◇◇◇陪審制度について◇◇◇
<1>陪審制度とは?
事実問題の判断に一般市民の良識・判断を反映させるために英米で発達した制度で、大陪審と小陪審があります。
大陪審は起訴陪審とも 呼ばれ、12名以上23名以下で構成され、ある者が犯罪を行ったか否かに関する事実の認定を行い、これに基づき正式起訴が行われます。「死刑にあたる罪その他、不名誉な罪」で訴追するには大陪審の起訴によらなければならないと、憲法でさだめられています(合衆国憲法修正第5修正)。しかし検察が強い主導権を持つことや、お金と時間がかかりすぎる事などにより、現在ではほとんどの州で、死刑にあたる罪以外においては、大陪審の審理をうけず略式起訴できるようになっています。
小陪審は審理陪審(合衆国修正憲法第6修正(刑事陪審⇒民事陪審;合衆国憲法修正第7)とも呼ばれ、原則として12人で構成されます。
小陪審は裁判における事実関係の争点について審理し判断するもので、通常、陪審制度とは小陪審を指します。
<2>陪審裁判と陪審員
陪審裁判は、当事者主義といわれるものを採用し、訴訟の結論を当事者(検察官・弁護人・被告人)の立証の論争に委ね、そ の訴訟の結論は、12人の素人である国民(市民)と職業裁判官とが業務分担を行います。
つまり、陪審員となった人が事実(有罪・無罪)の判断を行い、裁判官は訴訟指揮、証拠の取捨選択、法の解釈や適用を行うのです。
また裁判官説示という形で、陪審員に対してその役割と任務について解りやすく説明します。
<3>現行の三審制と陪審制の違い
判決(有罪か無罪か)
《三審制》職業裁判官が多数決で決める。
《陪審制》無作為に選ばれた12名の陪審員が全員一致で決める。
裁判の期間
《三審制》被告人が起訴内容を否認すれば数年かかる。
《陪審制》1週間以内で終了する。
上訴、控訴、上告は可能か?
《三審制》控訴、上告することができる。第一審としては、通常地方裁判所、簡易裁判所があり、ここでの裁判の不服申立ては控訴審(高等裁判所)で審理・裁判し、さらにその裁判に対する不服申立ては上告審(最高裁判所)で審理・裁判する。
《陪審制》陪審員による事実認定(有罪か無罪かの判断)は一審だけであり、被告人側からの上訴はできるが、検察官側からの上訴はできない。
(上記は刑事事件についてで、《陪審制》はアメリカの場合です。)
<4>我が国の陪審法
我が国の裁判は、現在、職業(キャリア)裁判官が判決を下す三審制を取っています。しかし、我が国にも陪審法が存在しました。
刑事事件に限り陪審審理を認める我が国の陪審法は、1923(大正12)年に公布されて1928(昭和3)年の施行から1943(昭和18)年、東条内閣の「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって「停止」 されるまで、15年間にわたって実施されました。
この間、484の事件が陪審制で裁かれていますが、そのうち、81件(17%)に無罪判決が出ています
もともと、日本の裁判に陪審制度を導入しょうとしたのは、元パリ大学助教授で明治政府の法律顧問を務め、日本の近代化に法律面で大きな業績を残したギエスターブ・ボアソナードでした。
ボアソナードは日本初の刑事手続きに関する近代的法典である旧刑事訴訟法の前身の治罪法の草案を作成、1880(明治13年)公布、1882(明治15)年1月に施行されましたが、その最大の目的が陪審制度の導入でした。しかしボアソナードが目指した陪審制度は「曠蕩不経(こうとうふけい=でたらめで)法無キノ地ニ陥」)る危険がある(無法状態になる)として、結局取り入れられませんでした。
だが、その後も陪審制採用の要望は根強く存在し、1910(明治43)年、松田源治衆議院議員(後の文部大臣)が「陪審制度設立二関スル建議案」を帝国議会に提出、衆議院はこれを可決しましたが、立案までには至らず、ようやくそれが日の目を見るのは1919(大正8)年のことでした。同年政府は、臨時法制審議会を設置して陪審制度立案要綱を作成、以後検討のたびに修正を加えながら1923(大正12)年公布、1928(昭和3)年10月1日に施行される運びになったのです。
|
日本初の陪審裁判 日本ではじめての陪審裁判(陪審員12人)は、1928(昭和3)年9月に起きた情婦殺人未遂事件に関して同年10月23日から行なわれました。以下は2日目の状況を報じる1928年(昭和3)年10月25日付『大阪朝日新聞』の記事です。 大分地方裁判所で開かれた我国最初の陪審裁判――藤岡亀次(33)に係る殺人未遂被告事件の第2日日の公判は24日午前9時から引続き開廷した。まず裁判長の陪審員に対する説示にいり、被告の犯罪につき検事は殺意を認め被告はこれを否認して単に傷害の事実を認めて居る本事件の唯一の問題は殺意の有無にある。法律上より見れば殺人未遂は死刑又は無期若くは3年以上の懲役となってゐ(い)るが、単に傷害とすれば10年以下の懲役又は科料に処せらるる重大な関係となるからと特に殺意の解釈について詳述し証拠について説明をなし、予審で被告は殺意を認めたのはこの場合証拠にならぬ。ただこの法廷に現れた事実のみを証拠としなければならぬと前日の被告の答弁、証人の陳述を再び説明し尚参考人として一般犯罪の動機や飲食と犯罪等の関係を述べた後裁判長は陪審員に対して左の諮問をした。 (主問)被告に殺意あったか (補問)殺意がなかったとすれば単に傷害の目的で斬付けたものであるか の2問をだした。かくて10時半陪審員は評議室に入り極秘のうちに評議した結果、同50分決をとり陪審員長は答申書を作成して厳封して裁判所に提出した。11時再開裁判長はこれを開封し書記をして朗読せしめたが主問の殺意に関する陪審の答申は「然らず(しか〔さ〕らず=そうでない。そのようではない)」となってゐて殺意を認めないことになり、補問の単に傷害の目的にて斬付けたものであるかとの問に対しては「然り(さり・しかり=そのとおりである。そうである)」との答申であった。 裁判所側ではこれを至当と認め、かくて陪審の任務は終了し退廷した。次で河井検事は第2次弁論に移り被告の素行にしん酌さるべき点があり、情状酌量の上刑法204条を適用し懲役6ケ月を求刑した。次で加藤弁護士は被告の前途のため刑の執行猶予を求め11時半閉廷した。 注;然り==「しかり」が主に漢文脈で用いられるのに対し、「さり」は和文脈で用いられます。 |
東京初の陪審裁判が東京地裁で行われたのは、1928(昭和3)年12月17日のことでした。裁判は21歳の女性にかけられた放火未遂罪を審理するもので、選ばれた陪審員12人の顔ぶれは、酒屋、こんにゃく屋、そば屋、干物屋、農業、会社員等など、その職業もまちまちでした。
「被告の言い分が秩序立っているのに、あなた(警察官)の話はあまりに物足りない。もっと我々がうなずけるように答弁をできぬものか」等、法律家顔負けの追及ぶりだったようです。3日間の集中審理の結果、裁判長に答申(評決)が出されたのは12月21日、12人の陪審員は「然(さ)らず〔そうでない。そのようではない〕」(無罪)。被告の女性は、涙に暮れたということです。
こうして出発した陪審制度は、翌年の1929(昭和4)年には144件を数えましたが、その後は激減し、1935(昭和10)年には10件台に落ち込んでしまいました。
こうしたなかで陪審法は、陪審員の有資格者名簿や候補者名簿づくりなどに、市町村の負担がかさむことなどを理由として、1943(昭和18)年の「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって、その施行が停止された。同法には「大東亜戦争終了後再施行する」と規定されたが、いまだ実現されてはいません。
さて、「陪審法ノ停止ニ関スル法律」の付則3項では、 陪審法は今次の戦争(太平洋戦争)終了後に「再施行スルモノ」としており、現行の裁判所法3条3項は「この
法律の規定は、刑事について別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」と規定して、陪審制度を予定していますが、停止されたままで現在にいたっています。
<5>陪審制導入の問題点
我が国の陪審法は、英米の陪審法と異なり、「狭義の陪審」といわれるもので、陪審員が事実の認定(有責問題)だけを行い、法律の適用や刑の量定(科刑問題)は職業(キャリア)裁判官が行うというものでした。そのうえ政治事件が除外され、さらに以下のような制度的欠陥を有していました。
1.陪審の更新が認められ、裁判所は陪審員の答申に拘束されず、裁判所が陪審の答申を不当と認める場合には、陪審を更新して決定で事件を他の陪審の評議に付すことができ、
2.被告人は控訴ができず
3.有罪となった場合には、陪審員の日当・宿泊費などの負担が被告人にかかってくる
4.裁判所の「説示」に対しては異議申立権がなく
5.陪審の資格については、男子のみで、かつ納税額等による制限があり、
6.限定された法廷陪審事件の範囲と陪審不適事件の広範な存在など、
7.国民の司法参加の制度としては不完全なものでした。
また、陪審制導入には様々な見解がありますが、賛成、反対の主な理由は以下の通りです。
〜賛成論(陪審制の長所)〜
1.国民主権が徹底され、国民の直接的司法参加が可能となる。
2.国民に対する教育的機能がある。
3.素人に納得できる判断が期待できる。
4.社会通念を基準とする判断など、職業裁判官に期待し得ない、有罪、無罪の判断ができる。
5.えん罪の防止ができる。
6.具体的妥当性が重んじられる。
7.判決に理由が不要になる。
〜反対論(陪審制の短所)〜
1.国民性に馴染まない。
2.我が国は成文法(文書の形式で示されている法)の国であり、陪審制は馴染まない。
3.判決には理由が必要。
4.感情によって裁判される虞れがある。
5.法的安定性を害する。
6.控訴をどうするか(控訴できない)。
7.訴訟費用や裁判所の予算が増大する。
☆ 陪審制を復活するとしても、前記したような制度的欠陥を有したままの旧陪審の復活で足りないことは広く認められています。陪審制を復活させるなら、陪審員の資格制限、陪審不適事件等を撤廃したり、
裁判官の「説示」に対する異議申し立てを認めたり、被告人には控訴を認める等、歴史的国際的に形成された陪審像への接近のため、陪審 法改正案もしくは陪審法改正要綱は必要なものになるでしょう。
☆ 陪審員が法廷では、証人尋問によって直接心証を取られる(直接主義・口頭主義)が、戦前の陪審裁判の審理期間をみれば、484件中、3日以内で終わっているのが460件(95パーセント)である。その間平均10名の証人が調べられている。
アメリカの場合も、マサチューセッツ州の例で言えば、審理期間は96パーセントが3日以内で終わっています。国民に不当な負担をかけるということはないのです
<6>陪審制復活の声の現状
司法の民主化、誤判防止などのために陪審制の復活を求める動きは以前からありましたが、「免田事件」「榎井村事件」「徳島ラジオ商殺し事件」など、再審無罪判決が相次いだ(冤罪大国日本)こととも関連して、関心を集めるようになりました。
最高裁は1988年から判事を長期海外派遣して陪審制・参審制(一般市民から選出された参審員が職業裁判官とともに合議体を構成して事実
問題・法律問題を問わず審理・裁判する制度。ドイツやフランスなどで行われている)の調査研究を進めており、弁護士会の報告書や自由人権協会の試案なども公にされ、議論が活発化しています。
アメリカでの黒人に対する警察官の集団暴行事件や、日本人留学生射殺事件における無罪評決が、我が国の議論にも微妙な影響を及ぼしているといった状態です。
全国陪審裁判協議会(リンク)
陪審制を考える会(リンク)
陪審制復活に向けて(リンク)