社 会 法

·         社会法とは、実定法の特定領域の名称として、主としてドイツ、及びフランスにおいて使用され、その定義は多種多様であるが、通常は、労働法を中核とする社会政策立法(資本主義社会における階級間のあつれき緩和を目的に制定される立法)の意味に解される。

·         その主たる内容は、近代資本主義社会 =独占資本主義社会における近代市民法の虚偽性と罪悪性を修正する特別法としての役割をもち、広い意味では、労働法のみならず経済法を含む概念と解されるが、労働法や経済法が独立法領域として発展した今日、狭義においては社会法を労働法、経済法と区別し、社会保障社会保険公的扶助公衆衛生等広く社会的厚生福祉の増進を目的とする法規全体の総称としてとらえられている。

·         それはまた資本主義の欠陥を是正し、資本主義の健全な発展を促すとともに、社会主義革命を防止する意味において、社会主義革命の結果作りだされた社会主義法とは根本的に異なることはいうまでもない。

 

·         社会保障とは、国民の健康にして文化的な最低限度の生活の保障は、国の義務であるとする法思想である 生存権に基づいて国が行う政策であるが、一般には疾病老齢障害死亡出産労働災害失業等の生活上の危険や事故に遭遇して、生活を維持できない国民に対し、一定基準の救済(社会的サービス)を与える社会保険と公的扶助を中核とするがゆえに、社会法を、社会保障法といいかえることもできる。

·         さて社会保険は、1883(明治16)年ドイツのビスマルクによって制定された疾病保険法がその端緒とされているが、日本最初の社会保険は、1922(大正11)年に公布され、1927(昭和2)年から保険給付がはじまった健康保険法(大2法第70号)をもってその嚆矢(こうし)とする。

·         そもそも同法は、第1次大戦後のソヴィエト革命に影響されたヨーロッパの革命的労働運動の発展により、ヨーロッパ各国で社会保険の整備が進んだことの刺激と、日本における労働運動の発展、それに伴う社会不安を除去するために、労働者の業務上、及び業務外の災害に対して、労使の拠出する基金と政府の補助金とを資金源として、保険給付による救済をはかるという制度であった。

 

·         だが戦後、労働基準法及び労働者災害補償保険法の制定により、業務上の災害については労働基準法等に委ねられたため、同法も改正され、業務外の災害、つまり被保険者とその家族の疾病、負傷、死亡、分娩に対する保険給付に限定されるようになった

·         保険者(保険関係の一方の当事者として、所定の保険事故が発生した場合に保険給付の義務を負う者)は、政府と法人民法上の公益法人ではなく、健康保険法による中間法人−健康保険法26条)としての保険組合である(同法22条)。

·         前者がいわゆる政府(管掌)健康保険、後者が組合(管掌)健康保険である。

·         また保険給付としては、診察薬剤、又は治療材料の支給処置手術其の他の治療病院、又は診療所への収容看護移送等の現物給付としての療養給付(43条)と、療養給付を行うことが困難な場合、又は被保険者が緊急、その他やむを得ない事由のため保険医療機関、あるいは保険薬局以外の者の診療、薬剤の支給手当を受けた場合に支給される現金給付である療養費(44・44条ノ2) 、被保険者及び組合員が療養のため労務に服することができない場合に、第4日より標準報酬額(3条)の100分の60に相当する金額が支給される傷病手当金(45条)、被保険者が死亡したときに支給される埋葬料(49条)、被保険者が分娩したときに支給される分娩費と出産手当金(50条)、及び育児手当金(50条の2)、それに被扶養者に対して支給される家族療養費(59条ノ2)、高額療養費(59条ノ4ノ2)、家族埋葬費(59条ノ3)、配偶者分娩費・育児手当金(59条ノ4)等々がある。

·         また1938(昭和13)年には、昭和初年の農業恐慌資本主義社会に内在する矛盾の表現である全般的な過剰生産恐慌の一構成部分として、農業部門にあらわれる恐慌であり、1930〜1932年に全国的規模で起こったものである。その主要な要因は、1929年の大恐慌と、それに先立つ1930年1月に浜口内閣が実行した1917年以来の金輸出禁止を解除して、金の自由な鋳造及び流通を許した金本位制度の失敗にある)をきっかけとした農民、漁民救済のための国民健康保険法が制定された。

·         同法は、戦後数次の改正を受けるとともに、1958(昭和33)年には全面改正が行われ(昭33法第192号)、「国民健康保険事業の健全な運営を確保し、もって社会保障及び国民保健の向上に寄与することを目的」(同法1条)とした新たな法律として再生し、その内容も大幅に改善された。

·         その他の健康保険として、船員を対象とする船員保険法(以上の各保険の行政機関はともに厚生省保険局である)、私立学校の教職員を対象とする私立学校教職員共済組合法(文部省管埋局)、国家公務員を対象とする国家公務員共済組合法(大蔵省主計局)、地方公務員の地方公務員共済組合法(大蔵省主計局)、市町村職員を対象とする市町村職員共済組合法(自治省行政局)、農林漁業団体職員を対象とする農林漁業団体職員共済組合法(農林水産省農林経済局)等によって設立されたそれぞれの共済組合があり、これとは別に、生活保護法によって生活保護を受けている世帯については、生活保護法15条により、同法49条以下に従って医療扶助が行われている。

·         こうした医療給付に対して、老齢障害死亡退職等を支払事由として、定期的に、かつ継続して支給されるのが年金であり、それには、公的年金私的年金とがある。

·         公的年金には、厚生年金保険法、国民年金法をはじめとする各被用者年金保険法、労働者災害補償保険法、戦傷病者戦没者遺族等授護法、末帰還者留守家族等援護法等による年金給付がある。

·         現行の厚生年金保険法は、1954(昭和29)年法であるが、同法の起点は、1941(昭和16)年の労働者年金保険法に遡ることができ、同法は1939(昭和14)年の船員保険法とともにわが国の年金保険法のルーツといえる。これらの法は数次の改正を受け、その内容を前進させながら現在にいたっている。

·         厚生年金保険法の目的とするところは、労働者の老齢、障害、死亡について年金給付を行い、労働者、及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与(同法1条)することにあり、同保険は政府が管掌する(2条)。

 

·         年金給付の内容は、老齢厚生年金(42条以下)、障害厚生年金、及び障害手当金(47条以下)、遺族厚生年金(58条以下)の4種類である。

·         国民年金法は、憲法25条2項の理念と社会保障の原則に基づいて、1959(昭和34)年に制定されたもので、その後幾多の改正を受け、またインフレに対処するためその内容も改善されてきた。

·         同法は、厚生年金保険法が健康保険法の被保険者に相当する社会階層によって構成されているのに対し、自営業者農・林・漁業従事者その他各種共済保険法等公的年金制度によって保障されない国民階層に対して、厚生年金保険法と同様の老齢基礎年金(26条以下)、障害基礎年金(30条以下)のほか、遺族基礎年金(37条以下)、付加年金寡婦年金夫によって生計を維持していた妻が、10年以上婚姻関係〈内縁を含む〉を継続し、65歳未満であるときに支給される年金−49条以下)、及び死亡一時金(52条の2以下)を年金として支給することを目的としている。

·         私的年金は、任意的私的保険であるところに待徴があり、郵便年金法により国が国民に対して簡易に利用させるために行う年金保険である郵便年金、あるいは営利保険保険者が営利の目的で他人、すなわち保険契約者と有償的な契約を結ぶことによって保険を引き受ける場合の保険であリ、損害保険会社の保険に代表される)や相互保険保険の利益を受けんとする者により構成される社団法人が保険者となり、その構成員のために保険を引き受ける形式の保険であり、生命保険会社の保険に代表される)による年金保険(保険事故発生に際し支払うべき保険金を一時に支払わず、年金として定期的に継続して支払うもの)があるが、社会保障としての年金には含まれない。

·         ところで諸外国に比べて最も遅れていたのが、失業保険の分野であったが、1947(昭和22)年に「被保険者が失業した場合に、失業保険金を支給して、その生活の安定を図る」ことを目的に、失業保険法(昭22法第146号)が制定されている。

·         同法も数次の改正を経た後、1974(昭和49)年、いわゆる構造的不況に対応するため、「労働者が失業した場合に必要な給付を行うことにより、労働者の生活の安定を図るとともに、求職活動を容易にする等その就職を促進し、あわせて、労働者の職業の安定に資するため、失業の予防、雇用状態の是正及び雇用機会の増大、労働者の能力の開発及び向上その他労働者の福祉の増進を図ることを目的とする」雇用保険法(昭49法第116号)に発展的に解消している。

·         同法の失業給付内容は、求職者給付就職促進給付(10条)であり、求職者給付は、さらに、基本手当、技能習得手当、寄宿手当傷病手当に分類され、就職促進給付は、再就職手当常用就職支度金移転費広域求職活動費に分類される。

·         このような社会保険と並んで、社会保障制度の重要な政策の一つが公的(国家)扶助であるが、日本は、公的扶助の分野でも、その立ち遅れが目立ち、公的扶助に関する法律が国民の前に登場したのは昭昭和に入ってからである。

·         すなわち1929(昭和4)年にまず救護法が制定され、労働能力を欠く老幼者、障害者などを対象とし、これに生活医療助産生業上の救護借置が講じられ、ついで幼児をもつ貧困な母や祖父母を救済する目的で、1937(昭和12)年には母子保護法が制定された。

·         これらの法律は、医療保護法とともに1946(昭和22)年制定の生活保護法に吸収され、その内容を憲法25条に従って充実させ、1950(昭和25)年には全面改正が施され、新法として衣替えしている(昭25法第144号)。

·         同法の特色は、これまでの法律のように生活保護が国家の恩恵ではなく、その1条が、「日本国憲法第25条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対して、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」と規定するように、健康で文化的な最低限度の生活保障が国家の義務として確認され、かつ保護の範囲をあらゆる生活面に拡大したことである。

·         同法の保護の種類は、生活扶助教育扶助住宅扶助医療扶助出産扶助失業扶助、葬祭扶助等に分れ、いずれも困窮のため最低限度の生活を維持できない者に対して、その程度に応して単給、又は併給として支給される(11条)ほか、保護施設として救護施設更生施設医療保護施設授産施設宿所提供施設等がある(38条)。

·         1947(昭和22)年には、児童の保護育成の責任が親とともに国及び地方公共団体にあることを明確にし、組織的な児童育成と愛護をはかるために児童福祉法(昭22法第164号)が制定され、児童の福祉増進について主として相談調査科学的判定指導、及び児童の一時的保護を行う機関として児童相談所(15・15条ノ2)が設置されている。

·         そして相談所の職員で児童の保護、指導等を行う専門的個別指導員として児童福祉司が新たに設けられた(11条)。

·         さらに児童の福祉増進をはかるための施設として、児童福祉施設(35条)が設立されたが、その施設は、助産施設、乳児院、母子寮、保育所、児童厚生施設、養護施設、精神簿弱児施設、精神簿弱児通園施設、盲ろうあ児施設、虚弱児施設、肢体不自由児施設、重症心身障害児施設、情緒障害児短期治療施設、救護院(7・36〜44条)等々に分類される。

 

·         また1961(昭和36)年には、父と生計を同じくしていない児童に対し、国が児童扶養手当を支給することを定めた児童扶養手当法(昭36法第238号)が制定され、その結果、義務教育終了前の者、又は所定の障害状態にある20歳未満の者で(3条)、その児童が、父母の離婚、父の死亡、父の障害、父の生死不明、その他これらに準ずる状態にある場合に、児童を監護する母、もしくはその他の養育者に対して、児童扶養手当が支給されることとなった(4条)。

·         1949(昭和24)年には、視覚、聴覚、平衝機能、音声、言語機能の障害をもち、又は肢体不自由な18歳以上の身体障害者がおかれている社会的経済的諸事情にかんがみ、その自立更生を援助し、自立のために必要な援護を行い、その福祉を図ることを目的として、身体障害者福祉法(昭24法第283号)の制定をみている。

·         それにより、身体障害者の福祉に関する事項を調査、審議するため身体障害者福祉審議会がおかれ、その自立更生援護の中枢的指導機関として、更生相談所が都道府県に設置されることになった(2条)。

 

·         そして社会福祉法人その他の者は、社会福祉事業法(昭26法第45号)により、身体障害者更生援護施設を設置することができることとなり、1960(昭和35)年には、身体障害者が適当な職業に雇用されることを促進し、その職業の安定をはかることを目的として、身体障害者雇用促進法(昭35法第123号)が制定された。

·         このように社会法は、社会保障としての社会保険と公的扶助を中心に各種の法律によって形成されているのである。

 

 

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