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軍 歌 |
露営の歌(1937年9月)
(作詞:藪内喜一郎;作曲:古関裕而):(歌唱:中野忠春・松平晃・霧島昇・伊藤久男)
勝って来るぞと 勇ましく
誓つて故郷(くに)を 出たからは
手柄(てがら)たてずに 死なれよか
進軍ラツパ 聞くたびに
瞼(瞼)に浮かぶ 旗の波
土も草木も 火と燃える
果てなき荒野(こうや) 踏みわけて
進む日の丸 鉄兜
馬のたてがみ なでながら
あすの生命(いのち)を 誰(だれ)か知る
弾丸(たま)も タンクも銃剣(じゅうけん)も
暫(しば)し露営の草枕(くさまくら)
夢に出て来た 父上に
死(しん)んで還(かへ)れと 励まされ
さめて睨(にら)むは 敵の空
思へば今日の 戦闘(たたかい)
朱(あけ)に染まつて にっこりと
笑つて死んだ 戦友が
天皇陛下萬歳(ばんざい)と
のこした聲(こえ)が
忘らりよか
戦争(いくさ)する身は かねてから
捨てる覚悟で ゐるものを
鳴いてくれるな 草の虫
東洋平和の ためならば
なんの命が 惜しからう
日中戦争時代の軍歌第1号。大阪毎日と東京日日新聞(現・毎日新聞)が募集した「進軍の歌」の第2席(佳作)に入ったもので、北原白秋や菊池寛らが「露営の歌」として推薦、コロムビアが古関に作曲を依頼して出来あがった。第1席の「進軍の歌」のB面に納められたが、こちらの方が大ヒット(発売から6カ月で60万を売り尽くした。現在みたいにステレオが普及しておらず、蓄音機が高級品だったことを考えれば空前の大ヒットといえよう)したから面白い。いわゆる“ヨナ抜き”短音階の哀調ある古関のメロディーがヒットの要因であった。なお古関は、この歌に関してその自伝で、「土も草木も火と燃える」とか「鳴いてくれるな草の虫」など、詩は旅順で見たままの光景で、私には、あの戦跡のかつての兵士の心がそのまま伝わってくるのであった。夏草の揺れ、虫の声もそこにあった。」と、記している。
(作詞:森川幸雄;作曲:瀬戸口藤吉)=(歌唱:各社)
見よ 東海の空明けて
旭日(きょくじつ) 高く輝けば
天地の正気 溌刺(はつらつ)と
希望は躍る 大八洲(おおやしま)
おお 清朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠 揺るぎなき
わが日本の 誇りなれ
起て 一系の大君を
光と永久(とわ)にいただきて
臣民われら 皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
征け 八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を 導きて
正しき平和 うち建てん
理想は花と 咲き薫る
いま幾度か わが上に
試練の嵐 たけるとも
断乎と守れ その正義
進まん道は 一つのみ
ああ 悠遠(ゆうえん)の神代より
轟く歩調 うけつぎて
大行進の ゆく彼方
皇国つねに 栄あれ
:注:
内閣情報局が国民から公募した軍歌ひとつ。作詞した森川幸雄氏は当時23歳。詞が決定してから曲も公募された。作曲した瀬戸口藤吉氏は「軍艦行進曲」を作曲した元海軍軍楽隊長当時70歳の瀬戸口直吉氏。レコード各社が競作し、当時としては空前のミリオンセラーとなり、各社で映画化(日活)(キネマ)もされた。なお、大八州とは、日本の古称・美称、古事記・日本書紀に、いざなぎ・いざなみ二神の生んだ島々の総体としてみえる⇒見よ東条のハゲ頭
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紀元二千六百年(1940年2月)
(作詞:増田好生;作曲:森義八郎) =(歌唱:各社)
金鵄(きんし)かがやく 日本の
栄(はえ)ある光 身にうけて
今こそ祝え この朝(あした)
紀元は 二千六百年
ああ一億の胸は鳴る
歓喜あふるる この土を
しっかと我等 踏みしめて
はるかに仰ぐ 大御言(おおみこと)
紀元は 二千六百年
ああ 肇国(ちょうこく)の雲青し
荒ぶ世界に ただ一つ
ゆるがぬ御代に 生(お)い立ちし
感謝は清き 火と燃えて
紀元は二千六百年
ああ 報国の血は勇む
潮(うしお)ゆきたけき 海原(うまばら)に
桜と富士の 影織りて
世紀の文化 また新(あら)た
紀元は 二千六百年
ああ燦爛(さんらん)のこの国威
正気凛(りん)たる 旗の下
明朗アジア うち建てん
力と意気を 示せ今
紀元は 二千六百年
いや 弥栄(いやさか)の日は昇る
:注:
詞・曲共に公募作。なお、「紀元2600年」の記念式典は、1940(昭和15)年11月10日午前10時50分から天皇・皇后が列席して宮城前広場で国民の代表5万人を集めて開かれ、全国各地で祝賀行事が挙行された。式典はラジオで生中継されたが、天皇の「勅語」は放送されなかった。したがって天皇(神)の声(玉音)を耳に出来たのは参列者だけであった⇒替え歌
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暁に祈る(1940年5月)
ああ あの顔で あの声で
手柄たのむと 妻や子が
ちぎれる程に 振った旗
遠い雲間に また浮かぶ
ああ 堂々の輸送船
さらば祖国よ 栄(さか)えあれ
遥かに拝む 宮城の
空に誓った この決意
ああ 傷ついた この馬と
飲まず 食わずの 日も三日
捧げた生命(いのち) これまでと
月の光で 走り書き
ああ あの山も この川も
赤い忠義の 血がにじむ
故国(くに)までとどけ 暁(あかつき)に
あげる興亜の この凱歌
:注:
紀元2600年の春、松竹映画『征戦愛馬譜・暁に祈る』の主題歌として作られた、大ヒットした。当初野村俊夫の詩に軍関係者の許可が下りず何度も書きなおされたといわれている。古関は、「私はこの詞を見た時、中支戦線に従軍した経験がそのまま生きて前線の兵士の心と一体になり作曲が楽だった。兵隊の汗にまみれ、労苦を刻んだ日焼けした黒い顔、異郷にあって故郷を想う心、遠くまで何も知らぬままに運ばれ、歩き続ける馬のうるんだ眼、すべては私の眼前にほうふつとし、一気呵成に書き上げた。」と自伝に記している。
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戦陣訓の歌(1941年4月)
(梅木三郎作詞:須磨洋朔作曲)=(歌唱;徳山漣)
日本男児と 生まれ来て
戦さの場(にわ)に 立つからは
名をこそ惜しめ 武士(つわもの)よ
散るべき時に 清く散り
御(み)国に薫(かお)れ 桜花
情けに厚き 丈夫(ますらお)も
正しき剣(つるぎ) とる時は
千万人も 辞するなし
信ずる者は 常に勝ち
皇師(こうし)に向かう 敵あらじ
五条の訓(おしえ) かしこみて
戦野に屍(しかばね) さらすこそ
武人(ぶじん)の覚悟 昔より
一髪(いっぱつ)土に 残さずも
誉れに なんの悔(くい)やある
山ぬく威武(いぶゐ)も 騎(おご)るなく
海をも出ずる 陣をもち
つらぬく大義 三千年
大和心の ひと筋は
これこそ 軍の大精神
注;
1941(昭和16)年1月、全軍の将兵のための道徳書として「戦陣訓」が、陸軍大臣東条英機(東条内閣)の名でだされたが、レコード各社はこれに迎合、競ってレコード化した。中でもこのビクター盤が最もよく人々歌われた。なお、威武とは、威光と武力。武力が強く、威勢のあること。
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(西條八十作詞・古関裕而作曲)=(歌唱;酒井弘・朝倉春子)
決戦かがやく アジアの曙
生命(いのち)惜しまぬ若櫻
いま咲き競う フイリッピン
いざ来いニミッツ、マッカーサー
出てくりや地獄へさか落とし
陸には猛虎(もうこ)の 山下将軍
海に鉄血(てっけつ) 大河内(おおかはち)
見よ頼もしの 必殺陣
いざ来いニミッツ、マッカーサー
出てくりや地獄へさか落とし
正義の雷(いかづち) 世界を震はせ
特攻隊の 行くところ
われら一億 ともに行く
いざ来いニミッツ、マッカーサー
出てくりや地獄へさか落とし
御稜威(みいつ)に栄(さか)ゆる 同胞(はらから)十億
興亡分かつ この一戦
あ〃血煙の フイリッピン
いざ来いニミッツ、マッカーサー
出てくりや地獄へさか落とし
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注:
激しい戦闘を繰り広げていた当時の米軍の指揮官が、マッカーサー(陸軍総司令)、二ミッツ(海軍総司令)の両将軍であったことから、このような文言となった。歌の目的は、フィリピン(比島)の決戦を機に、さらに国民の士気をふるいたたせ敵愾心を昂めるためである。そのため、歌と平行して「いざ来いニミッツ・マッカーサー、出てくりゃ地獄へさか落し」と記した大きな長い垂れ幕が、丸ピルや有楽町駅の近くのビルの屋上や屋根に出された。
しかし、この部分は西條八十の作詞ではなかった。これに関して西条の弟子の丘灯至大は、「この歌は読売新聞社が〈敵愾心をあおる歌〉を作れと軍部から言われ、作詞を西条八十に依頼したもの。とくにその作詞の中には、敵の将軍の名前を全部入れるという注文だった。西条八十もさすがにハラにすえかねて『いくら軍の命令でも、そんなバカげた歌はできぬ。だいいち敵の将軍の名前だけで、歌詞が全部うずまってしまうじゃないか』と断わった。ところが、この歌の打ち合わせ会に姿を見せていた陸軍報道部の親泊中佐が『わけはないじゃないか……』とエンピツをなめなめながら、『出てこいニミッツ……』と書き上げてしまった。戦時中、とくに戦争末期には、こうした強制的な作詞がいかに多かったかという一例である。」と記している(『日本のうた(流行歌篇)』)。
また作曲した古関も、この歌の作られた経緯をその自伝で「幻の、嫌な歌」という項目の中に入れ、くだんの『いざ来いニミッツ、マッカーサー』という歌詞は、この歌を依頼した読売新聞の幹部と、軍部の将校らによって無理やり入れられたものであると書いている。
戦後、この歌を作詞・作曲したということで、西条と古関の両名は「戦犯」と騒がれ、本人達もその恐怖に慄いた。とくに西条は「いつ死刑を受けてもよいようにと、入れ歯を直し、身を清めて待っていた」が、マッカーサーは「日本の流行歌には思想がない」といって、問題にしなかった。
なお、この歌のレコード化は資源調達が出来ず実現しなかった。
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無念の歯がみ こらへつつ
待ちに待ちたる 決戦ぞ
今こそ敵を屠(ほふ)らむと
奮ひ起ちたる若櫻(わかざくら) !
この一戦に 勝たざれば
祖国の前途(ゆくて) 如何(いか)ならむ
撃滅せよの 命(めい)うけし
神風特別攻撃隊 !
送るも征くも 今生(こんじょう)の
別れと知れと 微笑(ほほゑ)みて
爆音(ばくおん)たかく 基地を蹴(け)る
あ〃神鷲(かみわし)の 肉弾行(にくだんこう) !
大義の血潮 雲そめて
必死 必中 体当り
敵艦などて 逃(のが)すべき
見よや不滅の 大戦果(だいせんくわ) !
凱歌(がいか)はたかく 轟けど
今はかへらぬ 丈夫(ますらを)よ
千尋(ちひろ)の海に 沈みつつ
なほも皇国(みくに)の 護(まも)り神(かみ) !
熱涙(ねつるい) 傳(つた)ふ 顔あげて
勲をしのぶ 国(くに)の民(たみ)
永久(とは)に忘れじ その名こそ
神風特別攻撃隊 !
神風特別攻撃隊 !
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参考文献
1. 日本歌謡史
高野辰之/著
春秋社 (1926.1)
2. 日本近代歌謡史 (上)
西沢爽/著
桜楓社 (1990.11)
3. 日本近代歌謡史 (下)
西沢爽/著
桜楓社 (1990.11)
4. 日本近代歌謡史 (資料編)
西沢爽/著
桜楓社 (1990.11)
5.
日本レコード文化史
[東書選書]
倉田喜弘/著
東京書籍 (1992.6)
6. 日本流行歌史
(上) <1868〜1937>
古茂田信男/[ほか]編
社会思想社 (1994.9)
7.
日本流行歌史
(中) <1938〜1959>
古茂田信男/[ほか]編
社会思想社 (1995.1)
8.
日本流行歌史
(下) <1960〜1994>
古茂田信男/[ほか]編
社会思想社 (1995.5)
9.
日本流行歌史
(戦後編)
古茂田信男/[ほか]編
社会思想社 (1980.1)
10.
日本流行歌史
(戦前編)
古茂田信男/[ほか]編
社会思想社 (1981.1)
11. 年表日本歴史
(第6巻) <明治・大正・昭和>
井上光貞/[ほか]編
筑摩書房 (1993.3)
12昭和二万日の全記録 原田勝正他 講談社(1988)