地方大学の現状と課題

 

1)日本の国内総生産(GDP)等に占める高等教育に対する公財政支出の割合は,他の先進諸国に比べて極端に低い。対国内総生産比(1997年)は日本0.5%,米国1.4%,英国0.7%,仏国1.0%,独国1.0%(OECD “Education at a Glance OECD INDICATORS”2000 Edition),また対国民所得比は,日本0.9%(1997年),米国1.4%(1995年),英国1.8%(1995年),仏国1.2%(1995年),独国2.0%(1996年)である(文部省「教育指標の国際比較」1999年版)。

特に私学に対する助成はお粗末の一語に尽きる。1976年成立の「私立学校振興助成法」成立に際する参議院での「私大経常経費の50%補助の速やかな実現に向けて努力する」との付帯決議は,無視され続け,1980年の経常経費助成率29.5%をピークに,それ以後減少の一途を辿り,1995年度から1997年度までは12.1%を維持したが,ついに1998年度には11.8%までに低下した。なお,一般助成額は1981年度の2,754億円がピークであった。また2000年度は総額3,070億円と微増したが,一般補助は,前年並みの2,255億円にとどまった(国庫助成に関する全国教授会連合編『第27回全国総会資料』)。

その結果,国公立大学と私立大学との間には28倍(公財政からの支出)という天文学的な差別(区別)がつくことになった。すなわち1994度の学生1人あたりの公財政支出学校教育費(大学別・学部別を無視した全平均)は国公立(在学者数753,000人)4,041,684円に対して私立(在学者数2,305,000人=全体の75.4%,1998年度では76.8%)は,145,837万円にすぎないのである(文部省『教育指標の国際比較』1994年版)。これに大学独自の財源を加えても1,627,614円で,国公立の約40%に過ぎない。

差別的格差はこればかりではない。例えば,1996年度の無利子貸与奨学金の奨学金貸与率(有利子貸与率では顕著な差はない)は国公立17.2%に対して,学費の高い私立は5.4%と約3倍の格差である(私大連盟編『ユニバーサル時代の私立大学』)。

ようやく(遅きに失したが)大学審でも00年6月の「審議の概要」で私学助成の項目(『私学助成の推進』)が設けられたが,わずか3行(「私立大学等については,特色ある教育研究を積極的に行うことができるよう,私学助成の推進を図るとともに,社会的要請の強い特色ある教育研究プロジェクトに対する重点的配分を一層図る必要がある」)に過ぎない。

 

2)日本の出生数は,1999年には117万7,663人(27秒に1人出生)となっており,98年比25,484人の減少(1998年は前年より若干増加した)であった。1970年代の第2次ベビーブーム期には,出生数は200万人を超えていたが,1975年以降は毎年減少を続け,1990年には122万1,585人まで減少した(その後はおおむね120万人前後で安定していた)。少なくとも長期的に見れば減少傾向が続いているのは明らかである。

当然,合計特殊出生率(15歳から49歳までの1人の女性が一生の間に生む平均の子どもの数)も急激に低下し,1965年10年間はほぼ2.1人程度で安定していたが,1975年に2.00を下回ってからは長期低落傾向に歯止めがかからず,1999年には過去最低の1.34(98年1.38)人となった(愛媛県のそれは1999年1.40,1998年1.46人である)。すなわち日本の合計特殊出生率は,人口置換水準(現在の人口を将来においても維持するのに必要な水準)である2.08を大きく下回っており,この傾向が続けば,当然日本は深刻な人口は減少問題に遭遇することとなる。なお,諸外国の合計特殊出生率(1998年,ただしアメリカは1997年)は,次のとおりである。イタリア1.19,ドイツ1.41,スウェーデン1.51,英国1.70,米国2.03(http://www.mhw.go.jp/toukei/11nengai_8/brth.html)。

 

3)1999年度の大学入試で地方私立大学の志願者減が一層鮮明になり,2000年度はそれに拍車をかけた。特に地方私大は惨憺たる現状であった。実質競争倍率が1倍台の学部が急増し,定員割れが4年制大学でも出たのである。例えば,中四国の中核都市である広島県でも1999年度に初めて医学系や福祉系など就職に有利な学部は別にして,文系を中心に一部の4年制大学で起きた(なお,99年春の大学入試志願者数は延べ356万2505人で,前年度比8・5%減。掛け持ち受験が減ったとみられる。また,受験生70万人中私大専願者は20万人にすぎなかった−1999年7月4日付『日本経済新聞』)。

当然,このような1999年度入試において地方私大に象徴的に現れた変化が,この先,大都市部の大学にどの程度まで波及するのだろうかということが盛んに話題となった。危機感をもった東京の私大,例えば,早慶明など「東京12大学広報連絡協議会」は大阪・名古屋・福岡に進出,これに対して関西私大は,関関同立ほか65大学で「京阪神私立大学入試広報懇談会」で迎撃体制(大阪・京都・神戸・神戸・広島・岡山の5会場で開催)を確立した。関西の大学の「東京の大学の方が地名度が高い。うかうかしていると地元,関西の受験生をさらわれてしまう」という,危急存亡感の表現を意味した。

さらに,2000年度入試で実質倍率(合格者に対する受験者の割合)1倍台の4年制私立大学46%に達しているが,この数字は1999年に比べて1割弱の増加である。学部別では,医学・歯学部0%(同0%),薬学・看護学部5%(同5%),農学・水産学部11%(同5%)と医薬農学系は低いが,法学部43%(99年37%),経済・経営・商学部51%(同37%),文・外国語・社会学部48%(同40%)と,文系学部で顕著,理工系学部も43%と文系なみである(「駿台予備校」調査)。

 

4)社畜とは,企業に飼い馴らされた会社人間のこと。つまり生活はすべて会社の人間関係だけで成立しているサラリーマンを揶揄していう言葉である。これまで多くの日本人は,会社のランクが,まるで人間のランクそのものであるかのように思ってきた。だから世のサラリーマンたちは,家族のために,否,実は家族を犠牲にして寝食を忘れて,売上げをのばし,会社を大きくするために働いてきた。学校教育もこうした価値観に一役買い,偏差値の高いいわゆる一流ブランド(特定銘柄)大学を出て,東証1部上場の歴史のあるいわゆる一流・有名企業に就職することを至上目的としてきた。そこから受験戦争(「お受験」)という言葉すら登場し,教育は大学受験を基礎として成り立つようになった。

いうまでなくそれは,大企業を中心とした終身雇用制= 年功序列型賃金体系が基盤にあったために可能な構造であった。その結果,「会社との絆が一番大切」という価値観が絶対視され,会社は,個人や家族の犠牲の上に成立し,日本は高度経済成長を達成したのである。

だがバブルの崩壊で,実は「会社との絆は細い糸」であったことが明らかになった。バブルの崩壊は,企業の本当の姿を知らしめたのである。実際,懸命に過労死するほど働き続けた結果,生活は一向に楽にならないかわりに,企業ますます太り,銀行からの借り入で土地を買いあさり,挙句の果ての地価狂乱である。家族が寄り添って暮らす個人の住まいなど,(都市圏では)『遠い夢のまた夢』=『うさぎ小屋』(「うなぎの寝床」)にも住めない。やっと手に入れたマイホームは満員電車で往復3時間以上かかる郊外,家は諦めてせめて車に走りたいが,今は雇用不安で車さえ買えない。あげくの果ては退職勧奨・希望退職,人員整理,指名解雇。狙われるのは管理職(中高年ホワイトカラーがターゲット)である。まさに管理職エレジー。給料が高いうえに,未組織なので組合の抵抗もないからである。

経営陣は確たる証拠もないのに企業内失業者何百万人といい,マスコミやそれに迎合する評論家と称する人々がそれを煽る。リストラ=事業の再構築に人材は最大のよりどころ,本来中高年層の知識や意欲を,新規分野の開拓などに生かすべきなのに,リストラと称して首を切ることだけに奔走する。「雇用をあくまで守るのが経営にあたる者の努め。やるならその前に,経営者自らが責任をとるべきだ」という言葉など,馬耳東風である。

 

5)1.2000年3月の高等学校卒業者数は,1,329,000人(前年より34,000人減少)。うち,

@

大学等(大学学部,短期大学本科,大学・短期大学の通信教育部,大学・短期大学の別科,高等学校専攻科,盲・聾・養護学校専攻科)への進学率は,45.1%(前年より0.9ポイント上昇)で過去最高。また大学・短期大学への入学志願率(現役)は55.6%で過去最高。なお,大学等進学率(過年度高卒者を含む。)は 49.1%。

@男子の進学率は,42.6%(前年より2.4ポイント上昇)で過去最高。

A女子の進学率は,47.6%(前年より0.5ポイント低下)。

A専修学校専門課程への進学率は,17.2%(前年より0.4ポイント上昇)で過去最高。

@男子の進学率は,15.0%(前年より0.2ポイント低下)。

A女子の進学率は,19.3%(前年より1.0ポイント上昇)で過去最高。

 B就職率は,18.6%(前年より1.6ポイント低下)で過去最低。

@男子の就職率は,20.7%(前年より1.7ポイント低下)で過去最低。

A女子の就職率は,16.5%(前年より1.6ポイント低下)で過去最低。

B大学・大学院学生数のうち女子の占める比率はともに過去最高。大学院学生のうち12.1%が社会人。

 

 2.大学(大学院を含む。)の学生数は,274万人(前年度より3万9千人増加)で過去最高。このうち女子は,99万2千人(前年度より3万3千人増加)で過去最高。その占める比率は,36.2%(前年度より0.7ポイント上昇)で過去最高。

3.大学院の学生数は,20万5千人(前年度より1万4千人増加)で過去最高。うち

@女子は,5万4千人(前年度より5千人増加)で過去最高。その占める比率は,26.4%(前年度より0.7ポイント上昇)で過去最高。

 A大学院学生のうち社会人(経常的な収入を目的とする仕事に就いている者。ただし,企業等を退職した者及び主婦なども含む。)は,2万5千人(男子1万7千人,女子8千人)で,その占める比率は 12.1%(99年度から調査開始)。

3.短期大学の学生数は,32万8千人(前年度より5万人減少)。

5.2000年3月の大学(学部)卒業者数は,53万9千人(前年より6千人増加)で過去最高。

 

  @大学院等(大学院研究科,大学学部,短期大学本科,大学・短期大学の専攻科,別科)への進学率は,10.7%(前年より0.6ポイント上昇)で過去最高。

  @男子の進学率は,13.1%(前年より0.8ポイント上昇)で過去最高。

  A女子の進学率は,6.8%(前年より0.3ポイント上昇)で過去最高。

  A就職率は,55.8%(前年より4.3ポイント低下)で過去最低。

  @男子の就職率は,55.0%(前年より5.3ポイント低下)で過去最低。

  A女子の就職率は,57.1%(前年より2.7ポイント低下)。

  B卒業者数のうち進学も就職もしていないことが明らかな者(家事の手伝い,研究生として学校に残っている者及び専修学校・各種学校・外国の学校・職業能力開発施設等ヘ入学(所)した者など。以下同じ)は, 12万1千人(男子7万1千人,女子5万人)で,前年より1万5千人増加(男子1万人増加,女子5千人増加)し過去最高。

 

6.2000年3月の短期大学(本科)の卒業者数は,17万8千人(前年より1万5千人減少)。

 @

大学等への進学率は,9.4%(前年より0.6ポイント上昇)。

A就職率は,56.0%(前年より3.1ポイント低下)。

B卒業者数のうち進学も就職もしていないことが明らかな者は,4万2千人(前年より4百人減少)。

  (http://www.monbu.go.jp/stat/r316/youshi00.html)

 

6)大学生の不登校についての基本的調査はないが,民間教育機関ニュースタート事務局の推計では全国で3万人程度,不登校率1.2%〜2%と推定している(この数字は中学校の1.89%並みである)。かかる学生の復学率については,香川大学保健管理センターの1993年の調査で,わずか18%に過ぎなかったことが報告されている。

もとよりかつても不登校の学生はいた。だが,現在のそれが深刻なのは,過去の不登校が積極的に大学へ「行かない」不登校であったのに対して,現在は「行けない」不登校にある。つまり人付き合いが下手なので,人間関係がうまく構築できずに孤立,不安で入学しても登校できないでいるのである。あるいは希望に燃えて勉学意欲が旺盛(と,いわないまでもそれなりに期待して)入学したが,あまりの授業のつまらなしに愕然とし,あるいは周りが勉強にないのに落胆して,急速に意欲が萎え…!! はたまた,大学で突然自主性が求められることへのギャップがストレスにつながり,それが対人恐怖症へ発展して引きこもり現象が起きのである。高校までは受験勉強と規則で管理され,また街中での生活になれて,さらに家庭では家族の手厚い庇護と至れり尽せりの生活だったのが,街からはるかに離れた広いだけの荒野で,入学した瞬間から,ただぽつんと孤立する状況に遭遇するといった落差がそうさせている(例えば広島大ではキャンパス移転で自殺者急増している)。

すなわち,心を病む大学生“増殖”に対して適切な対策を取らなければ,場合によって,思いつめて自殺にいたるケースも出てくる。現に1997年の大学生死亡原因の第1位は,病気(62人)・交通事故(61人)人・日常生活中の事故(17人)・スポーツ事故(4人)を凌駕して自殺が第1位(83人)である(なお,99年は99人に増加している。また父母の自殺による見舞金も97年の97人から99年は149人に急増している。自殺者3万人時代の深刻な一つの数字である(日本生協連調べ;加入者約69万人の「学生総合共済給付事例」から)。

こうした状況に対して「大学は学問の府,不登校の学生はほっておく」では,アパシー・無気力症候群の学生の拡大再生産にしかならない。また高額(?)学費を徴収している学生に対するケアの視点から見ても,余りにも冷たいし,責任の放棄とも見られる。そこで関西学院大のカウンセリング室では,ランチタイムトーキングと称して,その対策に積極的に取り組んでいる(2000年6月17日付『毎日新聞』)

 

7)私語対策として青森公立大では1999年11月,青森県の職員らが講師を務める授業において私語の学生を出席点ゼロのするといった荒治療を行った。すなわち授業中に私語を交わした学生2人について,成績評価の半分を占める出席点を零点にし,実名入りで学内の掲示板に張り出していたのである。公立大学ゆえにスポンサーである県当局に遠慮(「行政への過度の配慮」)との批判の中,学部長は「私語がいかに失礼かを学生に思い知らせるために,一番効果的で当然の処置だ」としている。是非は別にして,私語の深刻さを物語る一つの証左である。

 

8)意見を言わないのは学生ばかりではない。教職員の同じである。以下はそのエピソードの1つ(「トイレの花子さん,エレベーターの花男さん」――落含恵子(『週刊金曜日』第111号「風速計」)より)。でもトイレの花子さんがいる大学はましか?

「『もっ,腹が立つ!』 某私立大学に勤務する女友だちからの,深夜の電話である。プライバシーの問題があり,具体的なことは書けないが,要はこういうこと。其大学の或る規則について……門外者のわたしが聞いても,アンフェアな規則だ……,改革が必要だという声が,長年,学生や教職員からあがっていた。しかし,理事長をはじめ主流派と呼ばれるひとたちは改革にむろん反対。改革を求める側も,学内で,『ラジカルな改革派』というレッテルが貼られることを恐れ,陰で不満を募らせていただけだった。何度かミーティングも開かれた。そこでも,ほとんどが改革の必要性を主張した。ところがいざ,理事長『ご臨席』の本会議となると……。『発言したのは,わたしと,間もなく定年で退職する男性だけ。反主流の中でも,この大学ではキャリアのないわたしと,定年間近の彼という,さらに少数派だけが発言したってわけ。ほかのひとは皆ただただ沈黙していただけ。事前のミーティングでは,あれだけ主張していたのに』 『「視線が合いそうになると,慌てて下を向いてしまったり!」『そう。理事長の顔色ばかり見てるの。進行役が,ほかのかたがたのご意見は?と聞いてもシーン』『シーン,シラーッ,シカト。沈黙を破り,異議申し立てをした人間を孤立させる三つのS』 

 そうそう。で,もっと腹立たしいのは,会議が終わってトイレに行ったら,何人かが寄ってきて,わたしにこう言ったの』『あなたの言う通りよ』『頼もしいわ,あなたのようなかたが新しく参加してくださって』,でしょ?  

ご名答。エレベーターでばったり会った男性の教職員も,『あなたが言う通りです,いやあ,しかし,あなたは勇気がおありですね,ハハハーだって。だったら,会議の席でちゃんと発言してよ。トイレや,エレベーターの中で同意されたって,何も変わりはしないんだから』

子どもたちの間では,トイレに出没する花子さんのバージョンが語り継がれている。が,大人社会におけるトイレの花子さんやエレベーターの花男さんははるかに罪深い。自らの発言権を放棄し,少数派をさらに孤立させ,風通しの悪い現状に蓋をしてしまうのだから。そして,主流の力を拡大することに間接的に手を貸してしまうのだから。自分の意見を求められそうになると,腕組みして目を閉じてしまう。賛成派と反対派の長所と短所をそれぞれ手際よく整埋して,どちらにも長所と欠点あり,と一見公平風な評論に徹し,自分の意見は全く述べず,『ま,それぞれご意見がおありとは思いますが』で,止めてしまう。

こういった花子さんや花男さん,あなたの周辺にもいるよね。」

 

9)以下は大学授業の一つの実態(エピソード)である。

 「小中学校で問題になって いる『学級崩壊』ではない。最高学府である大学の話である。かつて真剣に論議された『大学解体諭』はどこへやら。このままじゃ大学は自然崩壊だぁ〜。早稲田大学のとある大教室。いつも閑散とした『マクロ経済学』の講義に200人もの学生が詰めかけ,熱気むんむんだった。理由は明快。前期試験の範囲が発表されるからだ。

 異変が起きたのは,授業開始間もなく。教授が試験範囲を発表し終わると,2,3人がばらばらと教室を出たのをきっかけに,学生がどっと出口に向かい始めたのである。あわてた教授は,最後列の男子学生をつかまえ,『なぜ,出ていくんだ!』としかると,その学生もあせった様子で,『違う,違います』と叫び,教授を振り切ろうとした。そうはさせじと,教授はしがみつき,『名前は?学籍番号は?』と必死の顔つきで迫る。その迫力に負けたか,学生はそれに答えたが,同時にこう叫んだのである。『早く行かないと,間に合わなくなる!』。この学生は教室を間違えていたのだ。それにしても,『前期の最終授業というのに教室が分からないとは,一度も授業に出たことがないな』という周囲のあきれ顔もよそに,バトルは続行。

 誤解だと気付いた教授だったが,もはや引っ込みがつかず,『本当かどうか調べるぞ!』と黒板に学生の名前と番号を書いたが,すぐに消してしまったのである。

 『どうしたんだろう』。残った学生が静まり返る中,疲れ果てた様子の教授が,『今日の授業は,これでおしまいにする』と途中打ち切りを宣言。『やった〜!』。学生の顔に一斉に喜びの表情が浮かんだのを見た教授は,『やっぱり授業を続ける』意地の続行宣言だった。冗談のような本当の話である。」(「何度注意しても私語はやまず,教室を出たり入ったり」=1997年4月7日付『日経新聞』)

 もう一つの例。

「全国のキャンパスは今,科目登録の時期。どの科目を受講したら良いか,その基準についてキャンパスでささやかれる言葉は,『興味があっても5月まで』。要は楽勝科目の受講が一番と言っているのだ。前述の“集団脱走”が生まれるのも,楽勝科目ならほとんど出席せずに単位が取れるからだ。

 もちろん,出席を取る授業も多いのだが,学生の側も百戦錬磨だ。『ひとりで友人20人分の出席カードを書いた学生がいたが,もっと驚いたのは,教壇の私の目の前で,友人5人分のカードを書いていた学生がいたこと』(中堅私大教授)。

 大学側も,毎回出席の証拠に提出するカードの色を変えたり,カードの角を毎回微妙に形を変えて切ったりするが,いたちごっこだ。

 テレビでおなじみの吉村作治・早稲田大学教授が,毎春学生に配る授業での諸注意なのだが,『他の授業の予習,復習をしないで下さい』など,まるで小中学生に対するようなレベルである。『学生とこうして約束しているのです。最近の大学生は,勉強ができるからと親に甘やかされ,基本的なしつけができていない。授業中,僕に向かって,あくびをする学生さえいる。社会に出てやっていけますか。僕は,教師としてそれを教えている』と,吉村教授は,きっぱり。

 『人間形成は家庭や中高校ですべき。学生はもう成人』(富家孝・早稲田大講師)という意見もあり,しっかりした学生もいるのだが,大学教員の仕事はまず,授業中の私語を抑えることなのだ。中でも早朝の授業は,さらに学生の集中力が途切れる。

 また,授業中の私語や居眠り,ケータイでの会話は当たり前。大学生が勉強しないのは今や『日本の常識』となっている。

 学生だけではない。例えば,99年に仙台市体育館で開かれた成人式の模様は有名となった。着飾って詰めかけた新成人は約9,500余人。ところが,会場周辺で友達と記念写真をとったり,おしゃべりに夢中になったりで,式典会場に入ったのは2〜3割程度で,吉村作治早大教授の記念講演の最中も,友達との会話に夢中になったり,携帯電話をかけまくったり,まさに『講義崩壊』いや『講演会崩壊』である。学生の私語にはなれているはずの吉村教授もついに激怒し,早々に退場したという。
 『私語は昔からあったが"うるさい黙れ"と一喝すれば静まった。今はどうしてもだめ』とは,経済学者の飯田経夫・中部大大学院教授の談。とすれば,学部で講義している先生方のうち,かなりの人が,独り相撲の後"背中に哀愁を漂わせて"教室を後にしていることとなる。教室でも講演会場でも,聴く側の席に座ったからには,黙って静かに聴くのが礼儀であって,声高に私語をしたり,席を立って歩き回ったりするのは社会人として失格なのはいうまでもないが…」(
「哀愁漂う教師の背中」=1999年1月31日付『東京新聞』―「社説」)

 

10)これは子供の成長を祝う行事のことではない。授業についていける子の割合が小中高の順に7割,5割,3割に過ぎないという話である(99年度の「教育白書」参照)。

 

11)学生情報センターの調査(1999年3月―調査は1998年12月に首都圏・近畿圏・愛知県・広島県に居住する2500人に対するもの)によると,在籍校に対する満足度は6割と比較的高いのに対して,授業に対しては,半数の学生が「わかりにくく,つまらない」と感じており,対照的である(なお,1年生,2年生では授業を「わかりにくく,つまらない」と感じている学生が約5割〜6割を占めるなど,突出した数宇を示している。

 

12)駿台予備学校系の「駿台教育研究所」(東京都千代田区)が,同予備校出身の大学1年生を対象に実施した調査(東大,東工大,一橋大,早大,慶大など106大学の1,273人が回答)では,科目によっては「講義についていけない」「半分しか分からない」を合わせると,実に全体の8割以上の学生が授業の難しさに困惑しているとの結果が出ている(「大学生の8割『授業難しい』『教授,講義わかりません』―入学しても予備校通い? 「物理の基礎知らない」―2000年8月4日付『東京新聞』―「こちら特報部」」

 同研究所が「大学の講義に関するアンケート調査」を行ったのは,同予備校出身者が大学で学力問題に悩んだり,大学生の学力低下が指摘されているのを受けたものであるが,調査の詳細は,

@ 「理解できない,ついていけない科目は何か」との問いに,理系学生の41・7%が「数学」,36・7%が「物理」,22・9%が「化学」と答えた。文系学生では22・1%が「第二外国語」。

A理解できない度合いについては理系学生の34・3%が「ほとんど理解できない」,46・9%が「半分程度は理解できる」と打ち明けた。

  B「大学生活が楽しい」学生は全体の76・8%だが,44・7%は「進級・卒業できるか不安」,34・7%は「大学に行きたくないと思うことがある」と答えている。

また,文部省の委託調査(1999年2月)でも,「大学の新入生の3人に2人が基礎学力不足で授業に戸惑いを感じている」とことが明らかになっており,大学教育と高校教育の間に大きなズレが生じているとともに,大学入試や大学の授業のあり方・カリキュラムの問題などが,改めて浮き彫りになった。この 調査は1997年夏,高校教育の関係者で組織する「高校教育改革研究会」が実施したもので,全国各地の高校10校の卒業生のうち,4年制大学に進学した1,726人が対象で,691人から回答があった(回答率は40・0%)。その結果は,以下の通り。
 @ 
大学で履修している科目のうち,「理解困難な科目がある」と回答したのが67・9%(このうち,国公立大学の自然科学系学部に進学したものは85・1%)にも達した。
 A 
履修科目が理解困難な原因(複数回答)については,6割以上が学生自身の「学力不足」を挙げた。
 B 講義の方法に問題があるとする「授業の進め方が不適当」というのは約4割だった。

 C 大学教育の印象について自由意見欄では
,@「教員が自分の世界に浸って,授業を進めているだけ」A「かなり自分で努力しなければ(授業が)分からない」B「分かりやすく教えていると言っている教授の授業すら分からない」などが目立った。

この問題はテレビでも盛んに取り上げられている。例えば,1999年5月24日放映のNHK「クローズアップ現代」−『大学の授業が成り立たない』がそれである。それによると,有名私大の学生でも小学校高学年の分数の割り算ができない。特に基礎的知識や計算力の低下が顕著で,“どこが分かれへんかということ自体が分からない”学生も少なくなく,それをカバーするため予備校からの講師派遣で補習授業を行っている。

さらに,熊本大学生部の第1回学生生活実態調査(アンケート調査)の結果(1995年11月実施。全7学部の1〜6年生1,236人(男717人,女519人)からの回答)によれば,予習・復習は「ほとんどしない」が男女とも59%,「1時間程度」が21%,「5時間以上」はわずか0.4%にすぎない。その代わり,授業に満足しない学生は304人にも上っている。その理由(複数回答)はといえば,@「つまらない」が65%,A「教員の工夫が足りない」が63%,B「内容が難しい」が29%である。一方,授業に対する希望は@「工夫を凝らして,理解しやすく」「話し方を明瞭(めいりょう)に」「基礎をしっかり教える」がベストスリーである。

 また1999年11月に実施した同大の第3回学生生活実態調査の結果(全学部の計2026人を対象に78項目の調査を行い,1171人から回答)によると,65%が第1志望で入学しているが,転学や転学部希望者が3割に上ることや,授業の理解度が低いなどの実態が浮かび上がっている。学業については,授業に「全部出席」「ほとんど出席」が約72%で,「一部を除く大部分出席」を合わせると約89%出,授業を欠席する理由(複数回答)は「授業に魅力がない」が51・2%と最も多く,続いて「朝寝坊」(46・5%)だった。授業の理解度は「どの授業も全般的に理解」と「たいていの授業は理解」が合わせて29・3%で約3分の1にとどまり,「工夫を凝らし理解しやすい授業」や「基礎をしっかり教える」ことを希望する声が多かった。一方で「予習・復習をほとんどしない」と回答した学生が57・8%と半数以上いた(2000年1月30日付『毎日新聞』熊本版)

それゆえ中学,高校と大学の教育のありかたなどについて議論している中央教育審議会(根本二郎会長)は,大学生の学力低下の実証的研究の提言を中曽根文相に答申せざるを得なくなった。

しかし文部省は,「『学力低下』」児童らに懸念なし,大学生はやむを得ず」との見解を表明している(1999年12月7日発表の『教育白書−我が国の文教政策−』)。

ここで文部省は「学力低下」問題に初めて言及し,基礎・基本をしっかり習得するようにしたり,知的好奇心,探究心を身につけることによって『生きる力』としての学力の質を向上させることができます」と現在の「ゆとり」路線でも児童・生徒に学力低下の懸念はないと強調し,学力低下の懸念を真っ向から否定している。肝心の大学生については,「分数もできない学生がいる」など大学生の学力が問題視されていることには,1955年頃は1割程度だった大学進学率が今は5割近くまで上昇しましたから,全体として平均的な水準が下がるのはやむを得ないのではないでしょうか」と大学の大衆化が背景にあることを強調する一方,「今の学生が,学ぶことへの意欲,関心,心構えが昔に比べて劣っているのは問題がある。自分から学びたいと思うようなゆとりある教育を進めなくてはいけない」との指摘で終わっている(http://wwwwp.monbu.go.jp/jyy1999/)

 

13)名古屋大学大学祭シンポジウムのテーマで教官との間に物議を醸し出した。

 

14)文部省調査(全国の国公私立大,放送大学の計604校を対象に1998年度に実施)では,273校で多様化が進む高校の履修状況に配慮した補習や学力別授業を実施している。この数字は,大学院大学の5校を除いた599校の46%を占めることを意味する。科目別では,@物理,化学などの補習授業が105校A英語,数学などで学力別編成を行っているのが133校B微積分,フランス語など既習・未習組に分けた授業を実施しているのが90校である。

 

15)東大法学部の4分の1の学生が通っている(他の予備校を含めれば,東大の司法試験合格者のほとんどが塾がよい)といわれている伊藤真司法試験塾には,「講師に『教えようという』気持ちがある(東大法学部4年の女子学生―『東大白書』参照-1998年12月8日付『朝日新聞』)。

 

16)大学の講義は,極端に個人主義的な教員による完全に講師側にゆだねられており,講義課目を超えたネットワークが極めて少なく,その上講義に関して何らの評価を受けないばかりか,学費を納めている学生は無権利状態(不満を聞くシステムがない・試験の不合理性・成績評価の疑問)事態を揶揄して一部で「教員天国」(愚者の楽園)いわれる。

 

17)資格試験対策として大学は,予備校との連携を強めている     。例えば,辰巳法律研究所は,中大・名城など7大学と提携しており,名城大学のパンフには,「大学に通って弁護士になろう」とのキャッチコピーとともに“辰巳”の名が踊っており,しかも卒業単位の4分の1相当の28単位が認定される。まさに大学の専修学校化である(1999年5月5日付『日本経済新聞』)。

 

18)以下は『大学生活疑問』と題する19歳学生(高橋はるかさん)の投稿記事である。

「大学生活が始まってから1力月余り。いくぶん慣れると同時に,周囲の状況にも目がいくようになった。まず目についたのが,授業中の学生の私語の多さである。先生が熱心に講義をしている最中でも,あちこちから話し声や笑い声が聞こえてくる。話の内容もほとんどが遊びやバイトについてであり,授業とはまったく関係ない。次に気になったのが,携帯電話の使用の多さだ。90分の講義中に,呼び出し音が講義室に響がない授業は,恐らくないだろう。再々鳴ったり,自分から外部の友達にかけたりする人もいて,あきれ返ってしまう。周りの学生に迷感だし,第一,先生方に対して失礼ではないか。私たちは今まで,希望の大学を目指して一心不乱に頑張ってきたのではなかったのか。そのために親や周りの人は,経済的,精神的に何かと支えになってきてくれた。合格者とは裏腹に涙をのんだ人もいる。また,地球上には,勉強したくでもできない人だってたくさんいるのだ。そんな中で私たち「何と恵まれてた環境にいるのだろうか。今,私たちに課せられた課題とは,いかにこの恵まれた環境の下で勉強し,社会に貢献するかである。私語や携帯にうつつを抜かしている場合ではないのだ」(1999年5月14日付『朝日新聞』大阪版)。

 

19)種々の調査を総合すると受験生の半数が就職を意識して進学先を選択している。中でも,女子学生や理系学生の方がより強く就職を意識している。したがって,同じ偏差値なら学生は就職に有利な大学へ流れることことなる。

 

20)「人生18歳確定説」とは,18歳において,ブランド大学に入学できれば,ブランド企業に入社することができ,その後の人生は保証されているという考え方。「年齢輪切り主義」とは,小学校から大学までは学年で横割りになっており,企業においては,年次運用・年功序列で昇進していく。従って「同一年齢内で比べればどうか」ということを常に気にする考え方。

この2つの考え方が定着したことが主な原因となって,年齢が人生の活躍する場を決めるようになり,「学生」「会社員」「退職高齢者」がハッキリ分かれてしまった。その結果,(1)「気力(意欲)」「体力」「生活力」「創造力」が失われ,(2)人生における「寄り道」や「やり直し」という経験ができにくく,(3)問題を解決するために必要な「多様性」「柔軟性」が身につかないのみならず,(4)子どもたちの教育の機会均等がなくなり,社会全体の活力が維持されない,という問題が発生し,日本社会全体の活力が低下してきたと指摘されている(1997年3月24日経済同友会提言提言「『学働遊合(がくどうゆうごう)』のすすめ」―http://www.doyukai.or.jp/index.htm)

 

21)1929年に文系で58%,理系で82%であった大卒者就職率は,1931年には10%を切った。なお、当時の大学進学率3%であった。

 

22)日本労働研究機構の調べでは,首都圏高校3年生の12%がフリーターの予備軍である。調査は2000年1月,東京,埼玉,千葉,神奈川の普通科(進路の多様な高校)を中心にした52校の男女高校3年生7,930人を対象に実施し,うち6,855人から調査票を回収した。1月時点で志望する予定進路先は「正社員就職」34%,「専門・各種学校進学」28%,「大学・短大進学」22%「フリーター」12%の順であった(2000年8月5日付『産経新聞』)。

 

23)工藤智規・文部省高等教育局長が,国立大学長を集めた会議で,現代日本の大学のあり方を以下のように批判した。

 「日本の大学には3悪弊がある。一つは,日本独特の極端な大学自治。学長の権限がない。直接民主主義が徹底して,さまつなことで何時間も議論して決まらなかったりする。二つ目は,若い先生もシニアも教育のへたな人も,みんなで(物事を)分け合えばいいという悪平等。役割分担が必要ではないか。三つ目は,研究至上主義。研究があって教育という。もっと教育に力を入れないといけないと思う」(2000年6月24日付『毎日新聞』)。

 

24)大学のサバイバル競争は熾烈化しており,夏休みには,多種多様のキャンパス見学会が行われ,その折,新築なったインテリジェントビルや授業が公開される。マスコミはこうした企画に『「冬の時代の『夏の陣』」とのタイトルで報道する。例えば,明治大学の23階建ての新校舎(リバティータワー)は豪華ホテルなみのロビーで,地上17階の学生食堂は見晴らし最高,法政大学は27階建ての新校舎(ボアソナードタワー),早稲田大学では現役学生がガイドするキャンパスツアーetc(1999年7月7日付『東京新聞』)。

 

25)連合・統合に関していえば,5(4)大学連合==東外大・東工大・一ツ橋・東京医科歯科大(東芸大),3大学連合⇒秋田・岩手・弘前大学(北東北3大学協力協議会(仮称)),2大学統合⇒山梨大・山梨医科大及び香川・香川医科大,3大学統合⇒神戸商科・姫路工業・兵庫県立看護大,それに石川県と県内の全大学,短大,高専連携⇒「いしかわ大学連携促進協議会」等が話題(検討課題)になっている。

 

26)例えば,ホームページ上の立体映像を利用した仮想大学(バーチャル・ユニバーシティ)をつくり,教員やほかの学生と議論する教育方法をとりいれた新しい形の大学を目指す私学初の通信制大学「人間総合科学大」埼玉県岩槻市に開校した。人間科学部人間科学科だけの単科大学で,1学年の定員は2,000人である。

 

27)例えば,2001年入試から受験生に成績開示する大阪大医学部では,「医師や医学研究者に向いた学生を選べる入試」との観点を重視して,2001年入試からペーパー試験が満点でも,面接で不適格と判断されれば不合格になるように採点基準を変更した。

 

28)基本的コンセプトは,大学の授業をさまざまな場所にネットワークを通じて送るということ。具体的には@大学の中でもいろんなキャンパスに送るA他の大学,企業,家庭,海外の大学,地域の学習センターや公民館に授業を送るB美術館とか博物館にあるものを取り入れて授業を行うC小中高学校に送って,大学の授業を公開し体験授業を行うD学生が病院等学校に通学できない場合など,病院等に送ればそこで授業を受けられる等のメリットがあるといわれている。

 

29)中央教育審議会は,1999年12月の答申(

初等中等教育と高等教育との接続の改善について」)において,入学者受入方針の明示を要求している。つまり,「それぞれの大学(学部・学科)の教育理念,目的,特色等に応じて受験生に求める能力,適性等についての考え方をまとめた入学者受入方針(アドミッション・ポリシー)を大学が確立し,対外的に明示するとともに,選抜方法や出題内容等に反映させることが重要。その上で,受験生は大学(学部・学科)の教育理念,特色等に応じ選択を行うことが必要」との趣旨である。

30)年間学費を正式に履修届を出した全科目,実際に出席した科目の時限数で,それぞれ割ったものが時間単位の講義単価(価格)である。授業のある日を,年平均26週として,1時限(90分授業)当たり,いくらになるのかである。「例えば,早稲田大2年のA君の場合,年間学費は75万600円。履修13科目のうち,4科目しか出席しておらず,1時限当たり7200円を超える授業料だった。『出席を取らないので,出席してもしなくても同じ』が理由だ。A君より割高なのが,東京大4年のB君。学費は国立大学のため,41万1600円と安いが,週2科目しか出席しなかったため1時限当たり約8000円。法政大3年のC君は,14科目を履修,出席したのは9科目。学費は理科系のため118万4300円と高めだが,1時限当たり約5000円。A君と比べ割安だった。一方,女子美短大1年のDさんは,学費は152万4000円と5人の中で一番高かった。しかし,週22科目で,土曜日までびっちりの授業,しかもオール出席とあって1時限当たりは2664円と,リーズナブルな感じ。 特待生の文教大3年のEさんは,学費は88万円だが,特待生として22万円の授業料免除を受けているため,国立大並みの安い学費。しかも,13科目の履修届を出し,12科目に出席しているため,1時限当たりは2115円。私立大学でも,これだけ安く学べることになる」(1998年4月20日『毎日新聞』東京夕刊)。

 

31)単位制授業料とは,これまでのように事前に学費の全額(半額)を納入するのではなく,学生が実際に履修した単位数に応じて個別に授業料を納入する方法(1単位の単価×登録単数=単位授業料)である。例えば,上智大比較文化学部は完全に単位授業料製を採用しており,立命館アジア太平洋大学では固定授業料と単位授業料とを併用している。

 

32)学生による授業評価は,1991年の大学設置基準の改正で,自己点検・自己評価を求められたことから導入する大学が急増した。文部省によると1992年度には38大学しか実施していなかったが,1998年度には,全国の国公立大学604校中,半数を超える334校で行われている。例えば,多摩大学では1990年から積極的に取り組んでおり,慶応義塾大学では,総合政策学部と環境情報学部の2学部からなる湘南藤沢キャンパス(SFC)で,1990年4月の開設と同時に,5段階評価の「授業調査」制度を始めた。1993年から「授業評価」を実施している東海大学では,教員側の了承を得たうえで,前期と後期の最終授業でアンケートを行っている。例えば,@授業に興味が持てたかA黒板・OHPへの書き方や文字は見やすかったかB教師は授業において重要なところを強調してくれたかC教師は授業の中で,学生の参加(質問・発言など)を促したか−−など10項目について5段階評価で聞き,総合得点を出している。これまで全教員中9割の教員が評価を受けたが,専任教授より非常勤講師が最も高い評価を得ていたことは注目に値する。ところで1999年12月に,都内で開催された「大学の授業を考える会」による「授業評価」についてのシンポジウムでは,集まった約350人の学生から,「期待して入学したのに,最初の授業で裏切られた」「本を読んでいるだけの教授はいらない」「私自身,英語力を磨きたいと夢を持って入学したんですが,『Newsweek』を訳すだけの授業だったり,期待外れでした。モノを買うのに情報を与えられなかった」という自分の受けている講義に対する不満の声が上がった。

 

33)1999年度に4年制大学でインターンシップ(企業での就業体験)を実施した割合は以下のとおり(文部省調査=2000年4月に,全国の国公私立大622校,短大551校,高等専門学校62校を調査―http://www.monbu.go.jp/news/00000531/)。

 @大学では186校(29・9%,前年度比6・2ポイント増),短大は81校(14・7%,同4・4ポイント増),高専は48校(77・4%,同14・5ポイント増)。

 A大学での国公私立別の実施率は,国立65・7%,公立6・1%,私立25・6%。

B実施時期は夏休み期間(7,8,9月)が最も多く,79・6%。1〜2週間の実施が半数以上で,大学では3年で実施する学校が9割近くを占めた。

C取り組む学部は,自然科学系が多く,中でも工学部系の実施率が高くなっている。

 

34)学力低下が著しい大学生の補習授業で,東京電機大や芝浦工大,拓殖大などと大手予備校,専門学校などが連携・出資して,インターネットを使って共同の「全国補習教育ネットワーク」(本社・東京)を2000年7月に設立,物理や生物,数学,英語などの基本的な教科のほか,情報処理なども含めた補習ソフトを,習熟度別に3ランク程度に分けて提供する。

 

35)1999年4月から育英奨学金貸与学生は15万から25万に増加した(400万学生の2割りの80万人。しかし日本の国民所得に占める奨学金総額比率は0.08%で,英国の0.6%・米国の0.5%に比べてあまりに低い。それゆえ大学と「個人」へのバランスの取れた助成制度の充実が緊急の課題である。例えば立命館大学は,学生確保と不況等で経済的に修学困難な学生を援助する目的で,最終的には現行の4倍にあたる12億円と「全国の私立大で最大の規模」になる新たな奨学金制度と経済援助制度を,2001年度から4年間をかけて導入し,総定員の1割にあたる2,000人に適用する政策を決定した。その内容は,@入試得点の上位者や特に優れたスポーツ選抜合格者の学費減免,A成績優秀な学部学生の学費の半額免除,B公的奨学金を受給しても学費納入が困難な学生の学費半額免除(場合によっては学費全額免除のケースもある)などであり,学業だけでなく,スポーツや自主活動にも対象を広げたことが特徴となっている。この制度で学費減免を中心にした学生の学費負担の度合いは国公立大並みか,それ以下になるため,経費的の側面からは,国立大学に流れる受験生の歯止めみになる。

 

36)学生の表現力の低下に対応して富山大では「情報処理」か「言語表現力」のいずれかを選択(学外から講師)させている。この他,日本語を教える大学の増加傾向にあり,50大学で「日本語」「文章」「言語」等の講座が開講されている。文章を書くことで,自分の知識や意識に低さと向かい合うことができ,学問に取り組む姿勢も磨かれるためである(1999年5月13日『日本経済新聞』)。

 

37)1993年4月に教養部を改組して発足した京都大総合人間学部では学年の3分の1が留年するが,“不登校学生” や留年生の実態把握とケアのために教授自らが学生の下宿やアパートを訪れる“家庭訪問”を学部挙げて始めた。同学部には約70人の教授がおり,それぞれが担当する学生のケアを行う。まずは4年生を対象に,連絡が取れない学生の家に担当教授が直接訪問して状況を把握,理由を聞き相談に乗るのである。すでに,留年生と引きこもり学生の2,3ケースで,教授が家庭訪問を実施し,「友人が少なく学校に出て行くのも敷居が高い」などと,不登校の理由の把握を始めている。「教授個人が学生の面倒を見るケースは多々あったが,学部全体で取り組むのは聞いたことがない」(文部省学生課談)といわれるほど,京大,否,日本の大学としても異例の取り組みである(2000年6月15日付『毎日新聞』大阪版夕刊)。 

 

38)1997年3月10日,都内のホテルの朝食会で小杉隆文相は経団連・創造的人材成協議会のメンバーの末松謙一さくら銀行会長,北岡隆三菱電機社長(いずれも当時)ら財界人13人から集中砲火を浴びた。経団連が968社を対象にまとめた調査で企業は「現在の学校教育が創造的人材を育成できるか」との問いに90%以上が「そう思わない」と回答していることを証拠に,「創造性豊かな人材が今の大学では育っていない。学生は勉強不足だ」と詰め寄ったのである。企業が「教育」に,かつてないほど強い危機感を抱いている証左である。「個性」「創造性」「専門知識」などの不足を取り上げ,教育改革を強く迫る産業界の姿がそこにあった(1997年4月7日付『日経新聞』)。

 

39)2000年4月3日の企業入社式での各社長のあいさつのキーワードは「変革」と「スピードとチャレンジ」であった。以下は各企業の社長の言葉である(2000年4月4日付『東京新聞』)。

新光証券川口忠志社長⇒「1期生としての新たな歴史や伝統の創造」「目まぐるしい変動と隣り合わせに身を置く証券業界で,失敗を恐れず,新しいことへのチャレンジ」

三菱自動車工業河添克彦社長⇒「提携効果を享受するにはわれわれが自主的な経営を維持し基盤を強固にする必要がある」「より一層,成果で評価される会社となることの認識が大切」

日産自動車塙義一最高経営責任者(CEO)⇒「グローバル企業においては英会話能力の重要性」

日立製作所庄山悦彦社長⇒「変化の創造」

富士通秋草直之社長⇒「発想力と実行力」

ソニー出井伸之社長⇒「社員一人ひとりの企業家・事業家として活躍」

日本アイ・ビー・エム(IBM)大歳卓麻社長⇒「年を月に,月を週に,週を日に,時間軸を変える機敏さ」

日本テレビ氏家斉一郎社長⇒「例年おめでとうという話をしてきたが,もはやそれを言う段階ではなくなった。終身雇用で定年までいられると思っていたら,大きな間違いだ」

TBS砂原幸雄社長⇒「これまでのような,ぬるま湯体質とは決別しなければならない」

フジテレビの日枝久社長⇒「テレビは皆さんの想像以上に社会的影響力が大きい。社会的常識,謙虚さ,バランス感覚が大切」

TBS砂原社長⇒「何よりも健全な社会人との自覚が肝要」

テレビ朝日広瀬道貞社長⇒「心無い社員のためにテレビ局の信頼が失われることは許されない」

NHK海老沢勝二会長⇒「放送界はIT(情報技術)革命といわれる大きな転換期に入った。そういう時代認識を持ち,自らどう対処していくのかを常に考えることが必要」

 

40)中央教育審議会(会長・根本二郎日本郵船会長)の小委員会は1999年5月31日,大学を(1)高度な研究に力を入れる大学(2)職業に直結した教育が中心の大学(3)一般教養の教育に主眼を置いた大学3つに類型分けし, 類型ごとに入試や教育内容などのありかたの検討を文部大臣に答申している。

 

41)2000年5月29日付「新しい時代における教養教育の在り方について」の中央教育審議会に対する文部大臣の諮問理由は教養教育に重要性を以下のように指摘している(なお,諮問理由説明はhttp://www.monbu.go.jp/singi/cyukyo/00000340/setsumei.html参照)。
「文部省においては,1985年から1987年に出された臨時教育審議会の答申及びそれを踏まえた中央教育審議会等の答申を受けて,個性化・多様化,生涯学習体系への移行,国際化・情報化等変化への対応という視点に沿って,その後の状況の変化にも柔軟に対応しながら積極的に教育改革を進めてきた。中央教育審議会においては,これまでの教育改革の成果を踏まえ,1999年12月に『初等中等教育と高等教育との接続の改善について』の答申において,初等中等教育と高等教育それぞれの役割を明確に整理し,それを踏まえた接続の改善についての御提言をいただいたところである。
 来るべき世紀の社会を展望するとき,産業,雇用,科学技術などあらゆる分野で急速かつ激しい変化が起きることが予測され,こうした時代に個人としての主体性を失わず,しかも新しい社会の在り方と調和した判断ができる能力が求められている。本年4月に開催されたG8教育大臣会合においても,知識社会への移行に伴って教育の在り方の見直しが必要なことが共通に認識されたところである。さらに,地球環境問題や人口・食料問題など地球規模での取り組みを必要とする課題が多くなっており,こうした課題に取り組む意欲と知識を持った人材を育てる必要性が高まっている。
 こうした状況を踏まえた教育の在り方として,昨年12月の中央教育審議会答申においては,『学問のすそ野を広げ,様々な角度から物事を見ることができる能力や,自主的・総合的に考え,的確に判断する能力,豊かな人間性を養い,自分の知識や人生を社会との関係で位置づけることのできる人材を育てる』という教養教育の理念・目的の実現のため,教養教育の在り方を考えていくことが必要であると指摘されたところである。これは,直接には高等教育に関してのものであるが,今後,社会の高度化・複雑化が進む中で,このような教養教育の理念・目的は,人間として身に付けるべき社会規範なども含め,初等中等教育においても,また,生涯を通じて行われる学習においても重要である。
 その際,既に高等学校への進学率が約97%に達し,国民のほとんどが高校教育を受けていること,大学についても高等学校卒業者のほぼ半数が進学しており,専門学校も含めれば3人に2人が高等教育を受けているという実態に沿って初等中等教育段階から高等教育段階までの教養教育の在り方を考えていく必要がある。
 したがって,こうした観点から新しい時代における教養教育の在り方について考えるために,これまでの教育改革を振り返り,検証するとともに,その結果を踏まえて,今後の教養教育の在り方について,何を,いつ,どのようにして教え,どのように身につけさせるのかといったことも含めて幅広く検討する必要がある。」

 また,2000年3月に発足し,第1(人間性),第2学校教育),第3(創造性)の3分科会に分かれ,審議を続けてきた森喜朗首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」(座長・江崎玲於奈芝浦工大学長)も同様の思考である。つまり高等教育では,大学と大学院のあり方を見直して,学部教育はリベラルアーツ(教養教育)と専門基礎(専門教育を受ける準備教育)の教育を担い,高度な専門職業人教育や研究者養成は大学院が担うことを明示している。それは,大学によって機能分担を明確にした米国型の高等教育を目指しているといえよう(2000年7月29付『日本経済新聞』)。

 

42)2000年春に開学した経営情報学部経営情報学科のみの単科大学で,200年度は準備の遅れなどもあって,195人の定員に対して入学者は106人と,大幅な定員割れでスタートした京都府福知山市の京都創成大学は,2001年度の一般入試で学科試験を全廃し(一般入試での学科試験全廃は全国で初めて),「起業家宣言」「後継者宣言」「メール」「講義理解力」の4方法など独自の選抜方法を導入する。

43)経済同友会提言の命題。この命題をすべての大学構成員,とりわけ教員が共有することが大学改革のキーポイントである。例えば,『熱心な授業なら友人関係も楽し』『キャンパスライフは先生次第?』との見出しの記事が1998年10月27日付『東京新聞』に掲載されたが,この命題の正しさの証左の一つである。その内容は,「教員が授業に熱心」と感じている学生は,「『学内の友人関係』『大学全体の雰囲気』など授業と直接関係ない面」でも満足度が高いというものある。国公立と私立で結果に大きな差はないが「熱心」と回答した割合は,入試難易度の高い大学や小規模大学,短大の学生の方が高かった。教員が「とても熱心」という学生を見ると,10人に8人は「面白い授業がある」「知識が得られる」と答えている。

 

44製薬会社と癒(ゆ)着して多くの人を死に追いやった厚生官僚,低金利で国民に犠牲を強いるばかりか,無謀な投機と放漫経営で破綻した金融機関に公的資金という名の血税を投入した大蔵官僚(などなどの),とどまるところ知らない腐敗…,無能な政治家の跋扈(ばっこ)…,謝罪する経営者のオンパレード(「反省だけならサルでもできる」)…,大学でのセクハラ横行…,エトセトラ!! まさにこの世の中「右を向いても,左を見ても,すじの通らぬことばかり」。今や,大学の入試偏差値と重大な社会犯罪者の偏差値が,正比例する事態…。この日本の現実,それは,(権力を)疑わなかった日本人の精神構造(「信じることは美徳」)から醸し出された結果≠ナあり,暗記を前提に,正解は一つと教え込んだ教育の結末≠ナもある。しかし,激動するボーダレス(国境・境界のない)社会の価値観多様化時代の中で,正解が一つということなどありえない。また,前例踏襲・横並び主義のこれまでの日本人では,マニュアル(海図)なき国際化時代を乗り切れない。閉塞(へいそく)した現代の日本を打開するキーワードは,「疑うこと」である。そのために重要なのは,好奇心を持つこと…。それは,21世紀を生きる若者に,最も大切なことである。このまま(権力を)信用しておれば(疑わなければ),日本は沈没し (否,すでに沈没している),ますます国際的に孤立する。近い将来 ,大変なつけ≠ェ学生たち若者の上にふりかかる。つまり,大学教育の原点の一つは「疑うこと」である。そのキーワードは,「信じるよりも疑え」・「好奇心とは疑ってかかること」。おかしいと思ったら文句をいうこと(問題を提起(提言)すること)である。《疑うことが世の中を変える》からである。

 

45汲田克夫【アピール】「教育者は『自分だけは』の幻想なくせ」ー1997年6月11日付『産経新聞』―「論壇」。

 

46)例えば,狂言の舞台でも,難解な狂言を観客と一体になって楽しむための趣向として,舞台の背景に字幕と映像大型スクリーンを置き,狂言で使う古語をわかりやすく開設するパフォーマンスが行われた(野村萬歳構成・演出「電光掲示狂言スペシャル『新世紀・狂言の会』」−00年8月3・4日「大阪・フェスティバルホール」)。わかりやすさを追求するための映像の利用であるが,授業も同じである。

 

47)「インターネットは現代の産業社会に落ちたいん石だ。インターネット以前に存在した経済社会の仕組みが存亡の機に立つ」と語ったのは,ソニーの出井伸之社長である。また,情報技術(IT)革命を強調するのが森政権である。だが,文部省の調査だと,1999年3月末現在,全国でインターネットに接続している学校は小学校27%,中学校43%,高校64%で,中でも岐阜県が小,中,高とも100%なのに,福島県と長崎県の小学校はわずか7%弱と大きな格差がある(http://www.monbu.go.jp/special/media/00000019/)。

こうしたことから文部省では,2001年度にすべての公立学校をインターネットにつなぎ,2002度からは中学,高校で情報を必修にする計画である。この計画が順調に進めば,近い将来(大学人の予想を越える速さで),大学は,小さい頃からインターネットを使える世代で占拠されこととなる。

 例えば,多摩大学(経営情報学部・1200人)では,学生全員が電子メールアドレスを持ち,3分2の学生がパソコンを所持しており,講義内容・時間割・証明書発行申し込み書・図書館蔵書目録(インターネットで国連や官公庁,研究機関のホームページへアクセスできるソフトも盛り込まれている)を全国で初めてCD−ROM化し学生に交付した。なお,開発は学生中心で,費用は800万(半額国庫助成)であった。

 

48)例えば,立命館大学と京都府が中心になる21社・団体が「エデュテイメントビジネス研究会」を結成し,大学の授業を保存して公開すれば大学のオープン化に繋がるとして(図案から建築物などいろいろな内容の記録を残せる)デジタルアーカイブを2000年にオープンした「京都市大学のまち交流センター」の中に作った。帝塚山大は,新しい「開かれた大学」を目指して「誰でもいつでも好きなときに」,講義の教材をインターネットのホームページで活用し(TIES,さらに『チャット』を利用してゼミを公開(電子ゼミ)し,学生と社会人の交流を図る試みを行っている。また1999年からは大阪市立大学がインターネット講座を開設,ほぼすべての学部,研究所等から計11の講座が発信されており,なかでは動画を取り入れた講座のある。いずれもコンピューターが学校を変える(学ぶ楽しさとりもどす)一つの試みである(1999年3月31日付『京都新聞』)。

 

49)「教育実習」のように教え方の技量をみがく機会を持たずに教壇に立っている大学教員の講義技術向上を目的FD(ファカルティー・ディベロップメント)と呼ばれる取り組みが,最近日本の大学でも関心が持たれるようになってきた。大学審の答申が契機になって,文部省も1999年度に実施を予算化したためである。もとより,和光大学の試み(和光大学授業研究会編『語り合い 見せ合い 大学授業』)やICUでの英語教育科目の授業の公開に見られるように,答申以前から積極的にこうした試みに取り組んだ大学も少なくない。それは別にして,多くの大学で,学生の「授業がわからない」とに声を始めとして,「学力低下」や「私語」,「携帯電話」「飲食」「出入りの教室」の出現で“講義崩壊”が叫ばれている昨今,教員はこれまでのような自己流の講義方法から,学生の実態に即した工夫のある講義形態が急務になったこともその必要性を増大させたといえよう。

例えば,北海道大では1998年から1泊2日の全学教官研修を始めた。学部長指名で教授ら40人ほどが札幌市郊外の温泉地にある宿泊施設の一室に集まり,合宿研修が行われるのである。研修担当は,同大・高等教育機能開発総合センターの7人の教授。その研修担当教授が,「北大をどんな大学にするか,この研修で具体的に考えてもらいます」と切り出し,「学生に受け入れてもらうための表現について」などをテーマにした“講義”の後,7人ずつのグループに分かれて「北海道の食べ物」「ゴミを考える」などの課題について,それぞれ授業設計を立てながら,グループごとに発表するといた具合で進められる。

学部の垣根を越えたカリキュラムに組み直した九州大でも,1999年4月から「名誉教授による少人数ゼミ」という新プランが始まった。このゼミは新入生が対象で,退官した教授が最長3年間受け持つ。2000年度23人の名誉教授が37のクラスを担当,ゼミ生は文系・理系の学生が交ざり,テーマも「身の周(まわ)りの毒を考える」「新聞の科学記事を読む」などもあり多彩である。これも,教える側の変化の一つである。

1998年に1泊2日の討論集会「京都大学の教育を考える」を開いた(第3回は「教養教育のあり方」がテーマで180人の教員と20人の職員が参加した)京都大でも,「どのような授業設計をするかという理論は,まだ一般の教員には理解されにくい」として,泊まり込み型の全学研修を2000年から実施する(2000年7月3日付『朝日新聞』)。

 さらに広島大学では,1999年春から,大学の教員を目指す大学院生向けの「アカデミック・キャリア・ゼミ」をFDの一環としてスタートさせ,その流れにそって2000年5月には新任教官研修会も開かれ,70人の出席者を前に原田康夫学長は,「大学は研究の成果だけでなく,教育実績も上げて,外へアピールしていかなければならない。大学には今,質の高い学生を社会に送り出すことが求められている」と強調した(2000年7月13日付『中国新聞』)。

東海大学では,大学の生き残り競争激化対策の一つとして「大学の教員にも板書の仕方や授業の話術を学んでほしい」との目的で,教員に授業の進め方のノウハウを教えたり,相談に応じる「教育支援センター」(仮称)を2001年度に設置することを決定した。ここでは,優れた授業のノウハウを持つ教員を「教員の教師役」としてコーディネーターに選任し,授業方法を細かく指導したり,授業の相談に乗る。当然, ディベート(討論)や野外でのフィールドワークなど学生に評判のいい授業の方法の紹介からパソコンなどを使った授業を行う場合の手助けやその他のマルチメディア教材の開発などが予定されている(2000年6月17日付『毎日新聞』夕刊)。

 

50)1997年6月19日付『朝日新聞』論壇―ホーン川嶋瑶子「大学再生へ『考える教育』実践」参照。

なお,ディベートとは,予め定められたルール(人数・進行方法・持ち時間・審査方法など)に従い,ある問題・課題(論題)に関して,肯定側と否定側の双方に別れて,賛否(善悪是非)の討論を行い,その巧拙によって勝負を決める方法であり,「知的格闘技」,あるいは「論理のボクシング」と特徴づけられる。

 つまりディベートは,論理の勝敗を明確にすることに最大の目標がおかれるが,その流れは,

1.テーマの設定(スポーツに例えれば,種目の選定に相当)

2.資料・情報(ディベートデータ)の収集と分析(スポーツの基礎体力の鍛練に相当)

3.論理(ディベートストーリー)の構築(スポーツの練習に相当)

4.論理の展開=討論会(ディベート大会=スポーツの試合に相当)

5.判定(スポーツの勝敗に相当)

6.講評(スポーツの勝敗に対する批評に相当)

の6つのプロセスから成り立つ。

 いわば, スポーツ感覚での教育実践であるが,重要なことは,単なる断定とか,自分の思いではなく,立証された(証拠や根拠に裏付けられた)ものでなければならないことである。すなわち,テーマに対する自分たちの考え方の正しさの論証である。

 特に日本においては,その伝統的文化から,ものごとの決着を曖昧にする思考が根付いている。「玉虫色」の解決方法が,日本社会で多用されることに,それは集中的に表現される。「まあまあの文化」,あるいは「引き分けの文化」である。

 だが国際化時代の今日,こうした思考方法は,世界の中では通用しない。日米構造協議をはじめとする日本と世界との摩擦が顕在化し,国際協議の場面での,日本人の論理的討論の弱さの露呈が顕著な状況は,その端的な証明であった。また,国際交流が盛んになっている現代,日本の学生が海外に留学し,諸外国の学生と接して最も切実に感じることが,日本人が自分の意見を持たず,自己主張しないという体質である。

 日本が,国際社会で誤解され,かつ批判される構造でもあるが,かかる現状を勘案するとき, 今日日本の大学教育の中でのディベートの位置づけが,重要な課題といわなければならないのである。

さて, 教育ディベートの目的は,以下のものである。

1.資料や情報の収集力・分析力を身につける。

2.論理的な思考能力を開発する。

3.発表能力や説得能力を身につける。
4.聞く能力を身につける(話上手は聞き上手)。

5.批判能力を身につける。

6.問題の本質を見抜く能力を開発する。

7.事の善悪是非を判断できる能力を獲得する。

8.正しいことを貫く勇気と行動力を身につける契機とする。

 すなわち,客観的な分析力をもって,問題解決策の構築を図ることにディベートの目的がある。ディスカッションが,お互いが協力し,話し合いしながら進めるものであるとするならば,ディベートは,対立を前提として自分達の主張(意見)を真っ向からぶつけ合い,論争するゲームといえる。

 次にディベートの流れであるが,ディベートは,肯定側の立論にはじまり,肯定側の最終弁論で終わるが,具体的には,尋問型ディベートと伝統型ディベートがある。その相違は,それぞれの反対尋問が加わるか否かである。その流れは,以下のとおり。

『尋問型ディベート』(90分前後)    『伝統型ディベート』 (80分前後)

1.肯定側による第1立論  (10分) 1.肯定側による第1立論 (10分)

      ↓                  ↓            

2.否定側による第1反対尋問(3分)  2.否定側による第1立論 (10分)

      ↓                   ↓

3.否定側による第1立論(10分)    3.肯定側による第2立論 (5分)

                          ↓

4.肯定側による第1反対尋問(3分)  4.否定側による第2立論 (5分)

                         ↓ 

5.作戦タイム       (5分)  5.作戦タイム      (5分)

                         ↓

6.肯定側による第2立論(10分)    6.否定側による第1反駁 (10分)

                          ↓

7.否定側による第2反対尋問(3分)  7.肯定側による第1反駁 (10分)

                          ↓

8.否定側による第2立論(10分)    8.否定側による第2反駁 (5分)

                           ↓

9.肯定側による第2反対尋問(3分)  9.肯定側による第2反駁 (5分)

                         ↓

10.作戦・休憩タイム  (5分)   10.判定         (5分)

      ↓                  ↓ 

11.否定側による第1反駁(3分)   11.批評・講評 (10分)

      ↓                   ↓

12.肯定側による第1反駁 (3分)  12.握手

      

13.否定側による第2反駁 (3分)

      

14.肯定側による第2反駁   (3分)

      

15.判定          (5分)

      

16.批評・講評      (10分)

      

17.握手

 

そして最期に,ディベートの注意事項として以下のことが認識されなければならない。

1.立論=自分達の主張を,収集した資料・データ・文献・情報を総動員して,自分達こそ正しいのだという自信と勇気をもって,明快に論理を構築して立証する。

2.反対尋問=相手側の主張を良く聞き,データや資料に問題点がないかどうかを検証した上で,弱点や問題点を発見して,その論証の不十分性(立証の弱点)を追及する。これが反対尋問のポイントである。反対尋問は,ディベートのハイライトであり,勝敗の別れ道でもある。まずは否定側から肯定側への1方的な尋問の形をとるが,肯定側は,否定側の反対尋問に対して,明確な回答を行わなければならない。それが肯定側による第2立論である。攻守所を変えて行われるのが,肯定側の反対尋問である。否定側の反対尋問を参考にしながら,否定側の論理の矛盾点・問題点を追及する。

3.作戦タイム=反対尋問で明確になった相手側の問題点を整理した上で,自分達の主張を再確認するとともに,劣勢の場合は,次の第2立論や反駁で挽回を図るための戦術を練る。

4.第2反駁=最終弁論であるから,迫力をもって主張する。

5.判定=勝敗の決定を判定団が行う。引き分けはない。ここで重要なのは,説得力ある判定である。つまり,勝敗を決めた理由を論理的に展開することである。

6.講評=判定を含めて全員で反省を行う。ここで大切なのは,なぜ勝ったのか,どうして負けたのかという原因の話し合いである。

7.握手=すべてが終わると,お互いの健闘を称え,その労をねぎらって解散する。

 

51)一色浩一郎カリフォルニア州立大学教授は,国際人を,「国境を越えて自分が1人の人間であることを自覚し,自分のルーツを知り,自分の住んでいる地球,そしてその地球上に生息している動植物を大切にし,宇宙の中での1人の旅人であることを悟り,常に身の回りの物,システム,事柄などに疑問を抱いてクリティカル・シンキング(Critical Thinking=批判的に考えること)が出来る人間(になるよう努力している人)」と定義づけ,国際人になるための日常的な行動を以下のようにまとめている(「国際人に必要な条件」−1992年8月19日付『読売新聞』)。

「〈1〉住んでいる町の環境に注意し,市議会の動向を知り,参加して政治的責任のある人物たる行動をする。〈2〉何が国際人であるかを理解している市会議員,県会議員,国会議員を選ぶ。つまり,非民主的派閥を超えて活動出来る政治家や国際会議などの場で,国際人として他国の代表と話し合いが出来る政治家を選出する。〈3〉家庭内で不必要に殺虫剤,除草剤などを使わない。これらは,河川や海を永遠に汚すことになるが,海を毒することにより,食する魚貝,海草などから自分たちの体内に毒を蓄積することになる。その結果,癌(がん)や他の病気の原因にもなっている。使った殺虫剤,除草剤などは地球のどこかに残る。目に見える場所から目に見えない海へ,最終的には自分たちの身体の中に逆戻りしている。〈4〉会社員やビジネスマンの場合,新しい製品の企画・生産・販売の段階で,地球にどんな影響を与えるかを考え,決断,行動出来る社員になる。会社の責任者も積極的に地球の緑化,環境の浄化への努力をすべきで,ひいては会社のイメージアップに貢献する」。

 

52)90分間の緊張はかなり難しい。授業にも笑いが必要。人間は笑うことで,その瞬間,抱える重みを忘れることができる。苦しい時こそ笑いが必要なのである。まさに《笑う角に,ラッキーカムカム》(初代:柳亭痴楽)であり,≪世の中で体のなかの毒を消すことができるのは薬と笑いです。体に効く薬と違って心に効く笑いは副作用もないから,ええことづくめですな≫(吉本興業前会長:林正之助)のである。

《微笑,苦笑,憫笑(びんしょう),冷笑,失笑,嬌笑(きょうしょう),1笑,大笑(たいしょう),嗤笑(ししょう),哄笑(こうしょう),爆笑,微苦笑(びくしょう),朗笑(ろうしょう),憫笑(びんしょう),破顔1笑(はがんいっしょう),抱腹絶倒(ほうふくぜっとう),呵々(かか)大笑,薄笑い,作り笑い,含み笑い,高笑い,馬鹿笑い,忍び笑い,盗み笑い,追従(ついしょう)笑い,泣き笑い,独り笑い,照れ笑い,空笑い,嘲(あざ・せせら)笑う,北叟(ほくそ)笑む,にこつき,相好(そうこう)を崩し,笑い転げる,顎(あご)を外す,頤(おとがい)を外す,腹を抱え,腹の皮が捩(よじ)れる,腹筋(はらすじ)を縒(よ)る,目糞(くそ)鼻糞(くそ)を笑う,笑壷(えつぼ)に入(い)る,綻(ほころ)びる,スマイル>

 ああ,これほど笑いがあるのだから,世の中(授業も)もっと楽しく生きた(やりたい)いものです…!!

53)東大卒業式で蓮実重彦学長は,「学士の品質保証期間はせいぜい3年,長くて5年」と発言している(http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/soumu/president/000328.html)。

 

54)GPA(グレード・ポイント・アベレージ=成績不振者への退学勧告を伴う成績評価)は,米国で一般的に導入されている学生の成績評価方法の一つで,履修科目ごとの成績を4点から0点の5段階で評価し,各学期の平均が1年半連続して2.0未満の学生に対して学部長などが学習,生活指導を実施したうえで,成績不振が続いた学生には退学勧告が行われる。履修単位の上限制度(キャップ制)と併用されるのが普通である。

ところで文部省調査では,1999年1月現在で「GPA」など厳格な成績評価制度を導入している4年制大学は45校で全体の8・1%(国公立7校,私立38校)にとどまっている(全国の4年制国公私立大学604校を対象にアンケートし,92%の557校から回答)。また,学生が十分な勉強をしないまま数多くの単位だけを取ることを防ぐため,年間に取得可能な単位の上限を定める「キャップ制」を導入している大学は,35・7%(国公立21校,私立178校)。なお,キャップ制と厳格な成績評価を併用している大学は4・7%(国公立2校,私立24校)に過ぎない。こうした現状に文部省は危機感を強め,安易な登録,認定,甘い評価は「社会の大学に対する信用を揺るがし」「大学の信用不安を招きかねない」とおり,各大学に自主的に厳格な成績評価を行うよう求めおり,今後,年間取得単位に上限を設けることを省令で定める方針である(1999年6月4日『日本経済新聞』夕刊大阪版)。

 

55)1992年4月に設立された千葉県流山市の東洋学園大では,『大学図書館でひと足先に大学生活を体験してみませんか!勉強,読書,インターネットなどなど...図書館には限りない空間が広がっています。冷房完備の快適な環境のなかで,より有意義な夏休みをすごしてください』(http://www.toyogakuen-u.ac.jp/lib/oshirase/newnag.htm)とのキャッチコピーで2000年の夏,インターネット利用可能なキャンパス内の図書館を地元高校生に開放した。

 

56)経済,人間文化,工,薬の4学部と大学院3研究科を擁する広島県の福山大学は,40歳以上の社会人を対象に2000年9月の後期授業から大学・大学院の大半の授業などを無料開放した。もとよりこれまで日常の授業をありのまま公開する例は全国的にも稀な試みであり,それは,受験生の親世代の理解を深め,学生の確保を図る狙いもあるが,通常の授業を社会人が学生と1緒に受け,大学教育の活性化と社会人の生涯学習に貢献することとなる。なお同大の9月16日からの後期は,英会話や音楽,園芸などの一般教養と,国際金融論や発達心理学,人工知能,環境学入門などの専門科目の計約1000時間の授業や実験・実習が組まれている。希望者は,受講日の1週間前までに申し込む。受講回数制限はなく,1回だけの受講も可。単位認定はないが,学生と同じ試験も受けられる。

 

57)今まさに,どの会社に勤めるか(就社)ではなく,どんな仕事ができるか,仕事を通じてどんな生き方をしたい(就職)のかが問われている時代である。本来職業の選択とは,そうあって当たり前であるが,高度成長期の一括大量採用が続いた時代には,「有名企業に就職(“就社”)したい学生と採用を有名大学に頼る企業のブランド志向」が奇妙にマッチしていた。有名企業は,待遇がいいのでより良い生活がでたからである。こうしたことから,有名大学への進学熱が高まり,偏差値教育全能の時代が到来した。しかし社会構造が激変するにつれて,雇用形態にも地殻変動がおきている今日,就社意識は通用しなくなってきている。能力を伴わない有名大学卒業者で構成される組織では,厳しい国際競争を勝ち抜けないし,有名企業に入社できても,何時倒産,リストラにあうかわからないから,生活の保証も万全ではなくなったためである。こういう事態になって,「就社」意識が企業にも社会にもロスだということがわかってきた。有名大学卒業というブランドだけでは,通用しなくなってきたわけである。

換言すれば,どこの大学を出たことが問題なのではなくて,どのような能力(スキル)を学生時代に修得し,それをどのような仕事で生かしていくかが,企業にとっても学生とっても大切であることを再認識させられたことになる。 そのため,採用の形態にも変化が生まれてきており,それは,4月大量一括採用から,通年採用や職種別採用・中途採用といった「採用形態」の変化によく表現されている。能力主義の浸透,年俸制の普及,終身雇用の崩壊など「働き方」が激変していることもその現れである。つまり現代社会は,仕事の「やりがい」を重視する傾向が強ったことから,学生,企業双方に意識の変革を迫っているのである。

結論的にいえば,今日の企業は,各職種(業務)の内容に興味をもつ(明快な目的意識とふさわしい技能を持った)学生だけを入社させる方向を明確にしてきている。企業を取り巻く環境の激変で,企業が学生に求める資質はより現実的になりつつあるが,こうした環境の変化を「就社から就職へ」とのキーワードが端的に表現している。 

なお,人材派遣会社のパソナが入社3か月目の新入社員に実施したアンケート(京阪神の会社に1998年春に入社した大卒,短大卒などの892人を対象)では,将来も今の会社に勤め続けるつもりの人は50.0%にとどまっている。1998の社会人1年生は超氷河期と呼ばれる厳しい就職戦線をくぐり抜けてきたが,そういう状況でも,いまや,「就社」ではなく「就職」という考え方が鮮明になっている。それによると,勤め先にとどまると答えた50.0%以外では「キャリアアップのため転職を考えている」と「独立して起業を図りたい」がそれぞれ19.0%に上った。性別では,「転職願望」派は女性の27.0%に対し,男性は9.0%だった。その一方で,「独立願望」派は男性25.0%に対し,女性は15.0%で,男女の考え方の違いも出ている。

 反面,すぐに辞める若者も増加し,実に大卒の3割が3年以内に離職している。中高年を中心に失業率が高まるのみならず,超氷河期で就職が困難な状況の中,ようやく就職できたにかかわらず。つまり1987年の卒業者から追跡調査を続けてきた労働省の調査では,3年以内で辞めるケースが1994年ごろから急増し,1995年に民間企業に就職した大卒,短大卒者のうち,大卒者の32%,短大卒の41.1%が3年以内に離職し,離職者の割合は最高を記録,10数万人に達したことが明らかになっている。その内訳は,大卒者の場合,1年以内に辞めたのが12.2%,2年目が10.6%,3年目は9.1%だった。なお同省は,「初めての会社」の選択理由に「仕事の内容・職種」をあげる一方で,離職理由に「仕事が自分に合わない」をあげる若者が多いという調査から,「自分にあったところで長期間勤めるという視点が見落とされがちなためではないか」と就職活動の問題点を指摘している。

また,急激な社会構造の変化と価値観の多様化現象,それに厳しい雇用情勢が加わり,日本のサラリーマン(労働者)の働き方にも大きな変化がおきている。労働形態の多様化である。日本型雇用形態の一大特色であった「終身雇用制」と「年功序列型賃金体系」の崩壊現象である。しかしそれは,厳しいリストラと失業者激増の裏返しでもあり,必然的に,パートタイム労働者の増加や転職の増加を意味する。労働時間に対する考えも方も変わりつつあり,いわゆるフレックタイム制や裁量労働制,あるいは在宅勤務制といった新しい形態も広がりつつある。こうした状況を反映して若者を中心に終身雇用にこだわらず,したがって転職についてもさほどの抵抗を持たなくなってきている。むしろ転職をプラスイメージとしてとらえる傾向すら出てきている。つまり,経済社会構造の急激な変化は,これまでの画一的,集団的な人事管理や賃金制度の見直を迫っているといえるのである。

だが,雇用形態の多様化は,反面雇用そのものを不安定にする「暗」の一面も持っているのである。雇用多様化の背景に容赦な企業のリストラがあるという現実がこのことを,きわめて象徴的に表現している。雇用の不安は,労働者(労働者予備軍である学生)にとって,ひいては社会全体に悪影響を与えることとなる。雇用の安定こそ,社会の平和を維持し,経済を発展(個人消費の活性化)させる最大の要因だからである。今日の雇用環境の変化は,企業が経済的メリットの追求に走りすぎる結果,雇用自体が不安定であるばかりか,長時間労働や低賃金といった劣悪な労働条件で働く(働かざるを得ない)労働者を増加させているマイナス面を直視しなければならない。いうまでもなく,労働者の個性を尊重した生き方の追求(実現)のためには,不安定な雇用環境におかれている非正規労働者の権利を擁護するための新しい制度を完備する必要がある。そうならなければ,社会の安定は到底維持できない。基本は労働者の立場に立って社会(雇用)の変化を捉えるということにある。それには,主権者としての権利を発揮できる唯一の手段である選挙を通して,このような政策を遂行できる政党や候補者を国会に送ることの重要性を意味している。

なお,残業をなくせば260万人分の雇用の創出が可能である。この数字は330万人失業者の大半を吸収できる規模である。社会経済生産性本部の調査によると,国内の民間企業に勤めている人の総労働時間は月平均158.3時間で,このうちの12.5時間は残業に当たる「所定外労働」に費やされているという。さらに,会社が残業手当を支払わない,いわゆる「サービス残業」がこのほかに6.9時間分あると推計している。そのうえで,企業が所定外労働を廃止して,不足する労働力を新規採用でまかなった場合は170万人分の雇用を創出できると試算している。同様に,サービス残業をゼロにすれば90万人分の雇用機会につながるとみている中間報告)。

また,同本部は1998年7月に,2人分の仕事を3人で分かちあうような「ワークシェアリング」を雇用創出策の一つとして検討すべきだという緊急提言も発表している。

 

58)現役の学生に比べて,社会人学生の勉学意欲は概して高い。例えば,『女の気持ち−年かさの女子大生』と題する記事 (1998年1月21日付『毎日新聞』  ) もその一例である。

「私は見た目も中身も立派なおばさんです。でも女子大生なのである。3年前に大学入学資格検定にパス,遅ればせながらの学生生活が始まった。 去年は社会人向けの科目履修制度を利用して二つの大学に登録,1つは集中講義で宗教を学び,もう1つは通年で演劇論を勉強しでいる。おかげでたくさんのクラスメートができた。中には大阪府富田林から京都まで通学している60ウン歳の同級生もいる。 みんな多忙な中,自分の時間を絞り出して学んでいるのである。 私たちちょっと年かさの学生の特徴は,@まず座席は前の方に陣取る(でないと聞き取れない)。Aこまかくノートを取る(でないと忘れる)。Bよく質問し図書館をフルに活用する(授業料のモトをとる)。Cリポートは必死になって書く(だいたい枚数オ−バーである)ということで,教室の後ろの方でしゃべっているクラスメートより,よく勉強しでいるのである。だから充実感も抜群なのである。このぶんでゆくと21世紀の大学は,おじさん,おばさんに制圧されるかもしれぬ。世のお父さんお母さん,高い授業料を払って勉強しない娘や息子を大学にやるよりも,ご自身が勉強されたほうがよっぽどお得で楽しいと思いますが,いかがですか。

 

59)民間調査機関が1999年に行った障害者の受け入れ状況に関するアンケートによると(全国601大学のうち,339大学から回答),過去5年間に障害を持つ受験生のいた大学はその中の77%で,障害者が在籍したのは70%だった。ところで,ハンディを背負った人たちが,普通の大学に通える環境が21世紀の共生社会には必要不可欠の条件である。さまざまな立場の人が大学に通うこと。そこにお互いを思いやる心が育つのからである。例えば,「『盲人=鍼灸(しんきゅう)師』というイメージを変えたかった。大学に行けば,違う道が開けるかもしれないと,2歳の時,約2万人に1人と言われる網膜細胞腫(しゅ)にかかり,両目の視力を失った脇水哲朗さんは,福岡市から東京の筑波大学付属盲学校に入学するために上京,1年間の予備校生活を経て,過去に2度,全盲の学生を受け入れたことのある明治大学政治経済学部に入学したのち,2000年4月にハンディを乗り越え,同大大学院政治経済研究科政治学専攻に合格した。キャンパス内では,ごく自然に脇水さんに手を貸す学生たちの姿をよく見かける」(2000年2月4日付『毎日新聞』東京夕刊)が,こうした姿が,キャンパスのいたるところで見受けられる大学こそが21世紀に社会的価値ある大学として生き残れるのである。

 

60)障害者雇用促進法によって,従業員56人以上の一般企業は,1.8%に相当する人数の身体障害者か知的障害者を雇うことを義務づけられている。この雇用率を達成できない企業は,労働省の外郭団体に不足する1人あたり月5万円を納付するが,大企業ほど納付で済ませている割合が高く,大企業の77%が守っていない(1999年現在)。法があっても守られないのであるから,法がなければどうなるか明らかである。大学に対しての設備の充実等についても何らかの法的措置が必要である。

 

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