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国旗・国歌のページ |
99年2月28日、広島県教委から出された卒業式での「日の丸掲揚」「君が代斉唱」の完全実施を求める異例の職務命令と、「強制」に反対する教職員らとの板挟みになった駅伝で全国的に有名な
県立世羅高校(世羅町)の校長(58)が「何が正しいのかわからない。管理能力はないことかも知れないが、自分の選ぶ道がどこにもない」(3月5日、参院予算委員会で明らかになる)との走り書きを残して自殺、日本全土に衝撃が走った。これをきっかけに政府は、「国旗・国歌」の法制化に向けて動き出した。
地元広島では式後、(日の丸は全校掲揚したが)「君が代」斉唱を見送った全日制89校中11校、定時制26校中8校、通信制2校中2校・盲ろう・養護高等部12校中5校の計26校の校長のうち、少なくとも7人の校長が「進退伺」を提出する。だが県教育委員会は、進退伺とは別に職務命令違反で21校長を処分した。また、県教委の指導のもとで市町村教委も、小中学校長に「日の丸」「君が代」の完全実施の職務命令を発令し、混乱はさらに広がった⇒自殺にいたるまでの経緯 ⇒ 広島県教職員組合協議会議長見解⇒「日の丸」「君が代」強制に反対する広島県民の会
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君が代にはいろいろ意見があり、決着がついていません…。 それなのになぜ学校からなのですか? なぜ学校だけに強制されるのですか? |
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「日の丸は日本の国旗・君が代は国歌」「いや、そうではない」 「オリンピックでみる日の丸に感激」「日本がアジアに侵略したときの旗。絶対にいやです」 「よくわからない…」 |
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1980年のIOC(国際オリンピック委員会)総会は、オリンピック憲章の規定から「国旗・国歌」を削除し、各国の「選手団の旗・歌」に改めました。国と国との対立が強まるのを心配する声が上がったためです。 |
法制化問題をたずねたもの(99年3月2日フジテレビ『ニュースJAPAN世論調査』より)
第2次世界大戦侵略国の旗の変遷

※各国の実情※
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アメリカ |
国旗は、独立宣言1年後の1777年6月14日の国旗法で明記されている。なお、 国旗(星条旗)は、州の数が増えるたびに変わるので、現在のものは28番目になり、6月14日を「旗の日」として、国民も祝日としている。 国歌(スター・スパングルド・バナー=『星がきらめく国旗』の意味)は、1931年の法律で明記される。 |
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イギリス |
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フランス |
国旗(三色旗)・国歌(ラ・マルセイエーズ)ともに憲法2条で国家の象徴と規定されている。 |
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ロシア |
国旗(17世紀末のピョートル大帝時代に作られロシア革命以前に使用されていた)・国歌ともに大統領令で規定されている。なお、99年3月10日のロシア下院で旧ソ連の国歌を復活させる法案が可決されている(エリツィン大統領は拒否権発動の予定)。 |
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カナダ |
国旗は1965年(それまではユニオン・ジャックとカナダの紋章を入れた旗を便宜的に使っていた)、 国歌は1980年に法制化されている。 |
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ドイツ |
国旗は憲法(基本法)22条で「連邦旗は黒赤金色とする」と明記されていたが、1990年のドイ ツ統一でもこれが統一旗となった。国歌は旧西ドイツ時代の1952年に首相と大統領の書簡交換で宣言されており、統一の時にこれに統一され、「統一と正義と自由」で始まる第三節が公式の歌詞となっている。 |
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オーストラリア |
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イタリア |
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中国 |
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韓国 |
国旗は太極旗で、日本統治(1910年〜1945年)後の1948年に様式を統一し正式な国旗となった。正式な国歌はないが、周辺国からの侵略にさらされた1907年前後に作詞された「愛国歌」−『無窮花(ムクゲのこと) 三千里 華麗江山 大韓人よ 大韓へと 永久に 保全せよ』が事実上の国歌として定着している。 |
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フィリピン |
1946年に独立、国旗はルソン、ビサヤ、ミンダオナの各島を表す三つの星が太陽を囲み、平和と真実、それに正義をあらわす青と、愛国心と勇気を示す赤が配置されている。国歌は「神聖な陸地を踏みにじる侵略者を許さない」など、強い口調で植民地支配を非難し、他国に従属し続けたフィリピンの近現代史を表現している。 |
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日本 |
日の丸は、1870(明治3)年の太政官(明治政府の最高官庁)布告の「商船規則」に基づいて寸法と様式が決定されているだけ。 |
各国国歌の決め方
▽憲法で指定=フランス、キューバ、ブラジル、南アフリカなど
▽法律で指定=米国、フィリピン、トルコなど
▽国家機関が承認、採択=中国、インド、カナダなど
▽政府が決定=オーストリア、アルゼンチンなど
▽慣行=英国、ベルギー、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの各王国、韓国な ど
▽国民投票で=オーストラリア (国立国会図書館調査資料による:1999年4月1日付『東京新聞』夕刊より引用)
国旗、国歌にまつわる“秘話”
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国旗、国歌にまつわる“秘話”を、政界の長老・松野頼三氏が開陳する。 「昭和22年に初当選してすぐに仲間の議員20人ぐらいと一緒に大野伴睦、益谷秀次、星島二郎といった党(当時は日本自由党)の幹部に『日の丸・君が代を法律にした方がいい』と要求した。ところが法律家でもあった星島さん(後に衆院議長)は『これは慣習法だ。民族の大多数が了承しているもので、文章で書いた法律より重い。慣習法の国の英国を見てみろ。法律にすれば、いじくるやつが出てくるかもしれない』と言われて、なるほどと思った」 (1999年5月19日付『東京新聞』) |
※君が代、それは「あなた」をたたえる古歌にはじまったといわれる。
「君が代は干代(ちよ)に八干代(やちよ)にさざれ石の巌(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで」
さて、「君が代」が日本の国歌ときめられたことは、これまで一度もなかった。だからこそ、君が代とは別に1880(明治13)年代に国歌をつくろうという計画がおきたことさえあった(これは失敗した)⇒1904(明治37)年9月3日付『大阪朝日新聞』「天声人語」==「皇室の歌あり……しかして国歌の歌無きかな」。
※そもそも「君が代」の由来は、1869(明治2)年に遡る。すなわち、横浜の外国人居留地の警備にあたっていたイギリスの歩兵隊の軍楽隊に、日本にも軍楽隊をつくるために若い薩摩藩土たちが軍楽を学んでいた。そのうち、イギリス軍楽隊長フェントンは、日本に国歌がないことを知って、国歌をきめて作曲をしようといいだした。薩摩の練習生たちは、このことを砲兵大隊長の大山巌(後の陸軍大将)につたえ、大山は野津鎮雄(しずお)らと相談するうちに、幼少のころから愛唱していた薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらい)」の文句の中から、「君が代は……」の部分をとりだしたのだといわれる。
この元歌は、10世紀初め、醍醐(だいご)天皇の命令で紀貫之(このつらゆき)らが編集した最古の勅撰和歌集『古今和歌集』の巻七、賀歌(がのうた)のトッブにある「読人(よみびと)しらず」の「わがきみは千代(ちよ)に八千代(やちよ)に細(さざ)れ石(いし)のいはほとなりて苔(こけ)のむすまで」である。
※小学館『日本古典文学全集』(第5卷)によれば、「わが君のお年は干代、八千代にまで続いていただきたい。一握りの小石が少しずつ大きくなり、大きな岩になり、それに苔が生えるまで」と現代語訳されている。その注釈によれば、「君」は天皇をさすとは限らず、小石が岩となるというのは、「酉陽雑爼」(ゆうようざっそ)という中国の伝奇小説集に水中から拾ってきた石を仏殿に長年置いたら大きな岩になったという伝説にもとづく、と解説がつけられている。
※文部省の中庭に「さざれ石」が置かれている。コンクリートの“塊”にしか見えませんが、石灰岩が集まったものである。案内板には次ぎのように記してある
。『さざれ石の採取場所⇒宮崎県東臼杵郡北浦町⇒宮崎県東臼杵郡北浦町の大間海岸、高島海岸、下阿蘇海岸に分布し、陰暦の15日〜19日の午後1時〜4時までの干潮のときだけ見ることができる(寄贈者 宮崎県東臼杵郡北浦町・北浦町観光協会 ==⇒★「にほんのひのまる なだであかい かえらぬ おらがむすこの ちであかい」 (戦死者の母の唄より) (この項目の情報提供者⇒http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3648)。
※さて、この「君が代」にフェントンが作曲し、1870(明治3)年9月8日、東京の越中島で薩摩・長州・土佐三藩の兵に対する天覧調練(天皇の観兵式)が行われた際、薩摩藩の軍楽隊がこれを演奏した。「君が代」演奏の端緒である。しかしこの曲は、当時の日本人には必ずしも歓迎されず、1876(明治9)年の天長節(今の天皇誕生日にあたり、明治時代は11月3日)で海軍での演奏は中止された。
※1880(明治13)年7月、海軍省は宮内省に軍楽曲にふさわしい曲をと申しいれ、宮内省の林広守、傭い教師のドィツ人エッケルトらが編曲し、それが1880(明治1)年の天長節前の10月30日にはじめて演奏された。今日の君が代の誕生である。
※唯一、戦前の旧海軍の儀典様式などを定めた「海軍礼式令」に「国歌」が登場し、君が代が唄われた。
※多くの作曲家が、君が代の音楽性に否定的である。例えば、「めだかの学校」「夏の思い出」等の作曲で有名な中田喜直氏は以下のような見解を述べている。
「よい歌曲は、言葉(歌詞)とメロディーがよく合っていて、自然にきこえなければいけません。海が膿(うみ)になっては困ります。これを歌うと、君が代は、でなくてどうしても君がぁ用は、と聞こえます。それに音楽的フレーズが、干代に八千代にさざれ、で切れて、さざれ石という言葉が、さざれ、と、石、と真中で割れてしまうように、歌われやすいのです。最後の所、こけのむすまで、が、むうすうまああで、と無理な引伸しが、さらにこの曲を非常に不自然なものにしています。要するに、歌詞の長さとメロディーの長さが全くつり合わず、メロディーに較べて歌詞が短かすぎるので、無理に引伸ばしているのです。ですから、この曲を大勢で歌うと、お経のように意味がわからなくて、間のびした、だらしのない感じになってしまいます。」(『メロディーの作り方』音楽之友社刊)
※さらに永六輔氏は、「『君が代』のメロディーは、中国から朝鮮を経由して入ってきた雅楽です。それに『君が代』の五七五七七を、むりやりにはめ込んだ。だから『きいみいがあ』と全部母音で伸ばしている。あれは日本語じゃないですよ。…母音で伸ばすのはパンソリ、朝鮮半島の歌い方なんです」と指摘している(『論座』99・3)。
≪戦前の国定教科書≫(国定教科書の誕生== 1903(明治36)年 4月)⇒尋常小学校修身書卷四(小学校4年用)=1937(昭和12)年刊== 戦前「君が代」の国歌という呼称がついた唯一の教科書(教師用指導書)。なお、1893(明治26)年発行の和綴じの文部省検定教科書『帝国読本』巻四には「君が代」もじりの以下の七五調の歌が掲載されている。
「我が天皇の 御よはひ 萬代ふべき いしがめの あそぶ小川の さざれ石 いよよおひ立ち こけのむし 手引きの岩の 岩が根を 千代も八千代も かぎりなく いや栄えつつ おわしませ 天皇陛下萬歳 萬々歳」
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第二十三 國歌 |
1939(昭和14)年発行の副読本「小学作法」第3版の巻頭には以下のような「コッキ」の項目が登場している。
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1 コッキ |
国民学校(1941年より)初等科修身二−1942(昭和17)年刊−−国歌という呼称ははずされ再び「君が代」に戻っている(教師用指導書 )
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二 「君が代」 |
上の国民学校(1941年より)初等科修身二の教師用「授業での取り扱ひの要点・備考」欄に、「君が代」の歌詞について、誤り易い点につき、調査したところ」を掲載して参考に供している。
キミガヨハ ⇒ 「キミガハヨハ」 「キミガハヨ」 「キミガハヨニ」 「キミガヨニ」 「キミガヨガ」 「キキガラヨハ」 「キミガヨオノ」等。
チヨニ ⇒ 「チヨジニ」 「チヨイニ」 「チヤニ」 「ヂヨリニ」 「チヨイニ」 「チヨリニ」 「チヨイイ」 「チヤニ」等。
ヤチヨニ ⇒ 「ナチヨニ」 「ヤチヤニ」 「チチヨニ」 「ヤシヨイ」 「ヤチオニ」 「ヨチヨニ」 「ヤチヨイ」 「ヤチヨリ」等。
サザレイシノ ⇒ 「サザレニシノ」 「サザレエイシノ」 「サザレキシノ」 「サザエイシノ」 「サザヘイシノ」 「サザレイヒノ」等。
イハホト ⇒ 「ニハホト」 「ニワオト」 「ユワオト」 「ミハオト」 「イハホ」 「ニワゴト」等。
ナリテ ⇒ 「ナイテ」 「ナミテ」 「ナニテ」 「ナビテ」 「ナシテ」 「ナツテ」 「ナジテ」等。
コケノ ⇒ 「コケモ」 「コケヲ」 「コハノ」 「オケノ」 「ココハ」 「トケノ」 「コケガ」等。
ムスマデ ⇒ 「ムスマレ」 「ムスナレ」 「ウスマデ」 「ムスナレ」 「ムスナデ」 「ムスブマデ」等。
(この項目の情報提供者⇒http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3648)
※ 「日の丸」デザインの原点⇒南北に細長く海に囲まれた日本列島において最も慣れ親しまれた日の出の景色に由来するといわている。また日の丸使用の起源は、薩摩・第28代藩主島津斉彬が、幕府に大船・蒸気船建造申請を行った時、日本船の総印として白い帆に朱の日の丸を使用し、さら
に、「日の丸」を日本全体の船印にすることを幕府に進言、幕府もその必要性を認め、日の丸を日本全体の船印とする旨を1854年(安政元年)全国に布達したことに始まる。そして翌、1855年(安政2年)、薩摩藩が建造した昇平丸(写真)が江戸・品川に入港した時に初めて我が国の船印として日の丸が揚げられた。
※ ところが、戊辰(ぼしん)戦争のとき、薩長らの官軍は、菊花をかたどった「錦の御旗」とともに、「日の丸」を使い、一方幕府軍でも、海軍や上野の彰義隊、会津の白虎隊、さらには五稜廓にたてこもった榎本武揚の軍が「日の丸」を使った。権力の正当性を強調するために「日の丸」利用されたのであるが、このためにかなり混乱が生じることとなった。そこで1870(明治3)年1月27日、太政官布告第57号で、わが国の商船は日章旗を国旗としてかかげることとし、別に「御国旗の寸法」についても公布した。また、同年5月、陸軍で日の九を使用し、10月に海軍でも使用することになった(海軍は1889年から軍艦旗を使うようになる)。そして 1872(明治5)年11月24日には、一般は「天長節・紀元節」など、天皇制と国家神道の祭典であった祝祭日に、また開港場では常時、国旗をあげることが通達された。
※すなわち「日の丸」は、外国に対しては標識・船印であったが、国内に対しては天皇制権力のシンボルとしての役割を国民に対して果たした。そしてそれは、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布ごろから、析にふれ、事にふれて強調されるようになり、日清・日露戦争のころには戦意高揚の国家スローガンとして利用された。その後、満州事変・日中戦争・太平洋戦争へと戦端の拡大とともに、君が代と一緒に、軍国主義・国家主義の高揚の大役を担わされるようになるのである。
※つまり日本帝国軍が、海外、特にアジアにおいて「日の丸」を先頭に侵略(武力行使)を行い、占領した地域で必ず日の丸を立てたため、中国をはじめアジアの各地域では、「日の丸」を悪魔のシンポルのようにおそれ、僧んだのは当然の帰結であった。
※「我が日章旗は日の本を象徴し、我が日の本の國は天津日嗣(あまつひつぎ)の大君(おおきみ)のしろしめす神聖尊厳なる國家にて、日章旗は我が國體の象徴であって、國旗を尊重すること即ち皇室の尊崇であり、國旗を尊重すること即ち國體の擁護であるといふ深遠なる意義が含まれてゐる」。(帝国陸軍教育総監部が1933年に発刊した「日章国旗に就て」)
※軍歌でも「進む日の丸鉄兜(かぶと)」と歌われたように、日本軍はいつも「日の丸」を先頭に掲げて攻め込みました。

(中国・石家壮を侵略した日本軍−−『画報 躍進之日本』1993年12月号より)
※「敵軍を追ひはらって、せんりゃうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集まって、聲をかぎりに〈ばんざい〉をさけびます。日の丸の旗は日本人のたましひと、はなれることのできない旗です」。(『初等科修身・1』1942年)。
※1931(昭和6)年に大日本帝国国旗法案が帝国議会に出されたが可決されず廃案になっている。
※それはそれとして、戦争中「日の丸弁当」というのがあった。“戦地の兵隊さんをしのべ”というので、おかずは梅千一つという栄養をまったく無視した精神主義の産物であったが、毎月1日の興亜奉公日、大平洋戦争になってから毎月8日の大詔奉戴日には、「日の丸弁当」以外は禁じられさえした。
※商船規則の規定は、今でも有効というのが内閣法制局の見解。ただこれは、船舶に掲げる国旗だけの規定。現行法では自衛隊法や商標法
にも国旗という言葉はでてくるが、国旗一般の規定はないし、どの法令でも「日の丸が国旗」とはしていない。
※日本政府は、1999年3月2日、日の丸、君が代を国旗・国歌として法制化する方針を決めた(但し、教育現場などに日の丸掲揚や君が代斉唱を義務づける条項を盛り込まない方針)。
注
1.自衛隊法102条(自衛艦旗等)
自衛艦その他の自衛隊の使用する船舶は、長官の定めるところにより、国旗及び第4条第1項の規定により交付された自衛艦旗その他の旗を掲げなければならない。(以下省略)
2.商標法第4条(商標登録を受けることができない商標)
次に掲げる商標については、前条の規定にかかわらず、商標登録を受けることができない。
1 国旗、菊花紋章、勲章、褒章又は外国の国旗と同一又は類似の商標 (以下省略)
日の丸・君が代をめぐる最近の経緯
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1961年10月28日 |
政府の公式制度連絡調査会議「国旗小委員会」国歌・紋章小委員会」開催(実質審議に入らず) |
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1974年03月14日 |
田中首相が「日の丸・君が代」法制化の意向を表明(具体的論議に踏み込まず) |
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1976年06月06日 |
元号法成立 |
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1979年06月 |
大平首相が「長年の慣習で『日の丸・君が代』は国民の間に定着している。法制化の考えはない」ことを表明 |
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1989年02月 |
文部省「新学習指導要領」で「日の丸掲揚・君が代斉唱」を義務化 |
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1984年 |
政府国会答弁で「『君』を「象徴天皇」から『国』に軌道修正」。以後これが公式見解 |
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1994年07月20日 |
村山首相(社会党委員長)が「日の丸・君が代」を容認 |
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1995年09月03日 |
日教祖が運動方針から「日の丸・君が代」を削除 |
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1999年02月16日 |
共産党が国旗・国歌の法制化が必要との新見解 |
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1999年02月28日 |
広島県立世羅高校校長自殺 |
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1999年02月25日 |
小渕首相「現時点で法制化は考えていない」ことを表明 |
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1999年03月02日 |
政府「日の丸・君が代」の法制化の方針を固める。管民主党代表法制化容認 |
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1999年03月09日 |
政府「日の丸・君が代を法制化するための『国旗・国歌法案』」を今国会に提出し、成立を目指す方針を固める |
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1999年03月30日 |
小渕首相、今国会での法制化断念を示唆 |
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1999年04月06日 |
広島県教委主幹指導主事が校長に就任した世羅高校の入学式で君が代斉唱(伴奏のテープが故障で流れず、教職員全員着席したまま、校長と教頭、一部保護者が伴奏なしで歌うが、特に混乱なく終わった) |
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1999年4月26日 |
広島県教委は入学式で君が代斉唱を実施しなかったことを理由に県立学校長を3人を戒告、1人を文書訓告処分 |
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1999年5月17日 |
政府・与党は日の丸を国旗に、君が代を国歌にする「国旗・国歌法案」(仮称)を政府提案で国会に提出し、成立を目指す方針を決める。同法案の政府原案は「国旗は日章旗とする」「国歌は君が代とする」の2条からなるり、付則で、日の丸のサイズや色について、「縦は横の3分の2、円の直径は縦の5分の3」などと規定し、君が代については歌詞やメロディーを定めている。 |
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1999年5月25日 |
国旗・国歌法案、政府・与党、今国会提出を断念⇒民主党や共産党のほか、法案成立のカギを握る公明党が容認姿勢を転換して「慎重な審議」を求めたことから、99年6月17日に会期末となる今国会の会期を延長しても今国会中の法案成立のめどが立たなくなったためである。さらに与党の自民、自由両党内からも法案の継続審議は避け、提出を見送るべきだとの意見が強まったことが考慮された模様。 |
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1999年6月02日 |
小学校の君が代徹底前倒し 新指導要領の移行措置⇒文部省は2日、新学習指導要領への円滑な切り替えに向け、2002年度から一部を前倒しする移行措置を発表した。 |
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1999年6月11日 |
政府、国旗・国歌法案を国会提出。君が代の「君」は象徴天皇を指すとの政府統一見解。 |
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1999年7月22日 |
国旗・国歌法案が衆院を通過 民主党は賛否二分--日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案は22日の衆院本会議で、賛成403票、反対86票、総議員の8割 の賛成で可決された。週明けから参院で審議に入り、今国会中に成立する見通し。採決で自民、自由、公明3党は賛成、共産、社民両党は反対した。政府案に対して党議拘束をせずに自主投票で臨んだ民主党は、鳩山由紀夫幹事長代理ら保守系議員を中心に45人が賛成した一方、菅直人代表ら46人が反対し、対応は真っ二つに分かれた。今国会で定着した自自公3党の協力態勢による圧倒的多数を前に、野党第1党の民主党は統一的な対応策がとれなかった。 |
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1999年7月30日 |
「歌詞も曲も問題」 国旗・国歌法案に音楽家が反対声明---日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案に対して、指揮者の外山雄三・ジャズベース演奏者の小杉敏・ピアニストの高橋アキさんら音楽家6人が、反対する声明。「特に『君が代』は、歌詞の意味も曲のスタイルも国を代表し、国のシンボルとされるには多くの問題をかかえている」「なぜいま急いで法制化する必要があるのかまったく納得できない」として、広く音楽家仲間に賛同を求めてゆく方針。 |
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1999年8月09日 |
国旗・国歌法案が参院を通過--賛成166票、反対71票。自民、自由、公明3党の賛成に加えて、衆院に続いて自主投票で臨んだ民主党・新緑風会も20人が賛成に回った。 |
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1999年8月13日 |
国旗・国歌法公布・施行 |
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1999年8月15日 |
終戦記念日に君が代---54回目の終戦記念日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、天皇、皇后両陛下を迎えて、東京・北の丸公園の日本武道館で開かれ、初めて君が代が斉唱された。 |
注
1.公式制度連絡調査会議−−−新憲法下で制度化されていない国旗・国歌・国名などを検討するため設けられた会議。
2.政府案の中身は、〈1〉法案を「国旗・国歌法案」として一本化する〈2〉条文は「日の丸を国旗とする」「君が代を国歌とする」などシンプルな形にする〈3〉学校現場などでの「掲揚・斉唱」を義務化する規定は設けない――など。
3.日教組(川上祐司委員長)は3月9日、「性急な法制化には反対する」との見解を表明する方針を固めた。
各政党の考え
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国旗、国歌の法制化 |
日の丸・君が代 |
教育現場の扱い |
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自民党 |
党文教制度調査会で検討する。 |
国民に定着しており、大切にしなければならない。 |
学習指導要領で明示されており、100%実効されなければならない。 |
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自由党 |
法制化賛成論と慣習でと言う意見があり、党文教委員会で検討する。 |
長い歴史の中で育ったのもであり、大切にすべきである。 |
行過ぎた強制はすべきでない。 |
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民主党 |
国民の中で議論し、法律で認定するという手続きを取ることには前向きにとらえる⇒見解 |
日の丸、君が代は国民に定着している。 |
理解をはぐくむ教育は当然だが、十分な配慮が必要。 |
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公明党 |
外国の状況などを研究しながら、議論を進め、党内の意見調整を図る。 |
国旗、国歌として位置付けてよい。 |
教育現場で日の丸、君が代の歴史や沿革について議論することが大事。 |
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共産党 |
法的な根拠は必要であるが、国民的な議論を時間をかけて行う必要がある⇒見解 |
君が代は天皇を日本の統治者として たたえる歌。日の丸も侵略戦争の旗印になった。国歌、国旗とすることは重大な問題がある。 |
法制化されても強制すべきではない。 |
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社民党 |
法制化に反対である⇒見解 |
スポーツ競技などで広く国民の間に定着している。 |
「学校現場の混乱は、君が代斉唱のおしつ けが原因であり、それをやめるべきだ。 |
新聞社説
※ 「戦後50年以上が経過し、国旗・国歌の問題について法制化を含めて議論をきちんと整理する段階を迎えているのは確かである。…(共産党の新見解は)議論としては筋の通った見解である。国会を中心に国民的な諦議を深めることが大切である」(『日経』99年3月4日付「社説」)
※「国旗、国歌の法制化を議論するのなら、教育現場を狙い撃ちにするような性急なやり方ではなく、国民全体の合意を徐々に広げていく方法をとるべきだ。…先に法制化ありきはよくない」(『朝日』99年3月3日付「社説」)
※ 「議論は『日の丸、君が代の法制化』を前提にしないで行われるべきだ…国旗、国歌にはどんなものがふさわしいか、法制化の是非も含めて幅広く議論したい。…多くの国民が参加して考えるのが先であり、国会での決定はそれを下敷きにするのが正しい」(『東京』99年3月5日付「社説」)
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いつまでたってもこの国では、「みんなでじっくり議論する」ということは、 |
公立学校の日の丸掲揚・君が代斉唱の実施状況(全国対東京)
出典;1999年3月9付『東京新聞』
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日の丸掲揚 |
君が代斉唱 |
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小学校 |
99.0%・98.9% |
88.2%・85.8% |
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中学校 |
98.5%・99.4% |
84.8%・85.3% |
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高 校 |
98.1%・84.0% |
80.1%・ 3.9% |
注 1.各数字覧の左が全国平均・右が東京都 2.各数字覧の上段が98年3月の卒業式・下段が98年4月の入学式
都内での日の丸・君が代を探しても見たら−薄れた関心・官公庁さえも…
出典;1999年3月9付『東京新聞』
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官公庁・機関 |
内部の式典で君が代を演奏することがあるか |
どんな時に日の丸を掲揚するか |
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宮内庁 |
外国からの国賓を迎える宮中晩餐会の乾杯の前に演奏するが、声を出して歌うことはない |
普段は掲揚していない。祝日に庁舎正面に掲揚する |
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文部省 |
聞いた覚えことがない。記憶にない |
普段は役所の上に。祝日は庁舎正面に掲揚する |
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東京都庁 |
1月16日に教育委員会の50周年の式典が行われ、そこで君が代斉唱があったようだ。教育委員会関係はともかく都庁内ではないと思いますが… |
都庁の正面玄関に常時。祝日には都バスの前にも |
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江戸川区役所 |
成人式で。また区のスポーツ栄誉賞の授与式で日の丸掲揚にあわせて演奏する |
庁舎の前に常時。スポーツ栄誉賞の式典などの時にも |
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狛江市役所 |
君が代はないと思う |
普段は庁舎前に市の旗と一緒に。市民への感謝状贈呈式の会場などにも市の旗と並べて |
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東京大学 |
入学式・卒業式に君が代は演奏しない |
昔は正面に掲げていたが、今はしていない。入学式の式場の武道館には日の丸が掲揚されているが、あれは武道館のもので、東大が出しているわけではない。安田講堂で行う卒業式には日の丸はない。 |
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早稲田大学 |
入学式・卒業式でも君が代演奏・斉唱はない |
普段、学内に日の丸はない。入学式・卒業式でも掲揚しない |
注
1.官公庁・機関の広報担当者の回答
2.江戸川区役所は区長が都内で最高齢者
3.狛江(こまえ)市の市長は共産党員
4.東京大学は有馬文部大臣の母校であるとともに、学長も務めた
5.早稲田大学は小渕首相の母校
意味知らない」が過半数=君が代の歌詞で高校生
『共同通信社による99年3月中旬の調査:全国の県庁所在地を中心に街頭などで実施。対象者は計168人(男女半々)、都道府県の人数は人口に応じて12〜2人』⇒高校生(愛媛・新田高校)の日の丸・君が代調査
@高校生の半数以上は「君が代」の歌詞の意味を知らない。A卒業式などで歌うことに「抵抗感は全くない」という生徒は3人中2人を占めたが、B国歌に「ふさわしい」は3人に1人にとどまっており、歌詞の意味を知っているという生徒ほど斉唱に抵抗を感
じ、国歌にふさわしくないと考えている割合が高かった。
また、C日の丸の方は学校行事での掲揚に「抵抗感は全くない」が5人中4人、D国旗に「ふさわしい」5人に3人と、君が代に比べ容認度が高いという結果である(99年3月21日付)。
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君が代の「歌詞の意味」を |
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歌詞の由来や歴史を学校で「教わった」ことが |
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知っている |
15% |
ある |
15% |
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ある程度知っている |
29% |
ない |
63% |
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知らない |
55% |
分からない・忘れた |
23% |
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日の丸の由来や歴史を「教わった」ことが |
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ある |
6% |
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ない |
68% |
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分からない・忘れた |
24% |
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卒業式や入学式での君が代斉唱に抵抗感が |
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国歌に |
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まったくない |
70% |
ふさわしい |
32% |
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ややある |
23% |
ふさわしくない |
23% |
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かなりある |
7% |
どちらでもない・分からない |
23% |
「ややある」を含めて斉唱に抵抗感を示した割合は、
歌詞の意味を「知っている」という生徒で半数、
逆に「知らない」場合19%と減少する。
「国歌にふさわしい」との32%の回答者中、
歌詞の意味を「知っている」という生徒の中で、「ふさわしいが」27%、
「ある程度知っている」という生徒の中で、「ふさわしいが」29%、
「知らない」という生徒の中で、、「ふさわしいが」34%。
つまり歌詞の認識度が高い生徒に否定的な見方が多い傾向である。
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日の丸掲揚に抵抗感が |
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国旗に |
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全くない |
84% |
ふさわしい |
59% |
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ややある |
13% |
ふさわしくない |
8% |
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かなりある |
2% |
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日の丸・君が代の生産−−激しい地盤沈下…細々生産
出典;1999年3月9付『東京新聞』
★東京旗商工業協同組合(60社加盟)専務理事談⇒「今の日の丸生量はピークだった昭和40年前後の3〜5%程度では
★1872(明治5)創業の老舗(しにせ)旗店の三上旗店⇒年間500枚程度で、同社の主力商品は安全旗や社旗
※君が代のCDは、各社から計32タイトル発売されている。売れ行きは年間10〜20枚程度とマイナー。年末と入学・卒業シーズンの今が売れどき
※都内の有線放送会社2社には「蛍の光」を常時聞けるチャンネルはあるが、「君が代」のチャンネルはない。リクエストのも対象は流行歌として応じていない

都内最大級の武道館の日の丸
(縦8m・横12m=武道館が東京五輪柔道競技で使用された1964年に掲げられた)
◆メモ
1.新学習指導要領⇒小・中・高の学習内容と指導方針の新指針として、1989年3月に文部省が告示したもので92年から小学校を手始めに実施された。日の丸・君が代の扱いは「(掲揚・斉唱が)望ましい」との従来の表現から一歩踏み込み「入学式・卒業式などで国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導する」と、事実上の強制化を推し進めるものとなった。なお、文部省は1997年7月25日、小、中、高校が1995年の卒業式や入学式で、日の丸を掲げ、君が代を歌ったかどうか調査した結果を発表しているが、それによると、卒業式、入学式の日の丸・君が代は国立はいずれも100%、公立も日の丸は96%以上、君が代は75%以上だった。しかし、私立では日の丸掲揚率は小学校の卒業式で65%、入学式で67%にとどまり、君が代斉唱率も小学校の卒業式で53%、入学式で42%だった。
所沢高校生徒会決議
「日の丸・君が代」について、現在国政・県政の場においての解釈は様々であり、法律上でも国旗・国歌として定められていません。又その点についての私達所高生一人一人の中での解釈も賛成・反対その他様々です。このような状況の中で、教育行政機関が「日の丸」の掲揚や「君が代」の斉唱を強制するということは、私達一人一人の意志をまったく無視した行為であり、また教育基本法第10条(教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである)の「不当な支配」に当たることは明確で、さらに憲法第19条(思想及び良心の自由はこれを侵してはならない)をも明らかに侵しています。これは人格を形づくる時期にある高校生活の場において、思想の統一・画一化につながる恐れが多分にあると考えます。
よって私達所高生徒会は、この度高等学校学習指導要領を改定した文部省の行為に非常に大きな不満を感じるということをここに確認すると共に、今後我校内での儀式その他における「日の丸」掲揚及び「君が代」斉唱の強制に、一切反対します。
1990年2月 臨時生徒総会
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☆日弁連;「日の丸強制卒業式」は人権侵害(所沢高校問題で)⇒⇒埼玉県立所沢高校で生徒と校長が式のあり方をめぐって対立(1998年と99年、校長が、生徒と教職員の話し合いを無視して「日の丸・君が代」を式に導入。反発した生徒の大半が欠席する事態になった卒業・入学行事が2つに分裂)した問題で、生徒・卒業生計188人が「生徒の意見が反映されず、子どもの権利条約に違反している」などとして98年10月、日弁連に人権救済を申し立てていた事案に対して、日本弁護士連合会は01年1月29日までに、校長(当時)と県教育委員会が、子どもの権利条約に定められた権利である意見表明権・参加権(生徒の人権)を侵害したと認め、県教委や校長に対し、「行事の運営に当たっては、生徒に意見表明や参加の機会を与え、十分な説明と協議を行う」ことなどを求めた要望書を送付した。日弁連が同条約に基づいて人権侵害を認めた初めて。
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☆千葉県立高校生;教委に卒業式での国旗国歌の強制反対の請願⇒⇒生徒が企画運営して卒業式を開いてきた千葉県立小金高、東葛飾高、国府台高の3校で卒業式の企画運営に携わる1〜3年の生徒たち13人は01年2月14日、千葉県教委を訪れ、「試行錯誤しながら自主的に作り上げた卒業式を、話し合いもなく一方的に破棄されかねない現状に激しい憤りを覚える。命令という形では国旗国歌への愛着が深まるはずがない」として、卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱を強制しないよう求める請願書を出した。計画では00年までと同様、日の丸の掲揚と君が代の斉唱は行わないとしており、職員会議では受け入れられたが、3校とも校長が、県教委からの通知などを理由に反対しているという。なお、千葉県の県立高校では、00年の卒業式で「日の丸・君が代」を実施しなかったのは9校、入学式では7校で、千葉県教委は00年末、この3校を含む7校の県立高校校長に、実施を求める職務命令を出し、01年1月初めには、全142校の校長に完全実施を求める通知を出している。
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自殺にいたるまでの経緯
広島県辰野教育長のHP
高校生の日の丸・君が代調査
99年度入学式における国旗・国歌の実施状況(広島市を含む公立学校)
広島県教職員組合協議会議長見解
「日の丸」「君が代」強制に反対する広島県民の会
人権から見た日本
法学−憲法
教育勅語
世界の国旗(リンク)
世界の国旗一覧(リンク)
日の丸の歴史と各国の国旗事情(リンク)
所沢高校情報(リンク)
世界の国歌(MD)
National
Anthem(世界の国歌)
「日の丸」掲揚問題に関する京都芸大関係者へのアピール
朝日新聞 教育特集
日の丸・君が代 ゆるやかな合意形成を (西日本新聞社説)