紀元2600(二千六百)年の勅語=1940(昭和15)年2月11日

 

 

1872(明治5)年12月に明治政府によって定められた神武(じんむ)天皇即位日の祝日が紀元節(当初は1月29日に指定されたが、翌年3月紀元節と命名、同年10月、その日は2月11日に変更された)である。

 

天皇主権主義や超国家主義、つまり、天皇を頂点とした国家支配の正当性を国民に植え付けるために、歴史的根拠があいまいな非科学的な神話に基づいた定められたものであるが、小学校教育の普及に伴って国民のなかにも祝日として定着していった。

 

とりわけ1940(昭和15)年は、紀元2600年として戦意高揚と国民の精神の統合のために「紀元二千六百年の勅語」が出され、また、全国的なキャンペーンが展開され同年11月10日には、宮城前広場で陸軍軍装の天皇と皇后臨席の下、政府(近衛内閣)主催の「紀元二千六百年記念式典」が開催された。式典はラジオで中継されたが、天皇裕仁の「勅語」の部分だけ中断された(天皇の肉声〔玉音=ぎょくおん〕は、結局、「臣下」の代表者とされた参列者だけ耳にできなかった。国民が天皇の声を聞いたのは、1945〔昭和20〕年8月15日正午「玉音放送」の時である)。

 

さらには、太平洋戦争に際し、1942(昭和17)年2月11日をシンガポール陥落の目標日として設定したことはあまりにも有名である(実際のシンガポール陥落は、同年2月15日午後7時、ブキテマ北部のフォード自動車工場の一室で山下・パーシバル会談が開かれ、山下軍司令官の「イエスか、ノーか」の問いにパーシバル中将は無条件降伏を受諾したときである)。

 

なお紀元節は、1948(昭和23)年7月の国民の祝日法制定に際して、日本国憲法の理念に反するとして廃止されたが、1966(昭和41)年、佐藤栄作内閣で2月11日を「建国記念の日」とする祝日法の改正が行われ(翌年2月に政令を公布)、事実上、復活している。

 

 

神武天皇惟神(いしん=神として)ノ大道(だいどう=人としての正しい道)ニ遵(したが)ヒ、一系無窮(いけいむきゅう=同じ血統が永遠に続くこと)ノ宝祚(ほうそ=天皇の位。皇位)ヲ継キ、万世不易(ばんせいふえき=永遠に変わりのないこと。万代不易とも)ノ丕基(ひき=国家統治の基礎。大事業の基礎)ヲ定メ、以テ天業(てんぎょう=天皇の国を治める事業)ヲ経綸(けいりん=国家を治めととのえること)シタマヘリ。歴朝(れきちょう=代々の続く朝廷)相承(あいう)ケ、上(かみ=天皇)仁愛(じんあい=めぐみいつくしむこと)ノ化(か=徳によって教え導くこと)ヲ以テ下(しも=臣民)ニ及ホシ、下忠厚(ちゅうこう=天皇に忠実で人情に厚いこと)ノ俗(ぞく=一般の世間)ヲ以テ上(かみ=天皇)ニ奉(ほう=たてまつること)シ、君民(くんみん=君主と人民)一体以テ朕(ちん=天皇の自称)カ世ニ逮(およ)ヒ、茲(ココ)ニ紀元二千六百年ヲ迎フ。

 

今ヤ非常ノ世局(せいきょく=世の中のなりゆき)ニ際シ、斯(コ)ノ紀元ノ佳節(かせつ=めでたい日。祝日)ニ当ル、爾(なんじ=二人称で、目下の人に対して用いられる)臣民、宜(よろ)シク思(おもい)ヲ神武天皇ノ創業ニ騁(は=〔思いを〕遠くまで至らせる)セ、皇図(こうと=天皇の計画)ノ高遠(こうえん=考えなどが広く深く、計り知ることのできないこと)ニシテ皇謨(こうぼ=天皇が国家を統治する計画、天皇の計画)ノ雄深(ゆうしん=大きく深いこと)ナルヲ念(おも)ヒ、和衷(わちゅう=心の底から打ち解けること)戮力(りくりょく=力を合わせること。協力)益々(ますます)国体の精華(せいか=最もすぐれているところ)ヲ発輝シ、以テ時難(じなん=困難な時局)ノ克服ヲ致(いた)シ、以テ国威(こくい=国家が対外的に有する威光や威信)ノ昂揚(こうよう=〔精神や気分などが〕高まること)ニ勗(ツト)メ、祖宗(そそう=代々の天皇)ノ心霊(しんれい=肉体を離れても存在すると考えられる、超現実的な心の主体。魂)ニ対(こた)ヘンコトヲ期スヘシ。

 

御名御璽

 

昭和15年2月11日

 

各大臣副書

 

 

 

10万人が参加したシンガポール占領を祝って開催された戦捷(せんしょう=戦いに勝つこと。かちいくさ)第1次祝賀会−1947(昭和17)年2月18日;東京・日比谷公園-

 

 

奉祝国民歌「紀元二千六百年」==⇒替え

 

作詞:増田好生;作曲:森義八郎 =歌唱:各社

 

紀元2600年を祝うために歌詞、曲ともに国民から公募されたもので、連日、NHKのラジオで流され、広く国民の間に広がった。

 

 

 

金鵄(きんし)輝く日本の 榮(は)えある光身にうけて

いまこそ祝へ この朝(あした) 紀元は二千六百年

あゝ 一億の胸はなる

 

 

歡喜(かんき)あふるるこの土を しつかと我等ふみしめて

はるかに仰ぐ大御言(おおみこと) 紀元は二千六百年
あゝ肇國(ちょうこく)の 雲青し

 

 

荒(すさ)ぶ世界に唯一つ 搖がぬ御代に生立(おいた)ちし

感謝は清き火と燃えて 紀元は二千六百年

あゝ報國(ほうこく)の 血は勇む

 

 

潮(うしお)ゆたけき海原に 櫻と富士の影 織りて

世紀の文化また新(あらた) 紀元は二千六百年

あゝ燦爛(さんらん)のこの國威(こくい)

 

 

正義りんたる旗の下 明朗アジアうち建てん

力と意氣を示せ今 紀元は二千六百年

あゝ彌榮(いやさか)の日は上る

 

 

紀元節の歌 1893(明治26)年−官報3037号付録 作詞 高崎正風     作曲 伊沢修二

 

 

雲に聳(そび)ゆる 高千穂の

高根おろしに草も木も

なびきふしけん 大御世(おおみよ)を

仰ぐ今日こそ たのしけれ

 

 

海原なせる 埴安(はにやす)の

池のおもより 猶ひろき

めぐみの波に 浴(あ)みし世を

仰ぐ今日こそ たのしけれ

 

 

天(あま)のひつぎの 高みくら

千代よろずよに 動きなき

もとい定めし そのかみを

仰ぐ今日こそ たのしけれ

 

 

空にかがやく 日のもとの

よろずの国に たぐいなき

国のみはしら たてし世を

仰ぐ今日こそ たのしけれ

 

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