(三重県)名張(なばり)毒ぶどう酒事件(再審決定取消決定論説=学内限定)
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名張毒ぶどう酒事件 ☆ 今から50年(半世紀)前の1961(昭和36)年3月28日、三重県名張市葛尾(くずお)の公民館で開かれた地区住民の懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状を起こした事件。 逮捕された奥西勝死刑囚(当時35歳。現在、名古屋拘置所に収監中)の妻と愛人も死亡、同死刑囚は捜査段階で、三角関係を清算するためぶどう酒に農薬のニッカリンTを入れたと自白したが、起訴前に否認に転じ、公判では無罪を主張。 1審・津地裁は1964(昭和39)年、自白の信用性を否定して無罪を言い渡した(判決全文)が、2審・名古屋高裁は1969(昭和44)年、逆転の死刑判決を言い渡し、1972(昭和47)年に最高裁で死刑が確定した。 2010(平成22)年4月5日、最高裁は第7次再審請求で、再審開始決定を取り消した名古屋高裁の決定を取り消して同高裁に差し戻し、同年4月19日、名古屋高裁刑事第2部で差戻し審が開始された。 4月22日、弁護団が記者会見し、差し戻し審が開かれる名古屋高裁と名古屋高検との三者間で審理の進め方を協議する会合を5月28日に開くことを明らかにした。高裁での差し戻し審開始後初の協議で、三者の「顔見せ」の趣旨もあるという。審理が具体的に動きだすのは、協議で審理計画を立ててからで、数カ月後になる見通し。また弁護団は、差し戻し審の最大の争点となる毒物問題についての意見書などを近く、名古屋高裁に提出する方針を明らかにした。弁護団は会見に先立ち、名古屋高検の担当者に面会し、元被告を直ちに釈放するよう求めた。 ☆ 10年5月31日、奥西勝死刑囚(84)がぶどう酒に混入したと自白した農薬ニッカリンTとぶどう酒(ともに現在は製造中止)を当時の製法で作り直し、再鑑定するよう高裁に求めたことを明らかにした。ニッカリンTの製造メーカーからは「裁判所の要請があれば協力する」との内諾を得たという。高検によると、ニッカリンTを製造していたのは東京都江東区の化学メーカーで、4月に再製造を打診。ぶどう酒についても再製造は可能と判断した。5月28日の高裁、弁護団との3者協議で再製造と再鑑定を提案した。弁護団は「ただやみくもに実験を行うのなら反対。審理の引き延ばしだ」としている。三重県警の当時の鑑定では、現場に残されたぶどう酒からはニッカリンTに含まれる成分の一部が検出されなかった。弁護団が独自に専門家に依頼したニッカリンTの再鑑定ではこの成分が検出されたため、「混入された農薬はニッカリンTではない」と主張。検察側は「(成分の)発色反応が弱く検出されなかった。再鑑定に使われた農薬も40年の間に変質した可能性がある」と反論していた。最高裁は審理を高裁に差し戻した際に「近似の条件で再鑑定を行うなど審理を尽くす必要がある」と求めた(10年6月02日付『毎日新聞』)。 |



逮捕当時1961年4月3日の正午すぎ、三重県警名張署の宿直室で、異例の容疑者の記者会見が行われた。事件発生から7日目。自白の模様はテレビ中継され、新聞各紙にも掲載された。同死刑囚は、このインタビューを悔やみ、「警察から『家族を救うために会見して謝罪しろ』と言われ、取調官が書いた文を(暗記して)読んだだけ」と裁判官にあてた手記で訴えた。なお、会見は「報道陣が警察に押し込む形で」実現した。

奥西死刑囚は、三重県名張市の尋常高等小学校を卒業した後、修理工を経て両親と茶の栽培など農業を営む一方、石切り場で働いていた。
1審の無罪判決後、釈放され、その時の記者会見で、「(逮捕直後の会見は)警察官に『教えてやるから』と言われ、下書きするなど勉強した」と話していた。2審では一転して死刑判決が出たが、無罪を信じる母親が出廷前に「前祝い」として炊いた赤飯が、同死刑囚が口にした最後の手料理となった。
03年には胃がんが見つかり、同年1月28日大阪医療刑務所で手術を受け、胃の3分の2を摘出。当時同死刑囚は、「無罪となったら温泉に行きたい」と話していた。
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最高裁決定/事件の年表
最高裁第3小法廷;『毒ぶどう酒』差し戻し 7次請求 再審の可能性も(10年4月5日)=決定全文 / 要旨/新聞論調
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「一日も早く再審をしてもらい、冤罪(えんざい)を晴らしたい」=2010年4月6日、高裁が名古屋高裁への「差し戻し」を決定したことについて奥西勝死刑囚(84)が穏やかな表情で語った言葉。
「私は無実です。命の限り戦います。支援してくれた方にお礼を申し上げます」=⇒再審決定取り消しの報を聞いた時の奥西死刑囚の言葉。
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2010年3月7日午後、東京・有楽町で事件への支援を訴える足利事件の菅家利和さん
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■名張毒ぶどう酒事件の年表■
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年 月 |
請求等 |
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61年 3月28日 |
事件発生(三重県名張市葛尾) |
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4月 3日 |
奥西勝逮捕、起訴(4月24日) |
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64年12月23日 |
津地裁が無罪判決(判決全文) |
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69年 9月10日 |
名古屋高裁が死刑判決 |
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72年 6月15日 |
最高裁が上告棄却、死刑確定 |
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73年 4月25日 |
奥西死刑囚が第1次再審請求(74年1月9日棄却) |
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74年 6月 4日 |
第2次再審請求(75年11月21日棄却) |
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76年 2月17日 |
第3次再審請求(4月5日棄却) |
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9月27日 |
第4次再審請求(77年5月20日棄却) |
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77年 5月28日 |
第5次再審請求、日弁連人権擁護委が支援 |
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88年12月 |
名古屋高裁が請求棄却 |
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93年 3月 |
同高裁が異議申し立て棄却 |
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97年 1月28日 |
最高裁が特別抗告棄却、30日第6次再審請求 |
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98年10月 |
名古屋高裁が請求棄却 |
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99年 9月 |
同高裁が異議申し立て棄却 |
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02年 4月10日 |
最高裁が特別抗告棄却、同日第7次再審請求 |
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03年 1月28日 |
大阪医療刑務所で胃がんの手術を受け、胃の3分の2を摘出 |
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04年12月 |
名古屋高裁(刑事第1部)が弁護側の鑑定人を証人尋問 |
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05年 2月 |
16年ぶりの事実調べ。弁護団、検察側が意見書提出 |
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05年 4月5日 |
名古屋高裁(刑事第1部)再審開始決定(決定要旨) |
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05年 4月8日 |
名古屋高検が異議申し立て |
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06年10月26日 |
名古屋高裁(刑事第2部)再審開始決定を取り消す(決定要旨) |
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07年 1月 4日 |
弁護側が最高裁に特別抗告 |
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10年 3月21日 |
足利事件で逮捕され、17年半もの間、自由を奪われた菅家さん(63)が、伊賀市下柘植のふるさと会館で講演し、「無罪だけでは納得がいかない。刑事、検事、裁判官、科学警察研究所、精神鑑定した教授が間違ったと認め、謝ってほしい」と訴え、507人が聴き入った |
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3月28日 |
事件発生から49年となるこの日、奥西死刑囚の支援者ら約140人が現地調査し、花を手向けた |
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4月 5日 |
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4月6日 |
弁護団、奥西死刑囚と面会、同死刑囚は、「1日も早く再審をしていただき、冤罪が晴れるまで頑張ります」と、発生から49年、安堵の笑顔をみせた 最高検の鈴木和宏刑事部長は、「最高裁判所の決定内容を踏まえ、差し戻される名古屋高等裁判所において、適切な立証に努めたい」とのコメントを発表 |
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4月 7日 |
支援者らが名古屋高検で事務官3人と面会し、「奥西元被告は84歳と高齢であり、どこへも逃げる恐れがないので、社会へ戻してほしい」などと訴え、早期釈放などを求める申し入れ書を手渡した |
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4月19日 |
名古屋高裁は最高裁からの事件記録を受理。刑事第2部(下山保男裁判長)で差戻し審開始。同高裁は、検察、弁護側との協議を5月中にも開く意向で、既に打診 |
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4月21日 |
支援者らが、名古屋高裁に速やかな再審開始決定のほか、奥西元被告の釈放と検察が明らかにしていないとされる証拠の開示を検察側に働き掛けるよう求める要請書を提出。また、名古屋拘置所と名古屋高検にも、拘置所内での待遇改善や即時釈放などを要請 |
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5月28日 |
名古屋高裁と名古屋高検・弁護団との三者間で審理の進め方を協議開催 弁護団、名古屋高検の担当者に面会し、元被告を直ちに釈放するよう求める |
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起訴事実 |
津地裁無罪判決 |
名古屋高裁逆転死刑判決 |
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1.動機=三角関係の清算のために、妻と愛人の殺害を計画 2.準備=名張市葛尾の親睦団体「三奈の会」総会の前夜、自宅にあった農薬「ニッカリンT」を竹筒に移し入れ準備 4.物証=検察は、現場で見つかった王冠に傷があり、この傷はぶどう酒のビンを歯で開けた時にできた傷だと認定し、王冠の傷と奥西死刑囚の歯型が一致するとして、これを唯一の物的証拠とした。 ただし、目撃者はなく、他の物証もない |
1.犯行動機が不合理 2.自白は信用でない 3.毒物混入の機会は他の人にもあった 4.王冠の傷は奥西死刑囚の歯型とは断定できない |
1.犯行動機は納得できる 2.自白は信用できる 3.毒物混入の機会は奥西死刑囚にしかない 4.王冠の傷は奥西死刑囚の歯型と一致する |
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戦後最大の大衆運動が展開された「60年安保闘争」が終結し、池田内閣の下での所得倍増計画が始まり、レジャー・プライバシー・マイカー・スーダラ節・上を向いて歩こうが流行語になった1961(昭和36)年3月28日、山あいの傾斜地に18世帯(約100人)が寄り添うように軒を並べる三重県名張市葛尾(くずお)の公民館(現在は、ゲートボール場)で地区住民の懇親会(葛尾地区の18戸と奈良県山辺郡山添村葛尾7戸で構成されている農業改良、生活改善、文化向上と両村民の親睦を兼ねたクラブ「三奈(みな)の会」【三重県と奈良県の頭文字】の年1回の総会)が開かれた(事件から50年を経ても7回忌に住民が建てた事件の慰霊塔が小高い丘に建つ葛尾地区は2世帯が減っただけである)。

事件があった三重県名張市葛尾地区の集落

事件の後に建立された慰霊塔。背後は現場となった公民館の跡地
出席者は32人、うち女性は20人であった。男性は日本酒を、女性はぶどう酒を飲んだが、ぶどう酒には農薬が混入されていて、それを飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状を起こした。
きわめて狭い集落で起きた犯罪史上に残る凄惨きわまりない事件に世間は凍り付き、猟奇的事件の発生にメディアは過剰に反応した。
鑑定の結果、ぶどう酒に混入されていた農薬は有機燐製剤のテップとも呼ばれる「ニッカリンT」と判明、犯人は村内にいる判断した警察は、事件当日ぶどう酒の購入、運搬に関与した3人の村人を、重要参考人と取り調べたが、3人とも否認した。

だが、そのうちの1人の奥西勝(当時35歳)は死亡した5人の女性の中に、妻と愛人がいたため、「三角関係の清算」という動機があるとして逮捕された。
警察と検察が描いた事件の構図は、愛人の存在が妻に発覚、そのため夫婦は、事々に喧嘩して家庭に風波が絶えないばかりか、妻は夫の着衣の洗濯その他の用さえも素直にはしないぐらい冷淡薄情な反抗的態度に出て夫婦関係は険悪化、一方愛人の方も、妻から散々責められるばかりか、村人からも手厳しく非難されたことから、被告人との関係が重荷になって、その関係の断絶を迫ったことからやけ気味になった奥西が、両名を殺害して三角関係を一挙に清算する機会をうかがい、「三奈の会」総会後の懇親会の機会を絶好のチャンスととられ、酒好きの妻と愛人を確実に殺せると思いぶどう酒の中に農薬を入れて実行に及んだというものであった。
当初否認していた奥西は、厳しい取り調べの結果、「妻と愛人(ともに死亡)との三角関係を清算しように、1人になった隙に、自宅から用意してきたニッカリンTを混入した」と自供したことから、検察は奥西を、殺人、同未遂罪で起訴した。求刑は大量殺人と同未遂から当然のことながら死刑であった。
三角関係の清算のための殺人との自供に、世間は奥西の犯行と信じたが、奥西は、公判で否認に転じた。
おもな物証は、歯形のような傷跡がついていたぶどう酒瓶の栓(せん)だけであった。
その傷跡は、被告の歯形だという鑑定と、それを否定する鑑定がでたので、結局、捜査段階での自供を信用するかどうかが重要な決め手になった。つまり、自供の信用性が、死刑か無罪かの分かれ目となったわけである。
事件から3年8カ月後の64年12月23日、一審津地裁は、自白の信用性を否定して無罪とした。一審の3人の裁判官は自白の信用性を疑い無罪の判決を下したのである。
検察は控訴、名古屋高裁は69年9月に津地裁の無罪判決を破棄、逆転有罪の死刑判決を行う。無罪から死刑、その落差はあまりにも大きかったが、3年後72年6月、最高裁は上告を棄却、ここに奥西の死刑が確定した。
奥西死刑囚は73年から再審請求、第5次請求からは日弁連が支援したが、いずれも退けられていた。一転、05年4月5日名古屋高裁刑事第1部は第7次再審請求を認める決定をし、通知した。
再審決定にあたっては田中耕一さんのノーベル化学賞受賞で有名になった最新の科学機器の質量分析計が使用され、コンピューターによる最新のシミュレーション解析で微量な化学物質を割り出した。その結果、ぶどう酒に入っていた毒物は供述とは別の奥西死刑囚が事件当時所持していなかった農薬の可能性が出てきたのであるが、決定要旨は以下のとおりである。
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第7次再審開始決定要旨 本請求の新証拠は次の通りで、刑事訴訟法435条6号が再審開始の要件と定める新規性が認められる。新旧全証拠を総合評価した結果、次のような疑問が生じている。 1.偽装的な開栓方法と犯行の機会 ぶどう酒の王冠、四つ足替栓、封緘(ふうかん)紙を複製して実験した結果、外見上元通りの状態にしておく偽装的な方法による開栓が可能だと判明した。この新証拠を含めて再検討すると、毒物混入の場所は特定できず、ぶどう酒が公民館に持ち込まれる以前に何者かによる混入機会があった可能性がある。その一方で、他の者に毒物を入手する可能性がなかったとの立証は十分に行われていない。他の者による犯行の可能性が否定できない。
2.四つ足替栓の証拠物としての特定性 事件発生後に公民館で発見された四つ足替栓の足は1本が極端に曲がっている。新証拠の塑性力学の専門家による鑑定書によれば、曲がりは人の歯によって形成されたものではなく、栓抜きのような物が当てられた場合に形成されたことが判明した。この新証拠を含めて再検討すると、証拠物の四つ足替栓は本件ぶどう酒瓶のものではなかった疑いがある。四つ足替栓の痕跡が奥西死刑囚の歯によるとしても矛盾しないとする鑑定書は前提が揺らぎ、歯で開けたという自白を補強する意味は大幅に失われた。 3.本件毒物の特定 新証拠として提出された有機化合物の研究者作成の鑑定書によれば、本件の毒物は「ニッカリンT」でなかった疑いが生じている。奥西死刑囚がニッカリンTを所持していた事実から犯人と推認する意味を弱めている。 4.自白の信用性の再評価 新旧全証拠の総合評価によって奥西死刑囚の自白の信用性を再検討すると、自白はぶどう酒の開栓方法やニッカリンTを使用したことなど客観的事実に反する疑いがある。犯行機会の特定などの重要な点を含む多くの事項に不自然な変遷があり、真犯人であれば当然言及したはずの供述がないことが目立つ。動機、準備、実行、事後の行為の全部にわたって不自然、不合理な点が多く、自白の信用性には重大な疑問がある。 5.結論 状況証拠から奥西死刑囚が犯人との推認はできず、自白の信用性には重大な疑問があるから、確定判決の有罪認定は、新証拠を加えることで合理的な疑いが生じている。これらの新証拠が確定裁判の審理に提出されていれば「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」にあたり、刑事訴訟法435条6号の再審開始の要件を満たすから、再審を開始すべきである。 |
上記3でいう新証拠とは、2004年12月1日、弁護団が提出したものである。すなわち、犯行に使われたとされるニッカリンTは、テップ剤と呼ばれる農薬で、その製造方法では、主成分のテップの他、副生成物としてトリエチルピロリン酸が生成される。だが、毒物が混入されていたぶどう酒の飲み残りからは、テップとテップが加水分解した物質であるDEP(デップ)が検出されているものの、トリエチルピロリン酸は検出されていなかったのである。
当時の鑑定人は、トリエチルピロリン酸が検出されなかった理由について、加水分解速度が非常に速く、それにより消失したと説明していた。しかし、弁護団が行ったニッカリンTに関する様々な分析と実験の結果、ニッカリンTの製造方法によると、ニッカリンTには、必ず副生成物としてトリエチルピロリン酸が含まれており、このトリエチルピロリン酸の加水分解速度はテップと比較すると非常に遅いことが判明したのである。他方、ニッカリンTと異なるT化学工業(株)のテップ剤の製造法によると、トリエチルピロリン酸が生成されないことが化学的に証明されている。つまり、飲み残りのぶどう酒からテップが検出されているにも関わらず、トリエチルピロリン酸が検出されなかったという事実は、使用された農薬が奥西勝の所有していたニッカリンTではなく、別のテップ剤である可能性が非常に高いこととなり、犯行に使用された毒物が、ニッカリンTではない、という結果が導き出され、奥西死刑囚の犯行に重大な疑問が発生するところとなる。
過去に死刑囚の再審開始が決定した免田、財田川、島田、松山の4事件でも、検察側が上級審に即時抗告するなどの手続きを取ったが、いずれも検察側の主張は退けられ、再審で無罪が確定していることから、今回の再審決定で奥西死刑囚は、毎晩、寝床につくと死刑執行の悪夢におびえてきた気の遠くなるような時の経過を経て、今まさに「生還」(完全解放)を果たす可能性が現実のもとなった。
なお、死刑確定者に対する再審開始決定は79年の免田(48年に熊本県で起きた強盗殺人事件。死刑確定後、79年に福岡高裁が再審開始を決定。83年に熊本地裁八代支部で、死刑囚として初めて再審で無罪となる)、79年の財田川(50年に香川県で起きた強盗殺人事件。死刑確定後、79年に高松地裁で再審開始決定。84年に無罪判決)、79年の松山(55年に宮城県で起きた強盗殺人・放火事件。死刑確定後、79年に仙台地裁で再審開始決定。84年に無罪判決)、86年の島田事件(54年に静岡県で起きた幼女誘拐殺人事件。死刑確定後、86年に静岡地裁で再審開始決定。89年に死刑囚として4人目の再審無罪判決)に次いで19年ぶり5件目となった。
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しかし、05年 4月8日、名古屋高検は再審決定に対して、「決定は証拠の評価を誤っている」として異議を申し立てた。
これを受け、弁護団は同日、名古屋市の愛知県弁護士会館で記者会見し、主任弁護人の鈴木泉弁護士は「先人の犯した不正や誤りを反省して正すべきだ」「『司法犯罪』とも言うべき不正に目をつむるだけでなく、司法犯罪により侵害され続けた奥西氏の人権回復を遅らせ、さらなる罪を重ねる暴挙」「検察官は、有罪確定判決を受けた者が無実である場合には、その冤罪を晴らすことこそが職務」と抗議の声明文を読み上げた。
06年12月26日名古屋高裁刑事第2部(門野博裁判長)は、再審開始決定に対する名古屋高検の異議申し立てを認め、再審開始と死刑の執行停止を取り消す決定を出した。弁護側は決定を不服とし、07年1月4日最高裁に特別抗告した。
決定は、再審開始の理由とされた、@凶器の農薬は奥西死刑囚が自白した「ニッカリンT」ではない。A物証の王冠(四つ足替栓)は形状からして、事件のブドウ酒瓶の王冠ではない。B2度開栓により奥西死刑囚以外の犯行が可能などとする弁護団の3つの新証拠や、奥西死刑囚の自白の信用性などを検討した結果、3つの新証拠については、「@ニッカリンTが使用された可能性も十分ある。A王冠の形状は、事件のブドウ酒に装着されていたかの判断に影響しない。B2度開栓が行われたことを疑わせるまでの証拠はない」などとして、再審を開始するほどの明白性を否定した。そのうえで「奥西死刑囚以外にブドウ酒に農薬を混入する機会がない」とした。また、自白についても「当初から詳細で具体性に富み、信用性が高い」と認定。「妻と愛人を殺害する動機となる状況もあり、事実を総合すると(奥西死刑囚が)犯行を行ったのは明らかだ」とし、「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠があるとして再審を開始し、刑の執行を停止した決定は失当」と結論付けた(決定要旨)。
77年の第5次再審請求以来、奥西勝死刑囚を支援している日本弁護士連合会は同日、「弁護団の提出した新証拠の価値を具体的な根拠なく軽視し、無罪推定という刑事裁判の基本原則を無視している」との平山正剛会長の声明を発表した。
弁護団は08年12月3日、最高裁に自白に関する意見書2通を新たに提出した。意見書は、名古屋高裁が06年に自白の任意性や信用性を認めて、再審開始決定を取り消したことに対し、弁護団が「自白は虚偽」と反論する内容。国内外の虚偽自白による冤罪事件を例示したうえで「高裁の決定は、経験則に照らしても評価・判断に誤りがある」と指摘している。また、奥西死刑囚が任意捜査の段階で自白していることから、任意性に焦点を絞って主張。長時間の取り調べや、帰宅後も警察に監視されていたことなどから、「取り調べは事実上の身体拘束状態だったうえ、心理的な圧力と強制の下でなされたもので、自白は自発的なものではない」と主張している(08年12月04日付『朝日新聞』)。
名張毒ぶどう酒事件:「再審を」法学者有志が緊急アピール=全国の法学者有志52人(呼びかけ人・水谷規男大阪大教授ら)が06年6月23日、再審開始を求める緊急アピールを最高裁に提出した。「名張事件は虚偽自白をさせた足利事件と同じ。自白に目を奪われ客観証拠が示す疑問に目を閉ざしてはならない」として早期救済を求める内容(09年06月24日付『毎日新聞』)。
弁護団09年7月2日、再審開始決定が出た「足利事件」の教訓を踏まえて判断するよう求める書面を最高裁に提出した。奥西死刑囚を巡っては、名古屋高裁が05年に再審開始決定したが検察側の異議申し立てを受け同高裁が翌年決定を取り消し、弁護側が最高裁に特別抗告中。この日提出した書面で「再審開始を取り消した高裁決定は自白に依拠しており、足利事件と同じ過ちを犯している」と主張した(09年07月03日付『毎日新聞』)。
奥西勝元被告(83)の支援者が09年8月25日、元被告から届いた直筆の書簡の内容を明らかにした。足利事件で菅家利和さん(62)の再審無罪が確実になったことに励まされ「次は私の番です」と自らの再審開始を信じる心境がつづられている。支援者で特別面会人の稲生昌三さん(70)によると、収監先の名古屋拘置所から今月4日に愛知県半田市の自宅に届いた。B5判の便せん3枚に手書きで「夢実現を信じつつ考えを書きました」と前置きした上で、「私も長い間同じように苦しんできた者なので、ひとごとと思えずうれしく感じました」と率直に心境を吐露。新聞などで知った足利事件の取り調べ状況が自身のケースと似通っていたといい、取調官から強要を受けて恐ろしくなった末にうその自白を続けたとあらためて訴えている。「うその自白なので死刑なんて考えてみませんでした。後できっといつか分かってもらえると信じていました」と述べた上で、「次は私の番です。信じています」と手紙を締めくくっている(09年08年25日配信『共同通信』)。

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2010年4月5日、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は、奥西死刑囚の第7次再審請求に対し、再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定を取り消し、「事件で使われた農薬と奥西死刑囚の所持品が一致するのか事実が解明されていない」と判断し、高裁に新たな鑑定を行うよう命じた。これで再審が開始される可能性が出てきた。 決定は5人の裁判官全員一致の意見。事件発生から半世紀近くを経て、高裁で再審を開始すべきかどうかが改めて審理される。田原睦夫裁判官は「事件から50年近くが過ぎ、7次請求の申し立てからも8年を経過していることを考えると、差し戻し審の証拠調べは必要最小限の範囲に限定し、効率よくなされるべき」との補足意見を述べた。 7次請求審では、奥西死刑囚が混入したと自白した農薬「ニッカリンT」に含まれている成分が、飲み残しのぶどう酒から検出されなかった捜査段階の分析結果の評価が争点になった。 死刑を言い渡した名古屋高裁判決(69年)は「加水分解されれば成分が検出されないこともある」と判断したが、弁護側は異なる手法で行った新たな鑑定を基に「成分が検出されないはずはない」と主張。名古屋高裁は05年にこの主張を認めて再審開始を認めたが、高裁の別の部は検察側の異議に基づき「ぶどう酒の置かれた状況によって成分が検出されないこともある」と判断して取り消した。 これに対し、小法廷は「混入されたのがニッカリンTではなかったのか、濃度が低く成分の反応が弱かったために成分が検出されなかっただけなのか、高裁が科学的知見に基づく検討をしたとは言えない」と指摘。ニッカリンTを使って捜査段階と同じ方法で鑑定を行い、審理を尽くすよう求めた。これにより死刑の執行は停止された(10年4月6日付『毎日新聞』)。
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過去4件の死刑確定後の再審無罪(冤罪)事件は、自白中心主義中心の刑事訴訟法が物的証拠中心主義に変わった戦後の一時期の未熟な捜査に起因するといったところに一つの要因があった。しかし、名張毒ぶどう酒事件の再審決定は、「もはや戦後ではない」といわれ、戦後民主主義が定着した60年代に起こった事件という点で、それはより深刻で、この面において、今回の再審決定が司法界に与えた衝撃は、一審で無罪判決が出ていたこととも相まって計り知れないものがあった。
極刑として死刑、しかも死刑の廃止が国際的な流れになっている今日的状況にあってはなおさらのこと、死刑を言い渡す事件で、事実の認定に一点の曇りもあってはならない。
また、名張毒ぶどう酒事件では、1審と再審決定に関与した、合わせて6人の裁判官が奥西死刑囚の犯行に疑いを持った事実はきわめて重い。担当する裁判官によって死刑と無罪が入れかわる程度の弱い証拠で裁かれては、我々市民の命はいくらあっても足りない。
最も重要な、「疑わしきは被告人の利益に(疑わしきは罰せず)」との近代刑事裁判の鉄則が、実際の裁判の場面で行かされていない(実践できているといはとうてい考えられない)ことの証明になったことである(元裁判官秋山賢三著「裁判官はなぜ誤るのか」【岩波新書】−松山大学図書館蔵書)。それは、日本刑事裁判が近代刑事裁判の名に値しないとうことでもある。
判断が死刑と無罪と真っ二つに割れた事件の再審開始に、これほど時間がかかるのも再審制度の欠陥としかいいようがない。
逮捕されたときに35歳だった奥西死刑囚は79歳になり、目が悪くなって、再審決定書を自分で読むことができなかった。これ以上時間を費やすことできないのは誰の目にも明らかである(87年に95歳で獄死した帝銀事件の平沢貞通・元死刑囚の約39年の記録に迫ろうとしている)。
上の刑事裁判の鉄則からも、一度無罪判決が出た場合、そこで裁判を終結して確定されなければ、今後もこうした事件は起こりかねないということが根本的課題であるが、この面での改革は現実のものになっていない。早急の制度改革が必要である。
名古屋高検は再審決定に対して、「決定は証拠の評価を誤っている」として異議を申し立てた。これを受け、弁護団は同日、名古屋市の愛知県弁護士会館で記者会見し、主任弁護人の鈴木泉弁護士は「先人の犯した不正や誤りを反省して正すべきだ」「『司法犯罪』とも言うべき不正に目をつむるだけでなく、司法犯罪により侵害され続けた奥西氏の人権回復を遅らせ、さらなる罪を重ねる暴挙」「検察官は、有罪確定判決を受けた者が無実である場合には、その冤罪(えんざい)を晴らすことこそが職務」と抗議の声明文を読み上げた。
奥西死刑囚は元死刑囚の免田栄氏と同年であるが、免田氏は、48年の事件で逮捕され、51年に死刑が確定、6度目の再審請求で83年、57歳の時に再審無罪判決を受けた。その獄中記で34年半の獄窓生活を振り返り、「手を握って死刑台に見送った人が70人近くに上り、昨日も今日も、1日に2人というときもあった」としたためている(免田栄著『死刑囚の手記』−イースト・プレス刊)。実際、再審請求中の死刑囚が刑を執行された例もあるのだ。
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疑わしきは罰するのか。疑わしきは罰せず、ではなかったのか。名古屋高裁が、名張毒ブドウ酒事件で再審を認めないと決定した。決定書を読むと、どうしても疑問がわいてくる。45年も前に三重県の山里で起きた事件である。懇親会でブドウ酒に毒が入れられ、5人が死んだ。犯人とされた奥西勝死刑囚が再審を求め続けてきた。当時35歳だったが、いまは80歳になった。高裁は今回、弁護団のいくつかの主張を認めながらも、「その証拠価値には限界がある」「別の可能性も否定できない」という論法で再審請求を退けた。05年4月、同じ高裁の別の裁判官たちがほぼ同じ証拠を基に、確定判決には疑いがあると判断した。それを180度ひっくり返したのは、異議を申し立てた検察の新証拠というよりも、無罪の厳密な立証を求める裁判官の姿勢である(06年12月27日付『朝日新聞』−「社説」)。 「奥西、しっかりしろ。今は人間と人間の話をしてるんだから」。奥西勝元被告は否認を続けるが、取り調べ段階でいったんは「自白」した。それを翻そうとするたび警察にこう迫られた(江川紹子『六人目の犠牲者』−文芸春秋)。うその自白をしてでも連日、長時間の取り調べから逃れたいと思う心理は平穏な日常生活を営んでいては理解しにくい。45年前で人権感覚も今とはちがう。捜査を監視する裁判官には不可欠な視点のはずなのに。証拠の評価も同様だ。毒殺に使われたとされる農薬の特定成分が検出されなかったという訴えに「この農薬でない可能性が示されたが、可能性が否定されたわけではない」。疑わしきは罰せずは刑事裁判の鉄則。だが、その程度では判決の安定や三審制を揺るがせられない、と聞こえてしまう
(06年12月28日付『愛媛新聞』−「地軸」)。 |
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「再審しない」宣言だ=ジャーナリスト江川紹子さんの話(06年12月26日付『朝日新聞』−「夕刊」)。 今回の判断は、自白さえあれば、いくら新証拠を出しても再審はしないという宣言文に等しく、あぜん(唖然=思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま。あきれ果てる。あっけにとられる)とする。科学的鑑定に基づく弁護側の新証拠に対し、裁判所は論拠をきちんと示さず否定した。例えば、毒物が、奥西死刑囚が自白した農薬ではなかった可能性についての部分だ。事実や科学的論拠に基づいて虚心に事件を見直すのでなく、再審を開かせないという裁判官の信念に基づいているとしか思えない。事実上の再審制度の否定だ。この決定が確定したら裁判の歴史に禍根を残す。 |
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「太陽の日差しに当たりたい」「私も年齢と再審開始への闘いです。後はありませんと決めています。今回は千載一遇の時と思っています」 事件から44年、死刑が確定し、無罪を訴え続けてきた奥西勝死刑囚(79)が05年5月5日の名古屋高裁の再審開始決定の知らせを受けて発した言葉。 |
■名張毒ブドウ酒事件と死刑再審無罪4事件の比較■
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事件名 (県名) |
事件の発生 |
逮捕当時の年齢 |
再審請求人の氏名 |
上告審死刑判決 |
再審開始決定日 |
再審無罪判決日 |