秋山真之(あきやまさねゆき)像

 

松山市・梅津寺

 

1868(明治元年)〜1918(大正7)

 

 

 

  

 

松山市・梅津寺見晴山(伊予鉄道所有)の中腹に立っており、方向は日露戦争でバルチック艦隊を撃滅した対馬海峡の方向の東を向いている。満州事変が始まった1931(昭和6)年に真之13回忌と日本海海戦(日露戦争における海戦で、1905(明治38)年5月27・28日、ロシアの派遣したバルチック艦隊と、東郷平八郎の率いる連合艦隊が日本海の対馬沖で交戦、日本側の圧倒的勝利に帰し、戦局に決定的影響を与えたといわれている)25周年を機に、双眼鏡を手にした立像がたてられたが、兄の好古の像と共に1943(昭和18)年の金属供出で撤去され台座だけが残された。戦後、石手寺の境内に建てられた、駐車場建設に際して梅津寺に移された。台座正面には旗艦(きかん=マストに司令官・司令長官の官階を示す旗を掲げる艦隊の司令官・司令長官が乗って艦隊の指揮をとる軍艦)であった戦艦「三笠(現在横須賀市稲岡町・三笠公園で保存されている)が描かれている。

 

  

 

 

 

題字は、東郷平八郎(1847〜1934) 鹿児島出身の海軍軍人で、大将・元帥。日露戦争の際、連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮、バルチック艦隊を破った。また、後のロンドン軍縮条約では締結に強硬に反対した)によるものである。題字の「智謀湧如」(ちぼうわくがごとし)の智謀(ちぼう=知謀)とは、知恵のある、すぐれたはかりごと、つまり、巧みなはかりごとの意味である。すなわち「知恵が湧いてでる」の意味

 

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秋山兄弟

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