

道後温泉郷絵図(松山師指定文化財)
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1894(明治27)年当時の改築前の温泉本館 |
1899(明治32)年改築後の温泉本館 |
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道後温泉は、日本書紀にも登場する3000年の歴史がある日本最古の温泉で、神代の昔、足を傷めた一羽の白鷺(しらさぎ)が岩間に湧き出る湯で傷を癒したという“温泉開創”の伝説があり、全国でもベストテンに数えられている名湯。 いうまでもなく、温泉を全国的に有名にしたのは、夏目漱石著「坊っちゃん」である(小説では道後温泉は「住田温泉」となっている)。 どっしりとした構えの本館上最上層の振鷺閣(しんろかく)には、伝説の白鷺を据え、また、赤いギヤマン(ガラス製品に彫刻をほどこしたもの)を張り巡らせた太鼓楼で、朝6時30分に太鼓の音で開館を告げるなど温泉情緒を漂わせている(その他太鼓は、正午に12回、夕方6時に6回太鼓を打ち鳴らして時を告げている)。 1894(明治27)年に完成した温泉本館は、城郭式の建物で、三層楼の構えが伝統の風格を誇っている(総工費約20万円)。翌年には、軽便鉄道の道後〜一番町〜三津口(現古町)が開通、道後温泉は本格的な観光地に発展した。
内部は、歴史がいちばん古い神の湯と霊の湯という2つの浴室と、それぞれの休憩室など、4つの入浴コースと皇族専用の又新殿(ゆうしんでん)からできている。 又新殿は、天皇をはじめ皇族方が道後温泉へ来られた際、当時旅館に内風呂がなかたことから、入浴のために、1899(明治32)年に造られたものである。
本館2階の休憩室(大正時代) なお、明治時代の温泉施設が、こんなにきれいに残っているのは日本でここだけで、1994(平成6)年12月には、近代和風建築としてのすばらしさと保存状態のよさから、国の重要文化財に指定されている。
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道後温泉本館は、北に神の湯本館、東に又新殿(ゆうしんでん)・霊の湯(たまのゆ)棟、南に南棟、西に玄関棟が互いに接続して建つ複雑な構成をもつ。神の湯本館が1894(明治27)年、又新殿・霊の湯棟が1899(明治32)年、南棟及び玄関棟が1924(大正13)年の建築で、現在の姿は明治中期から昭和初期にかけて整えられたものである。
神の湯本館は木造3階建てで塔屋を設ける又新殿は皇族の入浴に備えて建てたもので、浴槽を含めて当初の姿をよく保持している。神の湯本館及び又新殿・霊の湯棟は、ともに棟梁坂本又八郎が手がけた。本館は、複雑な屋根をもつ外観に特徴がある。その姿は、古くから人々に親しまれた温泉場の明治期以降の繁栄の様子をよく示しており、わが国の温泉建築を代表するものである(松山市・松山市教育委員会【立札】より)。







扁額(へんがく=門戸や室内などに掲げる横に長い額。横額《よこがく》)の「道後温泉」は、松山出身の画家村田英鳳(えいほう)の制作によるもの。初代は、1950(昭和25)年6月5日に掲げられた。それ以前には扁額がなかった。愛媛県津島町を舞台にした(毎日新聞に19488年から1949年にかけて連載された)獅子文六の小説『てんやわんや(手に手にの意の「てんでん」と、関西方言でむちゃくちゃの意の「わや」とが結合してできた語。この小説から一般に使われるようになった)』の映画化(渋谷実監督/1950年公開松竹作品/宝塚歌劇団出身である淡島千景の映画デビュー作)の際、道後温泉でもロケが行われたが、そのとき道後温泉を示すものがどこにもなかったことから、松竹側の「本館玄関に古色蒼然たる扁額を掲げる」との提案で急遽映画の大道具の材質で制作され。現在のそれは2代目で、1986(昭和61)年に36年振りに同画伯により制作されたものである。なお、小説は、”相生町”という架空の町が舞台になっているが、太平洋戦争の終戦直後、文六が妻の実家がある津島町岩松に疎開(そかい=空襲・火災などによる損害を少なくするため、都市などに集中している住民や建物を地方に分散すること)していた時の様子を題材としている。































左;霊(たま)の湯2階席(1200円)/中;神の湯男子浴槽/右;霊の湯男子浴槽(400円)−いずれも道後温泉本館