保安条例

 

 

明治憲法制定の直前、1887 (明治20年)12月26日(官報号外)自由民権運動、中でも政府の江戸末期の1858年に欧米諸国と結んだ通商条約(不平等条約)の改正(条約改正=治外法権の撤廃、関税自主権の回復などが中心で、歴代の外相が努力し、1894【明治27】年に外相陸奥宗光が日英通商航海条約において治外法権の撤廃に成功【1899年実施】、1911(明治44)年に外相小村寿太郎によって関税自主権が回復された)交渉の失敗を契機にした後藤象二郎ごとうしょうじろう=1838〜1897。土佐藩主山内容堂に大政奉還の建白をさせた土佐藩出身の政治家。維新後、参与・参議。征韓論により下野。自由民権運動に参加して、自由党結成に参加。解党後、大同団結運動を展開。逓相・農商務相を歴任)ら自由民権派の「地租軽減、言論・集会の自由、外交失策の挽回(ばんかい)」の3大要求(3大事件)を掲げた激しく政府攻撃(3大事件建白運動)を弾圧するために制定されたもので、これにより中江兆民尾崎行雄、星亨(ほしとおる=1850〜1901。自由党幹部。舌禍事件、出版条例違反で2度入獄。のち衆議院議長。政友会結成に参加し、第次伊藤内閣の逓相となるが、東京市の疑獄事件で辞職。その後も政友会院内総務として力をふるったが、伊庭想太郎に暗殺された、片岡健吉(かたおかけんきち=1843〜1903。土佐藩出身の政治家。立志社を創立し、自由民権運動を指導した。また、国会期成同盟総代として活躍。国会開設後衆議院議員、同議長)ら570名の自由民権運動家(反政府運動家)が3日以内に東京(皇居)から3里(12キロ)以外に追放された(1898〔明治31〕年廃止)。

 

 

朕惟ふに、今の時に当り大政の進路を開通し、臣民(しんみん)の幸福を保護する為に、妨害を除去し、安寧(あんねい)を維持するの必要を認め、茲に左の条例を裁可して之を公布せしむ。

 

保安条例

 

第1条

 凡そ秘密の結社又は集会は之を禁ず。犯す者は1月以上2年以下の軽禁錮に処し10円以上100円以下の罰金を附加す。其首魁及教唆者は2等を加ふ。内務大臣は前項の秘密結社又は集会又は集会条例第8条に載する結社・集会の聯結通信を阻遏(そあつ)する為に必要なる予防処分を施すことを得。其処分に対し其命令に違犯する者、罰前項に同じ。

 

第2条

屋外の集会又は群集は、予め許可を経たると否とを問はず、警察官に於て必要と認むるときは之を禁ずることを得。其命令に違ふ者、首魁・教唆者及情を知りて参会し勢を助けたる者は、3月以上3年以下の軽禁錮に処し10円以上100円以下の罰金を附加す。其附和随行したる者は2円以上20円以下の罰金に処す。集会者に兵器を携帯せしめたる者又は各自に携帯したる者は各本刑に2等を加ふ。

 

第3条

内乱を陰謀し又は教唆し又は治安を妨害するの目的を以て文書又は図書を印刷又は板刻したる者は、刑法又は出版条例に依り処分するの外、仍(なお)其犯罪の用に供したる一切の器械を没収すべし。印刷者は其情を知らざるの故を以て前項の処分を免るゝことを得ず。

 

第4条

皇居又は行在所を距(へだて)る3里以内の地に住居又は寄宿する者にして内乱を陰謀し又は教唆し又は治安を妨害するの虞(おそれ)ありと認むるときは、警視総監又は地方長官は内務大臣の認可を経、期日又は時間を限り退去を命じ、3年以内同一の距離内に出入・寄宿又は住居を禁ずることを得。退去の命を受けて期日又は時間内に退去せざる者又は退去したるの後更に禁を犯す者は、1年以上3年以下の軽禁錮に処し、仍(なお)5年以下の監視に付す。監視は本籍の地に於て之を執行す。

 

第5条

人心の動乱に由り又は内乱の予備又は陰謀を為す者あるに由り治安を妨害するの虞ある地方に対し、内閣は臨時必要なりと認むる場合に於て、其一地方に限り期限を定め左の各項の全部又は一部を命令することを得。

1.凡そ公衆の集会は、屋内・屋外を問はず、及何等の名義を以てするに拘らず、予め警察官の許可を経ざるものは総て之を禁ずる事。

2.新聞紙及其他の印刷物は、予め警察官の検閲を経ずして発行するを禁ずる事。

3.特別の理由に因り官庁の許可を得たる者を除く外、銃器・短銃・火薬・刀剣・仕込杖(仕込みづえ)の類、総て携帯・運搬・販売を禁ずる事。

4.旅人出入を検査し旅券の制を設くる事。

 

第6条

前条の命令に対する違犯者は1月以上2年以下の軽禁錮又は5円以上200円以下の罰金に処す。其刑法又は其他特別の法律を併せ犯したるの場合に於ては、各本法に照し重きに従ひ処断す。

 

第7条

本条例は発布の日より施行す

 

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