠償の支払を命ずる判決もでている(1994〔平成6〕年9月横浜地裁小田原支部)。

また、「過労死」や「自殺」についても、企業側の安全配慮義務違反の責任を求める裁判が全国的に相次いで提起されており、大手広告代理店「電通」のラジオ局に配属され入社2年目の91年8月に首つり自殺した当時24歳の社員の両親が「勤務は深夜・早朝に及び、自殺直前は3日に1回徹夜で残業し、睡眠時間は1日平均2時間程度だったとして電通に損害賠償を求めた訴訟で、2000年3月24日最高裁第2小法廷は、「…労働基準法は、労働時間に関する制限を定め、労働安全衛生法65条の3は、作業の内容等を特に限定することなく、同法所定の事業者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するように努めるべき旨を定めている…。使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。」「上司は…本人の健康状態が悪化していることに気付いていたにもかかわらず、…業務は所定の期限までに遂行すべきことを前提として、帰宅してきちんと睡眠を取り、それで業務が終わらないのであれば翌朝早く出勤して行うようになどと指導したのみで、本人の業務の量等を適切に調整するための措置を採ることはなかった」として、企業の注意義務違反を認めた。同時に、本人の性格や家族の責任が一部あり、賠償額決定に際し斟酌すべきと判断された判決を、法令の適用解釈を誤った違法があると判断し、原告らの敗訴部分を破棄し、審理を原審に差し戻した。

なお、差し戻し控訴審で東京高裁は、会社に96年3月の東京地裁判決が命じた賠償額1億2600万円に利息を加え、労災保険給付金の一部を差し引いた1億6,800万円を支払う内容の職権和解を命じた(和解成立―2000〔平成12〕年6月23日)など、安全配慮義務不履行を認める高額判決が下されている。

 

 大阪地裁;過労認定訴訟:会社側に2億円賠償命令 大阪・男性脳出血(08年4月28日)

 

 大阪府門真市の精密機器製造会社に98年4月に入社、01年4月1日に製造工程を管理する部署に配属替えによる業務の引き継ぎなどで多忙となり、同13日、勤務中に脳出血による意識障害を起こし、現在も意識のない状態が続いている男性(33)=大阪市=らが、原因は過労として同社に、将来の介護費用など約5億8000万円の賠償を求めた訴訟の判決があった(男性にはその後、先天的な脳動静脈奇形〔AVM〕があったことが判明したことから、会社側は訴訟で「AVMを認識していなかった」と主張し、脳出血と業務の因果関係と併せ、同社の予見可能性が争点になった)。

判決は、職場が替わってから倒れるまでの12日間に休日が1日もなく、時間外労働が約61時間だったことから、労災認定基準〔発症前1か月に約100時間〕に照らして過重労働と認定、さらに「疾患のない者でも、脳出血を発症する危険があるほどの過重労働だ」と判断し、「会社は労働時間を正確に把握せず、長時間勤務の改善措置も講じずに放置した」「会社側が業務を軽減すべきだった」と結論付け、会社側の安全配慮義務違反を認定し、約2億円の支払いを命じた。

 なお、会社側の義務を幅広く認めたうえに、これほど高額の賠償を命じたケースは珍しい。

 

                                                        

☆家庭生活での男女平等☆

 

男女の間には、肉体的・生理的な違いはあるが、人間の尊厳や人間の価値において平等であることは、法の下の平等原則から明らかであり、それは、私的な家庭生活においても同様である。日本国憲法は第24条においてこのことを明確にしている。特に憲法が、「法の下の平等」(第14条)のほかに家庭生活での平等をあえて規定したのは、明治憲法下において、男尊女卑の思想が家庭生活の中に深く入り込み、男女不平等の根幹を形成していたことによる。例えば、婚姻には親の同意が必要であったし、妻は夫に従属するばかりか無能力者として法律上取り扱われ、1人で有効な法律行為を行うことができない上に、相続権もなく、また離婚に際しても、妻の不貞行為は離婚原因となる(犯罪〈姦通=かんつう=罪ともなる〉が、夫の不貞は男の甲斐性と見られ、(犯罪が成立しないのみならず)不貞を理由とする妻からの離婚請求も否定される等、大いなる差別が存在した。

そこで日本国憲法は、特に第24条を設け、「@ 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選択、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と規定し、家庭生活に於ける男女平等を宣言したのである。

 

☆選挙権の平等☆

 

議員その他一定の公務員を選挙する権利を選挙権といい、参政権の代表的なものである。日本国憲法は、国民主権の立場から、第15条で「@ 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。B 公務員の選挙については、成年者(満20歳以上の国民=公職選挙法)による普通選挙を保障する」と規定し、また第44条で「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない」と規定しこの権利を基本的人権の一つとして保障している。

なお、明治憲法下においては、女性の参政権は否定され、当初、男子でも納税額等で差別された。

日本で男子による普通選挙(選挙権の平等)が認められたのは、1925(大正14)年であり、日本で女性に参政権(完全な選挙権の平等)が与えられたのは、1945(昭和20)年のことである。

 

☆幸福追求の権利☆

 

個人が人間としての幸福を追求する権利で、憲法第13条が、公共の福祉に反しない限り、最大限尊重する人権である。かつては、具体的な特定の権利又は自由に関する規定ではなく、あらゆる自由及び権利を包括した権利、またはすべての権利及び自由の基礎たるべき一般的原理とされていた。

現在では、米国憲法修正9条(「この憲法に一定の権利を列挙したことを持って、人民の保有する他の諸権利を否定しまたは軽視したものと解釈してはならない」)の規定を参考に、基本的人権は、憲法が例記する人権に限定されるものではなく、憲法第13条は、一般に幸福追求の権利が尊重されなければならないとの趣旨を包括的に表現したものとして、具体的権利の根拠規定と理解されている。

 

☆生存(的基本)権☆

 

広義の意味では、教育を受ける権利(憲法第26条)や労働者の団結権(憲法第28条)等、個人の生存または生活の維持及び発展(人間らしい生活)に必要な諸条件を国家に対して要求できる権利(社会的基本権とか社会権ともいわれる)をいい、狭義の意味では、「健康に文化的な最低限度の生活」(憲法第25条)を営むための必要な諸条件を国家に要求できる権利をいう。後者の権利は、生活保護法公的扶助)その他の社会保障立法により具体化される。

日本国憲法は第25条第1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と、生存権が全国民を対象とする、一定水準の生活保障であることを示し、第2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と、国が果たすべき責任を指示している。

同条は、戦前の天皇制政府のもとで劣悪な生活を強いられた国民の、生活改善の要求を反映しており、特に生存権を明記した第1項は、国会での論議で憲法改正案に新たに書き加えられたものである。また、同条は、国民が生活改善や社会保障を充実させていく要求と運動を繰り広げていくうえで、重要なよりどころとなっているが、最近は、公害問題などの取り組みを通じて、同条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を「環境権」の根拠のひとつに位置づける学説も広がっている。

 現在、生存権規定は、戦争の原因となった貧困を除去するため、世界人権宣言国際人権規約にも盛り込まれ、世界で広く認められている。しかし、サミット参加国で自国の憲法に生存権の明文規定をもつ国は、日本のほかはイタリア(イタリア憲法38条は、「労働の能力をもたず、生活に必要な手段を奪われたすべての市民は、社会的な扶養と援助を受ける権利を有する」等々と規定している)ぐらいである。

 ところで、憲法の生存権規定が、宣言的意義しか有しないプログラム規定(憲法の規定は、国民個人に司法的救済を伴う法的権利を保障するものではなく、その実現にむけた国の政治的・道徳的な努力義務を課したのにすぎないもの。例えば朝日訴訟最高裁判決)にとどまるか、何らかの具体的法的効果を持つものかについては見解が分かれている(近年、何らかの法的権利制を認める見解が有力である)が、最高裁は、立法が「著しく合理性を欠き、明らかに裁量権の逸脱、濫用と見られる場合」は、憲法の生存権規定に基づいて違憲判断がなされると判断している。

 

☆公的扶助☆

 

生活困窮者に対して国家が保障すべき国民の「健康にして文化的な最低限度の生活水準」(ナショナル・ミニマム)を保障する所得保障制度をいい、日本では生活保護法に基づく生活保護制度として実施されており、国民の生存権を保障するいわゆる「セイフティ・ネット」として、社会保険、社会福祉と並ぶ社会保障の重要な柱となっている。

 

☆生活保護法☆

 

 

全国で生活保護を受給している人が、09年1月時点で161万8543人に上ったことが09年4月2日、厚生労働省の集計で分かった。不況の影響で、08年同月に比べ約6万2千人増えた。08年12月から09年1月にかけて東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に集まった人たちが雇用保険の失業給付を受けられず生活保護の受給を申請。各地で職を失った非正規労働者らが受給を求める動きが広がった。雇用情勢は厳しさを増しており、今後も受給者数は増えると予想される。

09年1月の受給者数は08年12月より約1万2人増えた。08年5月から毎月数千人規模で増えていたが、12月から2カ月連続して前月比1万人以上の増加となった。東京都は前月比で約2千300人増えて約21万2千人となり、全国17の政令指定都市でも前月を上回った。

生活保護を受けている世帯数は前月比で約9千世帯増え、約116万8千世帯となった。1年前と比べると約5万2千世帯増えている。受給者が増えている背景には、失業者らが市区町村の申請窓口に駆け込んでいるほか、低年金や無年金で生活が苦しい単身高齢者や、低収入の母子家庭が増えている実態がある。生活保護の受給者数は、戦後の混乱期に200万人を一時超えたが徐々に減少。バブル崩壊後の1995年度(月平均)の約88万人を底に、その後増加が続き、08年12月には160万人を突破した(09年04月03日付『東京新聞』)

厚生労働省は09年8月27日、生活保護を受けている世帯が5月は121万5379世帯(速報値)だったと発表した。4月より1万1505世帯増えており、過去最多を更新した。08年同月と比べると、9万524世帯の増加。生活保護を受けている人数は、4月より1万4207人増え、167万9099人だった(09年08月27日付『朝日新聞』)

08年度に生活保護を受給した世帯は月平均で、07年度より4万3491世帯(3・9%)増えて114万8766世帯(確定値)となり、過去最高を更新したことが厚生労働省の「社会福祉行政業務報告」で分かった。受給者数(同)は、07年度比3・2%増の159万2620人で、65年度以来の水準。単身者や年金の少ない高齢者の増加に加え、08年秋以降の不況で失業者や収入が減少した人が増えたことなどが主な要因とみられる。月平均の保護世帯数は、近年では92年度の約58万6千世帯を底に増え続け、05年度に100万世帯を超えた。保護開始の理由では「けがや病気」が、07年度より1・2ポイント減少したものの41・9%と最多。以下「労働収入の減少や失業」が1・5ポイント増の19・7%、「貯金などの減少」が17・4%の順だった。保護世帯で最も多いのは、65歳以上の高齢者世帯で07年度比5・3%増の約52万4千世帯。次いで障害者・傷病者世帯の約40万1千世帯、母子世帯の約9万3千世帯の順。受給者数は08年12月に160万人を突破、09年度も165万人超で推移している(09年10月07日配信『共同通信』)

 

 

憲法第25条に規定する理念に基づいて、国が生活に困窮するすべての国民に最低生活を保障し、その自立を助長することを目的して制定された法律(第1条)で、日本の社会保障制度の根幹的な部分を構成するものである。同法の原則は、「(1)すべての国民が人種、信条、身分、性別、門地などの違いなどにより保護が差別的に取り扱われることがないこと、(2)保護は、要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して、有効且つ適切に行う、(3)生活の保障の水準は健康で文化的な生活水準を維持できるものでなければならない」ことである。

生活扶助は、被保護者の居宅において、金銭給付によって行われるが、その保護する金額は、法の目的に照らして、自己の能力で充たすことのできないものに限られ、またその際にはその困窮者の民法での扶養義務者の扶養や他の法律の保障を優先させ、さらに、困窮者の利用できる資産、能力などを活用しても足りないときに、はじめて支給される。同法上の保護には、生活扶助、教育扶助、住宅扶助、医療扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助の7種類があり、その担当は、福祉事務所である。

05年度の生活保護世帯数(月平均)は104万1508世帯と04年度より4・3%増となり、1951年度の統計開始以来、初めて100万世帯を突破した(厚労省06年10月6日公表の「社会福祉行政業務報告」)。被保護者数も10年連続増加の147万5838人、新規の生活保護世帯は減少傾向にある一方、生活保護受給を続ける世帯が多く、保護世帯は13年連続の増加となった。生活保護世帯の受給期間は、「10年以上」25・5%、「5年〜10年未満」22・9%となり、5年以上の長期間にわたって受給を受けている世帯が全体のほぼ半分を占めており、いったん保護世帯となると長期化する傾向がみられる。この長期化は、格差の固定化の現れとみられる(厚生労働省分析)。

05年度の内訳は「高齢者世帯」が45万1962世帯とトップで、次いで「障害者・傷病者世帯」38万9818世帯、「その他の世帯」10万7259世帯などだった。新規の受給世帯の理由をみると、「けがや病気」が42・8%と最も多く、「失業や収入減」が19・5%と続く。

年代別の内訳は、70歳以上が27・1%と最多で、60歳代が22・7%、50歳代が16・3%と続き、高齢者ほど割合が高い。ただ、世代ごとに1000人あたりで生活保護を受けている人の数を示す「保護率」(04年)をみると、20〜30歳代は3・66人、40歳代は6・98人でいずれも8年連続増で、「働く世代」でも被保護者が増える傾向が見られた。

03年度は1か月あたりの平均で94万1270世帯と02年度を7万世帯あまり上回った(02年の生活保護世帯、87万0,931世帯、01年度を8.2%、約6万5,000世帯、約9万5,000人上回った)。増加は11年連続で、受給者数は約130万人(02年は124万3,000人【国民の約100人に1人】)。

03年度に生活保護を受けた世帯のうち、高齢者の世帯が46.3%と半数近くを占め、ついで障害者の世帯が35.8%、母子世帯が8.7%(離婚の増加に伴い母子世帯も5年間で1.4倍になった。なお、02年は、ストラや就職難の影響が出たため中年や若年層が中心の「その他」世帯も同1.7倍に急増した)である。保護を受けることになった理由で、もっとも多かったのは「けがや病気によるもの」で38.6%、ついで「仕事の収入が減ったり、なくなったりしたため」が20.4%で、このうち失業による収入の減少が3分の1近くを占めている。

95年度から02年度にかけての受給者数の増加率は、全国では40.9%だが、大阪市は74.8%、川崎市は84.3%と、都市部で伸びが目立つ。

00年度の生活扶助基準額は、大都市部で親子3人世帯の場合、16万3,970円である。

国が4分の3、地方が4分の1を負担している保護費は2兆円規模、地域別では、東京、大阪、北海道の増加が目立つ。

 地方の約3割増しになる東京の生活扶助基準は、東京都区部の標準3人世帯が月額16万2千円余、地方の郡部が約12万5千円。高齢者夫婦世帯の場合は、東京都区部が約12万2千円、地方郡部が約9万5千円である。東京で70歳の1人暮らしなら、生活扶助の約7万7千円に老齢加算の約1万8千円が上乗せされ、9万5千円を超える。また、働いて自立している母子家庭より、生活保護を受給している母子家庭の平均収入が多くなっており、中には、東京都心の一戸建てに住み、高い保護費を受給している人もいる。

 一般の老齢基礎年金は6万円台なので、単純に比較すれば生活扶助は基礎年金より高いこととなる。この現実は、国の世話にならず苦しい生活に耐えているボーダーライン(境界所得)層より生活保護受給者が恵まれているともいえる。

 さらに、必要に応じて住宅扶助(単身で最高約5万5千円)のほか、教育、医療、介護、出産、生業、葬祭の扶助が加わる。認定調査が厳しく、ぜいたく品は持てないが、手厚い保護に安住し、働く意欲を失う人も多いことが指摘されている(金額は03年現在)。

こうした生活保護制度が、1950年度の創設以来、およそ50年ぶりに大幅に見直された。

04年4月から生活保護のうち生活扶助の給付額を、公的年金の物価スライドに合わせて0・2%減額し、4月から、70歳以上の高齢者に上乗せされている「老齢加算」を3年かけて段階的に廃止する。その結果、70歳で1人暮らしの場合、現行の月額9万5,140円(東京)から、両方で計8,410円が減らされることになる。
 また政府(厚生労働省の専門委員会)は、母子加算の廃止をふくめ、一般世帯の7程度とされる最低生活費の基準額そのものの引き下げも視野に検討を進めており、05年度の抜本改正を目指している。

 しかし生活保護基準は、最低賃金などにも「指標」として援用されており、引き下げは国民全体の生活水準にも影響を及ぼす影響が強い。

なお、1957年、当時の生活保護水準が憲法違反とし、人間裁判として有名な「朝日訴訟」を起こした故朝日茂さんは、40年前の手記に、「政府は、軍国主義復活へと着々と安保体制を遂行し、ごまかしの社会保障を強引におしすすめている。…華やかな経済成長のかげに、被保護者には矛盾のトゲが痛いほど刺さってきている。社会保障の拡充などというのは選挙のときだけ」とつづっている。 

ところで、人口に占める生活保護受給者の割合(保護率=高齢者の割合や地域の経済事情によっても異なる)の過去9年間の増え方に都道府県により最大約60倍の開きがあることが06年5月15日、厚生労働省のまとめで分かった。95年度と04年度を比較した。最も増えた大阪府は人口1000人当たり11.4人から23.2人と11.8人増加。最も増え方が小さかった富山県は2.0人から2.2人と0.2人の増加にとどまった。

 

2005年度の生活保護世帯数(月平均)は104万1508世帯と前年度より4・3%増となり、1951年度の統計開始以来、初めて100万世帯を突破した。被保護者数も10年連続増加の147万5838人だった。新規の生活保護世帯は減少傾向にある一方、生活保護受給を続ける世帯が多く、保護世帯は13年連続の増加となった。厚生労働省は、「いったん保護世帯となると長期化する傾向がみられる。長期化は、格差の固定化を示している可能性がある」と分析している。同省が6日公表した社会福祉行政業務報告で明らかになった。05年度の内訳は「高齢者世帯」が45万1962世帯とトップ。次いで「障害者・傷病者世帯」38万9818世帯、「その他の世帯」10万7259世帯などだった。新規の受給世帯の理由をみると、「けがや病気」が42・8%と最も多く、次いで「失業や収入減」が19・5%だった。生活保護世帯の受給期間は、「10年以上」25・5%、「5年〜10年未満」22・9%となり、5年以上の長期間にわたって受給を受けている世帯が全体のほぼ半分を占めていた。被保護者の年代別の内訳は、70歳以上が27・1%と最多で、60歳代が22・7%、50歳代が16・3%と続き、高齢者ほど割合が高い。ただ、世代ごとに1000人あたりで生活保護を受けている人の数を示す「保護率」(04年)をみると、20〜30歳代は3・66人、40歳代は6・98人でいずれも8年連続増で、「働く世代」でも被保護者が増える傾向が見られた。

 

☆教育を受ける権利☆

 

国民が、社会の一員として「人たるに値する」生活を営むためには、一般的な常識と一定の文化的・社会的・政治的教養、さらには見識が必要である。そのため、基本的人権の中の社会権の一つとして、憲法第26条が国民に保障しているのが、教育を受ける権利である(世界人権宣言第26条「世界人権規約」A規約第13条)。

すなわち「すべて国民は、法律(教育基本法、学校教育法、日本育英会法、民法等)の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」のである(教育を受ける機会の均等)。教育の機会均等については、教育基本法第3条1項が、「@すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって、教育上差別されない A国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない」と、これをさらに具体的している。ただ、憲法は、「その能力に応じて」という条件を付けているので、能力による差別(区別)は許されることになる。

また憲法は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育(義務教育)を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」と規定し、教育を受けさせる義務と義務教育の無償についても定めているが、義務教育の無償については、教科書や文房具などまでは無償である必要はないというのが、一般的の見解である。

 

☆勤労(労働)の権利☆

 

 労働の意欲と能力がありながら就職できない者が、国家に対して労働の機会(職に就ける機会)を請求できる権利、あるいは、失業補償を受ける権利で、憲法第27条は、勤労の権利としてこれを保障している。また、世界人権宣言第23条は、1 すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する」と規定し、さらに「世界人権規約」A規約第6条もこれを保障している。

だがこれらの規定はプログラム規定の意味しかなく、憲法の規定を根拠に国家に労働の権利を具体的に主張しても認められないのが現実である。すなわち労働の権利は、国家による具体的な法律の制定によって初めて具体化される性質のものでと言わなければならないのである。そのための法律として、雇用対策法、雇用保険法、失業対策法等が制定されている。また解雇4条件に見られる解雇制限法理も労働の権利の側面から重要なる役割を果たしている。 

 

☆労働基本権☆

 

労働者生存権(「人たるに値する生活」)確保のために保障される基本的権利で、労働者の団結権(労働者が労働組合を結成し、組合運動をする権利)・団体交渉権(労働組合が、使用者または使用者団体と賃金・労働時間その他の労働条件を維持改善するために交渉する権利で、使用者はこれに応じる義務を有する)・争議権(労働者が団結し、労働条件の改善などの目的を貫徹するため、ストライキその他の争議行為をする権利)の三つの権利(労働3権)によって構成される基本的人権の一つである(憲法第28条)。使用者がこれらの権利侵害した場合は、不当労働行為になる。

なお、これらの権利は、労働組合法により具体的に保障されているが、労働3権は、単なる自由権より以上の積極的意義を有している理解されている。

 

☆不当労働行為☆

 

労働者の生存権である団結権・団体交渉権を保護するため、使用者による権利侵害を不公正(不当)な行為として法的に禁止する制度で、1930年代アメリカでニューディルの一つとして創設されたのが制度の始まりである。

戦後民主化政策の一環として制定された労動組合法第7条もこの制度を導入し、使用者が労働者の組合加入や組合活動を理由に「不利益取扱い」をすること、組合の運営に「支配・介入」すること、正当な理由なく団体交渉を拒否することなどを不当労働行為として禁止している。なお、不当労働行為を受けた労働組合や組合員は、労働委員会に救済を申し立てることができ、労働委員会は不当労働行為と認めた場合、その禁止や回復措置を命ずる救済命令を出すことになる。

 

☆法の下(もと)の平等☆

 

権利の享有や義務の負担に関して、全ての人が法律上平等に取り扱われなければならないとする民主主義の根本原則を、法の下の平等(法の前の平等)という。近代憲法の基本原則の一つであるが、当初は、法律の適用において平等に取り扱われる意味として認識された。しかし、法律の内容自体が平等でされなければ、不平等な法律を平等に適用したところで、平等の実現は到底出来るものではない。そこでこの原則は、法の内容そのものがすべての人に平等でなければ意味を持たないものとして理解されるようになり、現在では、法の内容と適用において平等でなければならないものと取り扱われている。

日本国憲法は第14条で、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地(もんち)により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定し、このことを明確にしている。同条は、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により」と規定しているが、これらは例示的に上げられたもの(例として示すもの)にすぎず、これ以外の基準以外での合理的理由のない差別が許されないのはいうまででもない。これに対して合理的理由に基づく取り扱い、例えば、女性特有の事柄である出産等に対する男性とは違った特別な取り扱い(女性の出産休暇等)は、平等原則に反しない。 

なお、世界人権宣言第7条 は、すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する」と、さらに国際人権A規約第2条2項は、「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する」と規定し、このことを宣言している。

 

☆公務員☆

 

一般的には、国または地方公共団体の職務(公務)を担当し、国民全体に奉仕する者(憲法第15条)をいう。選任される方法を問わず、立法・行政・司法および地方公共団体(地方自治体)のどの部類に属するかも問題ではない。広義の意味では、国会議員や地方議会の議員・職員、裁判所の裁判官や職員も含むが、狭義の意味では(一般に公務員という場合は)、国会議員や地方議会議員を除き、それ以外の国または地方公共団体の公務を担当する行政組織の職員のみを指す。

国家公務員と地方公務員とがあるが、国家公務員は、国に雇用されて、国の公務に従事する職員、地方公務員は、地方公共団体に雇用されて、地方公共団体の公務に従事する職員で、いずれも特別職と一般職とに分かれる。特別職は内閣総理大臣・国務大臣・国会議員の秘書・大使・裁判官・地方自治体の長など、その地位・職務が特別の性格をもっていて、国家公務員法・地方公務員法の適用を除外される職で、それ以外が一般職である(国家公務員法第2条)

また、国または地方公共団体の行う業務のうちで、非権力的、経営的性格を有するものを現業と称し、権力的性格を有するものを非現業と称する(ただし両者を区別する基準は明確ではない)。

かつては、郵便事業、国有林野事業、印刷事業、造幣事業、アルコール専売事業の5つが国の5現業とされていたが、1982(昭和57)年にアルコール専売事業が、新エネルギー総合開発機構に移管されたので4現業となった。

 なお、民間企業の労働者には、憲法第28条により団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)が認められているが、4現業の職員は公共企業体等労働関係法(公労法)により、団結権のみ認められ、争議権は認められていない。組合と当局側の賃金紛争が解決しない場合は、公共企業体等労働委員会(公労委)が行うあっせん(斡旋)、調停、仲裁により処理される。

 地方では水道事業、工業用水道事業、軌道事業(路面電車など)、自動車運送事業、地方鉄道事業、電気事業、ガス事業が自治体の行う現業とされている。

刑事上の公務員は、賄賂罪成立の要件になっているが、刑法は議員を含めた公務員の定義をもうけている(刑法第7条この法律において「公務員」とは、国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する議員、委員その他の職員をいう」)。さらに、例えば日本道路公団や住宅金融公庫等の公団や公社の役員や職員は、「法令により公務に従事する職員」とみなされているので、賄賂罪に問われることになる。

 

☆公務員の選定・罷免権☆

 

日本国憲法第15条1項は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と規定し、 公務員選定・罷免権が基本的人権の一つとして国民固有の権利と宣言している。これは日本国憲法の基本原則の一つの国民主権の思想から由来するものであり、国家・地方を問わず全権力は、国民にその源を有することを表現するものである。つまり、すべての国家や地方の機関(公務員)は、国民や住民の信託(信頼して、政治などを任せること)によってその権限を行使するのであるから、公務員を選定・罷免する権限は主権者である国民になければならないことを明らかにしたわけである。ここから、憲法第15条2項の「公務員は全体の奉仕者」でなければならい考えが生まれるのである。

ただこのことから、すべての公務員の選定・罷免について国民が関与することを意味しない。それはまた現実に不可能である。とどのつまり、国民の公務員の選定・罷免権は、公務員の地位と権限が国民の意思に立脚しているので、その権力の行使に際しては、国民全体の利益に沿って、公平に行われなければならないという意味に理解されなければならない。

 

☆法治国家☆

 

国家権力の行使は、すべて主権者である国民が選出した議員によって構成される国会で(国民の意志によって)制定された法に基づいて行われなければならないとする「法治主義」の国家を法治国家という。すなわち、法に基づいて国家権力の行使(国政の一切)が行われ、国民の基本的人権の保障を原則とする国家で、単に法治国ともいう。

法治国家では権力分立制が採用され、国会によって制定された法律でなければ、国家は国民に作為・命令・禁止等の権力(他人を支配し従わせる力=強制力)を行使することはできないとされている。つまり法律は、国会で制定され、行政もその法に基づいて行われ、裁判は国会や行政から独立した司法機関である裁判所でなされなければならないということである。

かつての法治国家は、法律によるものであれば、国民の基本的人権さえも制限・侵害できるとされていたが(形式的法治国家論)、第2次世界大戦後は、日本国憲法の基本的人権尊重の思想に見られように、法そのものが正義(国民の基本的人権を尊重・擁護すること)に合致するのもでなければならず、当然に基本的人権の制約には一定の限界があると理解されている(実質的法治国家論)。

 

法の支配

 

国民の人権保障を主たる目的に、国王の専制的、恣意(しい)的権力が社会を支配(人の支配=封建的専政政治)するのではなく、法が支配すべきであるとする思想ないし原則(すべての権力に対する法の優越性を認める考え方)、つまり、社会の規律を、権力者や組織の思惑にではなく、ルールの公正な運用に求めようという考え方であり、イギリスにおいて名誉革命によって確立され、その後の英米憲法の指導原理の一つとなっている。

もともとは、17世紀、国王ジェームス1世の専制政治に対して、裁判官エドワード・コークが、中世(13世紀)イギリスの法学者ブラクトン(Henry de Bracton [?〜1268])の主著『イングランドの法と慣習について』(豊富な判例を用いながら生成期のイギリス法を体系的に説明したもので、イギリス法の基本的著作の一つといわれている)に記述された「国王は何人(なんぴと)の下にもない。しかし、国王といえども神と法の優越の下にある」という言葉を引用して対抗したことに由来する。

その後、19世紀イギリスの法学者オックスフォード大学イギリス法教授ダイシー(Albert Venn Dicey [1835〜1922])によって、その主著『英国憲法論』(Introduction to the Study of the Law of the Constitution〔1885〕)において、「@専断的権力の支配ではなく、人権を保障する正しい法(コモン・ロー)の絶対的支配(「人の支配ではない」という意味) A地位や身分を問わず、あらゆる人が国の正しい法に従い、かつ通常裁判所の裁判権に従う(国王も国民もみなただ一つの法の下に従うという意味) B正規の法の優位・法の下の平等・憲法の一般原則は、私人の権利を決定した裁判所の判決の結果」という三つの内容を中心として体系化・理論化された。

 現代においては、行政権の拡大の現象に応じて、法の支配はダイシーの分析から変質し、イギリスにおいては、議会主権原理との調和の下に法の支配が存立しているのに反して、アメリカでは、基本的人権を保障した憲法が優位を占め、議会の制定法もそれに違反してはならないとされ、それを制度的に保障するために憲法裁判が認められる(司法権の優位)という形態をとっている。

 すなわち、現代の法の支配の具体的内容の第1は、国民の基本的人権は、国家権力によって侵害されないとの考え方の下で、国民(個人)の人権を保障することにある(これが法の支配の中心であり、究極〔最後に到達する〕の目的である)。第2に、憲法に反するいかなる国家行為をも無効とすることである。当然のことながら、憲法に適合するかどうかを判断する機関は、立法権や行政権を行使する機関とは別個独立の存在たる司法裁判所でなければならない。これらにより、はじめて法の支配が貫かれることとなる。

なお、戦後アメリカの指導で制定された日本国憲法は、基本的人権の保障・憲法の最高法規性・違憲立法審査権などを見られるように、特にアメリカ的な法の支配を採用しているといわれる。

ところで、元最高裁判事で英米法学者(東大法学部教授)の伊藤正己氏は自著の「裁判官と学者という二重の鏡に映し出された最高裁判所の姿を綴るとともに、最高裁第3小法廷において発表し反響を呼んだ自身の『少数意見』をまとめあげた裁判官と学者の間』のなかで、「いうまでもなく『法の支配』の核心は、公権力が法によって規制されること(「国王も神と法の下にある」という中世的表現が思いおこされる)にある(中略)。残念ながら最高裁の裁判官の意識のうちでもこの「法の支配」の意義が十分に認識されず……」と嘆いている。

 

戦後憲法の根幹は立憲主義の徹底、そして法の支配(rule of law)の原理の導入。

芦部信喜・元東大教授による憲法学の代表的教科書『憲法 第四版』によると、その内容は「専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理」。例えば国会が作った法律が人権を侵害するなら、裁判所は違憲無効の判決を出す。これに対し、法律で決めれば中身は問わないのが戦前の法治主義。改憲をめざす安倍首相が国会で「法律の支配」という耳慣れない言葉を連発していたのは、いかなる意味なのか気になるところだ(07年04月22日付『朝日新聞』)。

 

 「法の支配はいま、世界中で危機に直面している」==イラクで続く民間人の殺害などを例に挙げて、弱者を守るための法の支配が無視されていると警告したアナン第7代国連事務総長Kofi Atta Annan 。1938〜。ガーナ共和国クマシ市生まれ、アメリカ・マカレスター大学経済学部を卒業、ジュネーブ国際高等大学大学院を経て1962年国連事務局に入る。93年国連平和維持活動担当事務次長に就任、90年湾岸戦争の際、イラクへ派遣され人質解放などの交渉にあたり、旧ユーゴスラビア担当国連特別代表も務めるなど、紛争地域に数多く派遣され解決に貢献、97年1月1日、初めての事務局出身の事務総長に就任。01年、国連とともにノーベル平和賞を受賞、02年再任された。任期は06年12月31日まで)の言葉。なお、アナン氏は「イラク戦争は違法」だと、英メディアに語ったが、総会の演説では「違法」は「法の支配の危機」に変わっていた。しかし、危機をもたらした国の一つを米と名指ししたと同じである。また、同氏は、03年の総会演説で、米が明確な安保理決議なしにイラク戦争に踏み切ったことを厳しく批判し、「法を逸脱した武力行使が拡散するのではないか」と懸念を表明したが、04年は、法の支配が各地で崩壊しているとの認識を表明したことになる(04年9月21日付『朝日新聞』&04年9月23日付『朝日新聞』−「天声人語」)

 

☆歳費(さいひ)

国会議員の活動に対して支払われる報酬、つまり国会議員が国庫から支給される1年間の給与(年収)を歳費という。国会議員は国民の代表者として国政に従事するが、そのためには、国政、すなわち議員活動を円滑に行えるように必要な金銭が保証されなければならない。そこで、憲法第49条は、「両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける」ことが出来ると規定するところとなる。これを受けて、歳費法(国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律)を制定し、具体的な定一定の報酬額が保証されており、それは、毎月の歳費(給与)や各種の手当を受け取ることができる。
 国会議員の場合、歳費は月額で137万5,000円、これと年3回にわたり支給される期末手当(賞与)が加わり、年収にすると約2370万円となる。このほか議員には、文書通信・交通滞在費として、毎月100万円を支給される。
 また、公務による出張の場合は、旅費・宿泊費等必要経費が全額支給される。さらに、在職25年以上の「永年勤続議員」には月額30万円の特別交通費や100万円の肖像画代は、支給されるが、これについては、廃止の方向で調整されている(01年12月現在)。
 国会議員中、衆議院と参議院の議長は、いわゆる「三権(立法・行政・司法)の長」として、首相や最高裁判所長官と同額となり、衆参両副議長は国務大臣(閣僚)の月額報酬に同額、国会議員は、一般職の国家公務員の最高報酬額(事務次官の報酬)を下回らないこととなっている。

 

==================================

 

基本的人権思想

自由権のページ

平等権のページ

社会権のページ

参政権のページ 

請求権のページ

幸福追求権のページ

新しい権利のページ

基本的人権

主権

トップページ

目次

ミニ事典