教 育 ニ 関 ス ル 勅 語
教育勅語(ちょくご=天皇が国民におおせられる公式のお言葉)は1890(明治23)年10月に山縣有朋内閣の時代に明治天皇が発布、文部省は直ちに謄本を作成し、全国の学校に配布、学校儀式での奉読などを指示しするとともに、翌年の1891(明治24)年には、謄本とご真影(ごしんえい=天皇、皇后両陛下の写真)を「校内一定ノ場所ヲ撰(えら)ヒ最モ尊重ニ奉置セシムヘシ」と訓令した。
侍講(じこう=明治時代に天皇・東宮に書を講じた官職)であった儒教(仁を根本とする政治・道徳を説いた孔子を祖とする中国の教説)主義者永田永孚(ながざね)や伊藤博文の下で大日本帝国憲法・皇室典範の起草にあたった井上 毅(こわし)らが起草した。
その内容は、軍人勅諭にならって国民の「愛国心」「親孝行」や「義勇奉公」など、戦前の教育全般における基本理念を示したもので、皇国史観に立ち、天皇の名において教育理念と実践道徳を規定しており、同勅語は、第2世界大戦敗戦まで「軍人勅諭」とともに天皇制国家イデオロギーの2大支柱となった。
紀元節(建国記念日)や天長節(昭和天皇の誕生日)になると、生徒は講堂で頭を垂れて、校長先生が勅語を持って来るのを待っていた。勅語奉読(つつしんで読む)のためである。元日、紀元節、天長節、明治節(明治天皇の誕生日)の4大節では必ず読まれ、校長は、フロックコート(frock coat=男性の昼間用礼服。上着はダブルで丈はひざまであり、縞のズボンと組み合わせて着る)などで正装、真新しい白手袋をつけ、箱へ大事に納めた謄本を取り出し、勅語節といわれる独特の抑揚を付けて朗読した。もとより来賓の前で読みまちがえればたちまち進退問題になった。
勅語の絶対視化は歴史とともに進み、一種の聖典と化すが、権威付けのために勅語の保管場所にも政治的は配慮が加えられ、1910(明治43)年ごろから、校庭に石造、土蔵造り、あるいは鉄筋コンクリートの神社風の「奉安殿」(ほうあんでん=学校で御真影や教育勅語などを保管するために校舎とは別に設けた、小さい特別な建物)を建てて納めるようになった。当然生徒たちは、登下校時にはその前で最敬礼することが義務とされた。結局、教育勅語が納められた奉安殿は、ご神体のようにあがめられて国家神道の一部を担う役割を果たすのであった。
このため1947(昭和22)年3月31日の教育基本法の制定によってその内容が否定され、また1948(昭和23)年6月19日には国会(衆参両議院)が、「根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すものとなる」として、「軍人勅諭」、「戊申詔書」、「青年学徒に賜わりたる勅語」とともに、教育勅語の「失効確認・排除の決議案」を可決した。当然謄本は回収、処分され、「奉安殿」も取り壊された⇒天皇の人間宣言。

学校で教育勅語を読み上げる

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教育勅語等排除に関する決議(1948〔昭和23〕年6月19日衆議院決議) 民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。 思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。 右決議する。 教育勅語等の失効確認に関する決議(1948〔昭和23〕年6月19日参議院決議) われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている。 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失っている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔書の謄本をもれなく回収せしめる。 われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する。 右決議する。 |
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朕(チン)惟(オモ)フニ我(ワ)カ皇祖(クワウウソ)皇宗(クワウソウ)國(クニ)ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠(クワウエン)ニ徳(トク)ヲ樹(タ)ツルコト深厚(シンコウ)ナリ我(ワ)カ臣民(シンミン)克(ヨ)ク忠(チュウ)ニ克(ヨ)ク孝(コウ)ニ億兆(オクテウ)心(ココロ)ヲ一(イツ)ニシテ世世(ヨヨ)厥(ソ)ノ美(ビ)ヲ濟(ナ)セルハ此(コ)レ我(ワ)カ國體(コクタイ)ノ精華(セイクワ)ニシテ教育(キョウイク)ノ淵源(エンゲン)亦(マタ)實(ジツ)ニ此(ココ)ニ存(ソン)ス爾(ナンジ)臣民(シンミン)父母(フボ)ニ孝(コウ)ニ兄弟(ケイテイ)ニ友(イウ)ニ夫婦(フウフ)相和(アヒワ)シ朋友(ホウイウ)相信(アイシン)シ恭儉(キョウケン)己(オノ)レヲ持(ジ)シ博愛(ハクアイ)衆(シュウ)ニ及(オヨ)ホシ學(ガク)ヲ修(オサ)メ業(ギョウ)ヲ習(ナラ)ヒ以(モッ)テ智能(チノウ)ヲ啓發(ケイハツ)シ徳器(トクキ)ヲ成就(ジョウジュ)シ進(ススン)テ公益(コウエキ)ヲ廣(ヒロ)メ世務(セイム)ヲ開(ヒラ)キ常(ツネ)ニ國憲(コクケン)ヲ重(オモン)シ國法(コクハウ)ニ遵(シタガイ)ヒ一旦(イッタン)緩急(クワンキフ)アレハ義勇(ギユウ)公(コウ)ニ奉(ホウ)シ以(モッ)テ天壤(テンジヤウ)無窮(ムキウ)ノ皇運(クワウウン)ヲ扶翼(フヨク)スヘシ是(カク)ノ如キハ獨(ヒト)リ朕(チン)カ忠良(チュウリャウ)ノ臣民(シンミン)タルノミナラス又(マタ)以(モッ)テ爾(ナンジ)祖先(ソセン)ノ遺風(イフウ)ヲ顯彰(ケンシャウ)スルニ足(タ)ラン 斯(コノ)ノ道(ミチ)ハ實(ジツ)ニ我(ワ)カ皇祖(クワウウソ)皇宗(クワウソウ)ノ遺訓(イクン)ニシテ子孫(シソン)臣民(シンミン)ノ倶(トモ)ニ遵守(ジュンシュ)スヘキ所(トコロ)之(コレ)ヲ古今(ココン)ニ通(ツウ)シテ謬(アヤマ)ラス之(コレ)ヲ中外(チュウグワイ)ニ施(ホドコ)シテ悖(モト)ラス朕(チン)爾(ナンジ)臣民(シンミン)ト倶(トモ)ニ拳々(ケンケン)服膺(フクヨウ)シテ咸(ミナ)其(ソノ)徳(トク)ヲ一(イツ)ニセンコトヲ庶(コト)幾(ネガ)フ 明治23年10月30日 御名御璽 (ギョメイギョッジ) |
教育勅語の用語解説と若干の説明
皇祖皇宗(こうそこうそう)−−皇祖皇宗も天皇(皇室)の祖先のことをいうが、皇祖は、始祖である天照大神(あまてらすおおみかみ)ないし神武(じんむ)天皇のこと、あるいは天照大神ないし神武天皇までの歴代(代代)のこと。皇宗は、第2代綏靖(すいぜん)天皇以下の代代の天皇をいう。
肇(はじ)ムル−−創り開く 。
宏遠(こうえん)−−広くて遠大なこと
徳(トク)−−身についた品性。社会的に価値ある性質。善や正義に従う人格的能力。すぐれた求道者。
國ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠(クワウエン)−−初代天皇の神武天皇自身天から人間界の降りてきた「ニニギノミコト」(天照大神の孫)という神様の曾孫(そうそん⇒孫の子=ひまご)で、天上の神々の中で最高の位にある天照大神の神勅を受けて日本の国を作ったという神話を踏まえてのこと。ちなみに日本の国を生んだ神とされる「イザナギノミコト(伊邪那岐命)」が川で左眼を洗ったら現われたのが天照大神である。また、日本は、「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」(伊邪那美命)が天の浮き橋に立ち、天の瓊矛を下界にさし降ろしてかき回し引き上げたところ、矛先からしたたりおちた滴(しずく)が固まって島となったとされる。
深厚(しんこう)−−情け、気持ちなどが心の底から発したものであること。
臣民(しんみん)−−君主国(明治憲法下の日本)の国民。
克(よ)ク−−能力を発揮して成し遂げることで、 「能く」と同じ。
億兆(おくちょう)−−万民。全ての国民。限りなく大きな数。
厥(そ)ノ −−「其の」と同じ。すでに述べた事柄に関係する意を表す。
濟(な)セル−−「成せる」と同じ。つくりあげるの意味。
國體(こくたい)−−国家としての固有の体制ないし性格、天皇体制の意。
精華(せいか)−−そのものの真価をなす、立派な点。
淵源(えんげん)−−物事の拠(よ)って立つ根源。
恭劍(きょうけん)−−人にうやうやしく、自分は慎み深くすること。
徳器(とくき)−−善良有為(立派な人格)の人物。
世務(せいむ)−−世の中に役立仕事。
國憲(こっけん)−−国の根本法、すなわち憲法。
一旦(いったん)緩急(きんきゅう)アレバ −−万一国家に危急の事態が起こった場合には。
義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)シ−−正義にかなった勇気を奮い起こし、国家・公共のために尽力する。
天壌無窮(てんじょうむきゅう)−−天地と同じように永久に続くこと。
皇運(こううん)−−天皇を戴(いただ)く日本国の運。
扶翼(ふよく)−− たすけること。
遺風(いふう)−−祖先が残した美風。
古今(ここん)ニ通シテ謬(あやま)ラス−−昔から今に至る何時の時代に実践しても間違いのないさま。
中外(ちゅうがい)ニ施シテ悖(もと)ラス−−我が国で実践しても外国で実践しても道理に反しないさま。
拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)−−謹んで捧げ持つようによく守ること。
咸(みな)−− 「皆」と同じ。
庶(こひ)幾(ねが)フ−−願い望むこと。
1. 孝行(こうこう)⇒子は親に孝養を尽くしましょう。
2. 友愛(ゆうあい)⇒兄弟姉妹は仲良くしましょう。
3. 夫婦の和(ふうふのわ)⇒夫婦はいつも仲睦(むつ)まじくしましょう。
4. 朋友(ほうゆう)の信(しん)⇒友達はお互い信じ合ってつき合いましょう。
5. 謙遜(けんそん)⇒自分の言動を慎みましょう。
6. 博愛(はくあい)⇒広くすべての人に愛の手をさしのべましょう。
7. 修学習業(しゅうがくしゅうぎょう)⇒勉学に励み職業を身につけましょう。
8. 智能啓発(ちのうけいはつ)⇒知徳を養い才能を伸ばしましょう。
9. 徳器成就(とっきじょうじゅ)⇒人格の向上につとめましょう。
10. 公益世務(こうえきせいむ)⇒広く世に中の人々や社会の為になる仕事に励みましょう。
11. 遵法(じゅんぽう)⇒法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。
12. 義勇(ぎゆう)⇒正しい勇気をもってお国の為に真心をつくしましょう。
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教育勅語現代解説(訳文)
『聖訓ノ述義二関スル協議会報告』(1940年、文部省刊)の中の「教育に関する勅語の全文通釈」を現代仮名遣いにあらため、解説したもの。
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朕(明治天皇)がおもうに、我が御先祖の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。 汝(なんじ)臣民は、父母に孝をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合い、朋友互に信義を以て交り、ヘりくだって気随(きずい−自分の思うまま)気侭(きまま−他人に気がねなく自分の思い通り)の振舞をせず、人々に対して慈愛を及ぼすようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧(ささ)けて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮(かぎ)りなき宝祚(あつまひつぎ)の御栄(天皇陛下の御運勢)をたすけ奉(たてまつ)れ。 かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。 この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。 朕は汝臣民と一緒にこの道を太切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。 |
ところで、天皇家自身が編纂した史書『日本書記』には、天皇家の重ねてきた殺戮等の残虐行為や近親相姦等の不道徳な行為が山のように記されている。
例えば、第20代の安康(あんこう)天皇は、大草香皇子((おおくさかのみこ))を殺し、その妻を自分の皇后とする。ところが大草香皇子と皇后の子である眉輪王(まよわのみこ)は後に安康が酒に酔って自分の母である皇后の膝を枕にして寝ているところを殺してしまう。
すると後の第21代の雄略(ゆうりゃく)天皇になる安康天皇の子供がその眉輪王を殺してしまう。雄略天皇は自分の兄たちを何人も殺すばかりか、部下を勝手気ままに殺したり、自分の求めにそむいて他の男と一緒になった女性の夫を焼き殺す…。
実に天皇家の歴史は、近親相姦親子兄弟叔父甥の殺し合いなどなんでもありである。でもそれは、天皇家だけの話ではなく、中国やヨーロッパにはもっと残酷な王家がある。
「万世一系(永遠に一つの系統が続くことで、一般には天皇の血統についていう)」も、継体(けいたい)天皇が位を継ぐ経緯から見て怪しい。すなわち第25代武烈(ぶれつ)天皇には子がなくまた殺し合いが続いたため他に後を継ぐ皇子がいなかったため第15代応神(おうじん)天皇の五世の孫を探し出して第26代の継体天皇にしたのである。11代前の天皇の5代目の孫なんてもはや他人である。そこで王朝が変わったと見るのである。
明治維新後明治政府は各県に「人民告諭(こくゆ)」をだして国民に天皇について教えた。それは、国民が天皇を知らなかったためである。
例
1.奥羽人民告諭
天子様ハ、天照皇大神宮様ノ御子孫ニテ、此世ノ始ヨリ日本ノ主ニマシマシ、神様ノ御位正一位ナド国々ニアルモ、ミナ天子様ヨリ御ユルシ被遊候ワケニテ、誠ニ神サマヨリ尊ク、一尺ノ地一人ノ民モ、ミナ天子様ノモノニテ、日本国中ノフボニマシマセバ…・」
2.長崎御諭書
此日本ト言フ御国ハ、天照皇大神宮サマカラ御継ギ遊バサレタ所天子サマト云ガゴッザサッテ是ガムカシカラチットモ変ワッタ事ノ無イ此日本国ノ御主人サマヂジャ(中略)天子サマト云モノハ色々御難渋遊バサレナガラ今日マデ御血統ガ絶ズドコマデモ偉ヒナキ事ジャナイカ…」
1863年⇒リンカーン『人民の 人民による 人民のための政治』
1871(明治4)年⇒パリ市民が「パリ・コミューン」を結成
1889(明治22)年⇒明治憲法(「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」・「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」)
1890(明治23)年⇒教育勅語
天皇の国家統治の正当性を基本とする日本史の見方。
『古事記』や『日本書紀』における神話をそのまま史実ととらえることを前提に、天皇を神の子孫とし、「万世一系」の天皇家による国家統治を日本の「国体(主権の所在によって区別される国家形態〔国の在りかた〕で、共和制・君主制などがあるが、日本では、天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国の在り方をいい、特に第2次大戦前の日本で権力側が盛んに用いられた用語)」とみなし近世の水戸学・国学を源とし、明治以降、官学のアカデミズムと歴史教育(国定教科書と軍隊教育)」を通じて学界だけではなく一般国民の歴史観に大きな影響力をもたらした。
この皇国史観は、昭和に入ると、右翼・軍部の排外主義・膨張主義思想と結びついて、日本の侵略戦争によるアジア支配を正当化する最強のイデオロギーとなった。
また、皇国史観にもとづく「国体」観念を認めるか否かが、国民に対する思想的踏み絵ともなり、特に昭和天皇の即位を契機とする「紀元節」の大規模化、1937(昭和12)年設置の文部省教学局の諸活動、及び「建国祭」の実施などによってより一層拡大されていった。
日本ヨイ国 キヨイ国。世界ニ一ツノ 神ノ国。
日本ヨイ国 ツヨイ国。世界ニ輝ク エライ国。
(小2;修身の教科書より)
つまりこの標語は、これは八紘一宇(はっこういちう=明治時代、国柱会の創始者であった田中智学が造語した―第2次大戦中、中国支配、東南アジアへの膨張を正当化するための宣伝スローガン大東亜共栄圏の建設を意味し、日本の海外侵略を正当化するプロパガンダとして用いられた)の思想の教育版を意味するものであった。「八紘」とは、「四方と四隅」つまり全世界をさし、それを一つの「宇(いえ)と為す」という意味である。

紀元2600年を記念して建てられたこの一大メニュメントは高さ37m、基部面積1070平方m、敷地9900平方m、製作、設計者は大分出身の当時の日本彫刻界の第一人者「日名子実三」(1893〜19845年:)。
1939(昭和14)年4月、陸軍省が発行した『支那事変の真意義』と題するパンフレットには、「今次の事変は他国の侵略戦争にありがちな領土や賠償金を本来目的とする戦とは全然異なる特質をもつものである。真の正義人道の見地に立ち、東亜積年の禍根を一掃してその安定を図り、八紘一宇の大精神に則って皇道を宣布し、東亜諸民族更生の実を挙げ、其の存続発展を確保し、以て皇国の国是を実現し、世界人類の平和と文化と福祉とに貢献せんとする真の聖戦であり」とある。