楠本 イネ
伊禰・いね・稲とも。愛称は「おらんだおイネ」。戸籍の名は「イ子」

1827〜1903

愛媛県西予市宇和町(宇和島藩の純農村地帯にある在郷町として発展し、現在に至る)
幕末から明治時代にかけての日本最初の西洋医としての女医(産科医。なお、日本最初の女医は大和の国〈奈良県〉の榎本住〈えのもとすみ。1806年〜1893年〉である=⇒榎本医院。そのほか何人かの女医がいたといわれている)。
1827(文政10)年5月6日、肥前国長崎出島で生まれる。
父は、オランダ商館付医官のドイツ人医師博・物学者P・F・B・シーボルト(オランダ東インド会社の日本駐在員)。
母は肥前長崎丸山遊郭の引田家卯太郎抱の遊女其扇(そのぎ。本名楠本瀧。シーボルトは、彼女を「おたくさん」と呼んで寵愛した。なお、瀧は遊女ではなく、当時出島には女性は遊女しか入れなかったことから、出島に入るため遊女の名義を借りたとする説もある。瀧17歳のときである)。
1829(文政12)年12月5日、父はシーボルト事件で日本を去る。
シーボルトが日本を去る際に、2歳8ケ月の娘イネの養育を託されたのが弟子の二宮敬作であった。
1840(天保11)年敬作は、14歳のイネを長崎から伊予の国卯之町(宇和町)に呼び寄せ、オランダ語・西洋医学を教え、女医としての能力を授けた。
敬作はイネに産科を学ばせるため19歳のとき備前(岡山)で産科を開業していたシーボルト時代の同門石井宗賢〈そうけん〉のもとに派遣、イネは産科学を学んで長崎に帰り宗賢との子「たか(高子。医学者三瀬諸渕と結婚)」を出産した。
宗賢との件を激怒した敬作は、1854(安政元)年、宇和島藩の軍艦建造調査団とともに長崎を再訪した際、イネを再び宇和に招き、その地で開業させた。
イネは1856(安政3)年3月、敬作に同道し、長崎に赴く。
1858(安政5)年の日蘭修好通商条約によって追放処分が取り消されたシーボルトは翌年30年ぶりに再来日(渡来)、敬作の計らいで、瀧、イネ親子と感激の対面を果す。また、娘イネに西洋医学を教える。
イネは、宇和時代に長州(現山口県)を逃れて滞在していて長州藩の医者の村田蔵六(後の大村益次郎。明治政府の兵部大輔として近代兵制確立した)から蘭語を学び、彼が襲撃された後、治療、その最期を看取った。
イネは、宗謙や敬作の死後も産科を修業し、母瀧の死後、1870(明治3)年2月、西洋医学によるわが国最初の女性の産婦人科医として東京府京橋区築地1番地に開業、1879(明治10)年2月までここで生活をする。
1875(明治8)年2月、医師学術試験規定が定められ、国家試験に合格しない者は医師
としての資格なく、開業することが出来なくなった。しかも当初医師の試験の門戸は、男子のみに 限られており、女性に解放されたのは1885(明治18年)12月のことであった。
この時、武蔵国幡羅郡俵瀬村(現埼玉県大里郡妻沼〈めぬま〉町俵瀬)出身の萩野吟子(おぎのぎんこ。1851〜1913。女性の第1号医籍登録者。婦人運動にも参加、婦人の地位向上に努めた)が試験に合格(女性受験者4人中吟子1人が合格)して、開業が許された(正式の女医第1号。吟子は、1897〈明治30〉年北海道瀬棚〈せたな〉町に産科・小児科萩野医院を開業。開業当時は、「女に医者ができるか」と世間から冷ややかにみられた)。
したがってイネは、吟子よりも15年前に、西洋医学の女医として技術をみがき、開業もしていたことになる。
福沢諭吉の推挙で、1873(明治6)年7月31日宮内省御用掛(宮内省などの命を受けて用務を担当する職)に任用され、同年9月17日の若宮(わかみや=幼少の皇子。稚瑞照彦尊=わかみつてるひこのみこと。明治天皇の第1子。ちなみに柳原愛子の子大正天皇は第3子)誕生(権典侍〈ごんのてんじ〉葉室〈はむろ〉光子〈側室〉の出産)に携わる(死産。光子もあとを追うように死亡)。イネ47歳の時である(報酬は「金100円」)。
日本の医学がオランダ医学からドイツ医学へと移り移りつつあった1877(明治10)年2月、イネは築地の医院を閉じて長崎に帰る。
1885(明治17)年長崎・銅座町(どうざまち)で産婆として再出発するが、再び宮内省の要請で上京、麻布・狸穴(まみあな)で開業、晩年は寡婦(かふ=夫に死に別れて再婚しないでいる女性)となった娘のたか(高子)を相手に琴、三味線に明け暮れる静かな余生を送った。

晩年のイネとたか
1903(明治36)年8月26日東京において食中毒のため、死去。享年77歳。
墓所は、遺言により母瀧が眠る長崎の町と港を一望する高台に位置する長崎市晧臺寺(こたいじ)に祭られた(同寺の二宮敬作の墓碑はイネが建てたもの)。
戒名は、実相院法林恵空大姉。
ちなみに敬作の甥(おい)でその門人であった三瀬周三(大阪医学校〈現大阪大学医学部〉教授)はイネの娘(シーボルトの孫にあたる楠本たか〈高子〉。イネは、終生独身を通した)婿。
参考文献
吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘』 上・下巻 新潮社 1993年
長崎女性史研究会『長崎の女たち』 長崎文献社 1991年
板沢武雄『シーボルト』 吉川弘文館 1960年
愛媛県史編さん委員会『愛媛県史 人物』 愛媛県 1989年
福井英俊『『鳴滝紀要』創刊号(1991年)別刷 楠本・米山家資料にみる楠本いねの足跡』 シーボルト宅跡保存基金管理委員会 1994年