フランクリン ・ デラノ ・ ルーズベルト

 

 

1882年1月30日〜1945年4月13日

 

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アメリカの政治家、第32代大統領(民主党)。1882(明治15)年ニューヨーク州ハイドパークの資産家の1人息子として生まれ、ハーバード大卒業。ルーズベルトの妻であるエレノアは第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪(めい)である。28歳で民主党のニューヨーク州議会上院議員に選ばれ、海軍次官にも抜てきされ、敗れはしたが38歳で副大統領候補になるなか、39歳の時、小児まひで下半身の自由を失う。松葉づえと車いすに頼って政界に復帰、大恐慌が起こった1929(昭和4)年47歳でニューヨーク州知事になる。

 

失業者数1,280万人という現実を直視したルーズベルトは弱者救済策を訴え、全米の評価と期待を集め、32年末の大統領選挙に楽勝し、33(昭和8)年3月第32代大統領に就任。さらに、ドイツとフランス・イギリスの間で第2次世界大戦対戦はじまった39(昭和14)年、これまでの「大統領任期2期」の慣習を破り3期目に立候補して当選(このとき、「自国領土が攻撃を受けない限り、米国の青年を戦場に送ることはしない」と公約した)、戦争中の44年末ルーズベルトは連合国戦勝を指導した功から、大統領に4度選ばれる(その後憲法改正により2期に限定された)

 

ルーズベルトは、大統領に就任した33年より恐慌対策としてニューディール(政策)を実施する。ニューディール第1弾は金融システムの回復であった。就任直後に4日間の銀行閉鎖を宣言し、この間に公的資金による銀行支援と政府による監督を議会に提案。可決と同時に、自信に満ちた声で「もう、銀行は大丈夫です」と、全米にラジオ放送、その結果、銀行は信用と機能は一定回復する。

 

(メディアを巧みに利用した最初の大統領)

 

 

以後矢継ぎ早に数々の社会保障制度を導入し、開発と失業吸収を兼ねるテネシー渓谷開発公社(TVA)などの公共事業を打ち出した。財源は富裕層への増税と国債発行によった。こうした弱者救済策は、資産家層は階級の反発を招いたが、ルーズベルトはびくともしなかった。身体障害者としてのつらい経験がそうさせたのであろうか? しかし効果はなかなああがらず、失業者の数も思ったより減少しなかった。

 

ルーズベルトは41年の年頭教書(1月6日で、「(1)言論の自由(2)宗教の自由(3)欠乏からの自由(4)恐怖からの自由(戦争に巻き込まれない自由、世界的な軍縮)という、人類の将来の「4つの自由」について宣言した。

 

その後ルーズベルトは、孤立主義的なアメリカの世論を次第に反ファシズムの方向へ転換させることにつとめ、原爆開発促進政策を展開する。そして日本軍から真珠湾奇襲攻撃を契機に、議会で「日本帝国の無警告攻撃で戦争状態に入った」と演説、世論は一挙に参戦に傾き、アメリカは英・仏陣営を支援して参戦、連合国中核として戦争をリードする。アメリカ経済は参戦による武器製造のフル生産体制で活況を呈し、失業者数は44年には67万人にまで減少する。

 

戦況も次第に連合国側有利に傾き、43年9月8日、日独伊「3国同盟」の一角イタリアが降伏、44(昭和19)年6月6日、連合軍がノルマンディー上陸、同8月29日、パリ入城、連合国の勝利は確実になる。

 

ルーズベルトは45年早々、不自由な下半身にむち打って、黒海のクリミア半島で開かれるヤルタ会談(英国のチャーチルと連携して、ソ連のスターリンから戦後世界の枠組み、国連創設の協力を取り付けるのが目的で、この会談でソ連の日本に対する参戦と戦後日本の運命が決定された)に赴き、2月4日から8日間の交渉でその目的を果たすのである。しかし、巡洋艦、軍用機を乗り継いだ1カ月を超える旅程は、あまりにも苛酷に過ぎたのか? 帰国したルーズベルトは衰弱しきっていた。そしてドイツ降伏の1カ月前、日本降伏の4カ月前の4月12日昼食前、ルーズベルトは突然、ひじ掛けいすから崩れ落ちた。4期目任期半ばでの(回想録や自伝を残す暇もなく)「脳いっ血」による急死であった(享年63歳)

 

ヤルタ会談での英・米・ソの3首脳(左からチャーチル・ルーズベルト・スターリン)

 

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なお、ルーズベルトの死後大統領に就任したトルーマン(その年の45年1月に副大統領に就任にたばかりだった)は、ルーズベルト大統領夫人のエレノアを国連人権委員会の米国代表に任命している。夫人は就任の際、「私は夫の遺志を継いでこれを行う」と表明、議長になった。エレノアは国連世界人権宣言の起草に情熱を注ぎ、48(昭和23)年12月10日の総会採択にこぎつけた。彼女は52年に議長を辞した後も、人権と国連の意義を説き続け、62(昭和37)年に77歳で永眠した。

 

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参考文献

1.        R・フリードマン著『フランクリン・ルーズベルト』(NTT出版)

2.        W・ルクテンバーグ著『ローズベルト』(紀伊国屋書店)

3.        大統領の経済学−ルーズベルトからレーガンまで ハーバート・スタイン/著//土志田征一/訳 日本経済新聞社 (1985.8)

4.        米国東アジア政策の源流とその創設者−セオドア・ルーズベルトとアルフレッド・マハン [山口経済研究叢書] 谷光太郎/著 山口大学経済学会 (1998.8)

 

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