「学部・大学院」の中のフランス研究学科からここへ来た人への説明
−このページは、ヴァーチャル講義「社会思想史」の論述小テストの第1回目です。フランスは昔から同化主義で悪名が高く、フランス語は世界で一番いいことばだとして、ドイツ語系のアルザス人をいじめました。それだけでなく、あたかもアルザスの土着のことばがフランス語であるかのようなインチキ小説を、ある作家が書きました。ここでは、それのインチキを見抜けるかをテストしています。
論述1(10月31日実施)
問題 「たとえ民族が奴隷の身にされようとも、自分の国のことばを守ってさえいれば、牢屋のカギを握っているようなものです。」
『最後の授業』に登場するアメル先生の名セリフだが、実は彼がこれを言うことは、立場上おかしく、一種のペテンでさえある。なぜかを論じなさい。
採点基準
1.アルザスのことばはドイツ語系
2.アメル先生はフランスの人
3.つまりはフランス語の押しつけをしていた
4.ミストラルに関して:南仏プロヴァンスのことばを守る闘士で、プロヴァンス語を守るためにあのセリフを言ったこと
5.ドーデに関して:自分も南仏出身。同郷のよしみでチャッカリとミストラルのセリフだけは真似をした。ただし意味を完全に逆にすり替えた。ミストラルでは「敵=標準仏語、味方=プロヴァンス語」のハズだったが、ドーデは「敵=ドイツ語、味方=標準仏語」にしてしまったから。つまりドーデは、パリにゴマをするために、パリのことばの立場を敵から味方へと180度変えてしまった。これは許せないインチキだ。
ところがアルザスの実状は実はこれと逆で、ドイツ語=自分のことば、敵=標準仏語である。これらすべてはドーデの、権力にすり寄って有名人になりたという虚栄心から起こったこと。
故郷を裏切り名セリフを台なしにしてしまったこと、アルザスの現状を意図的に歪めたこと、こうした一切合切がペテンなのだ。
1〜3:各1点、計3点
4、5:多少高度なので、どちらにも2点与える。両方出来たら4点
模範解答(これらを読めば、僕のは不要でしょう)
1 経済学部2年
この言葉はもともと南仏のミストラルが母語である南の仏語を北の仏語(パリの言葉)から守るために使ったものである。『最後の授業』の作者であるドーデ自身も南フランス出身であるが、彼は北の仏語を守る意味でこのセリフを使った。これは田舎(南仏)出身の人が都会(北フランス=パリ)に出たことで急に田舎を否定したということになる。つまりドーデは、ミストラルが北仏の言語を批判したそのセリフで、北仏を正当化しようとしたわけである。また『最後の授業』に登場するアルザスの人たちの自分のことば=母語は独語の方言なのだが、ドーデ(アメル先生)はその母語を仏語にすり替えた。
2 経営学部4年
アルザス人はドイツ系のことばをしゃべっていたが、フランス領になったためにフランス語を話すよう強要されていた。なぜならば、フランスはパトワ(方言)より標準フランス語の方が理性的だなどと、標準フランス語は高貴であるとするイメージを植えつけてパトワをなくそうとしていたからだ。
アメル先生は、そのためにフランス政府から派遣されたフランス語の先生で、アルザス弁(ドイツ系のことば)を話すアルザス人にとっては、奴隷の身にさらしているのはアメル先生なのに、そういうことを言うとはおかしいということ。
あと、このセリフはミストラルのものをドーデが引用したもので、ミストラルはパトワであった南フランスのことばが迫害され、フランス語を強要された時に言ったのである。だから、「民族」というのは南フランス語をしゃべる人、奴隷の身にさらそうとしている人はフランス語ををしゃべる人、つまりフランス語は敵だという意味で書いている。それなのにドーデは、ドイツ語をしゃべる人が敵で、フランス語をしゃべる人が良いという風に解釈している。このままいくと、アルザス人も敵となってしまうのでおかしい。
3 経済学部5年生
「名ゼリフ」はパクリの上に、本来のニュアンスとは違うから。
この名ゼリフを言った人は仏南部の人で、「南部方言を肯定する」意味で言っている。
が、ドーデが『最後の授業』で使ったパクリのセリフは、逆に仏語を肯定している。ドーデがペテンの理由は、ドーデが仏南部出身だからだ。ドーデはパリに上京し、自分の出身地とその方言を否定した。そして仏共通語を肯定した。いわば、田舎出身の自称江戸っ子と同じことになる。よってペテン。
<4点答案>
1 経済学部1年
ドーデの『最後の授業』の話に出てくる名ゼリフは、実はかつて違う人が仏に奴隷にされた時に使った言葉であったのに、ドーデはそれをまったく反対の意味し、悪用した。
本当は仏に奴隷された人が「たとえ民族が仏の奴隷にされようとも自国の言葉を守っている限り、牢獄のカギを握っているようなもの」と言ったものを、ドーデが「たとえ民族が奴隷にされようともフランス語を守っている限り、牢獄のカギを握っているようなものだ」と内容を変えた。
ドーデは自分を守るために故郷を裏切ったのに、上のような名ゼリフを悪用し、言うことはできない立場である。
<望まれる点>
アルザスに関する上の1〜3の事情の説明。ミストラルについてももう少し詳しく。
2 経済学部1年
ドーデはアメル先生に、自分の国の言葉を守っていればいいと、一見いいことを言わせているような気がするが、ドーデが政治的に権力者の言語を押しつけるために『最後の授業』を書いていたわけであるから、彼がアメル先生に言わせたことは、ドーデが本当に思ったことではないことになる。そして彼は、出世のために、この『最後の授業』という作品を使っている。アルザスの人たちは本当はドイツ語を話すのに、フランス語を守れなんて押しつけているのはまちがっていると思う。彼は、アルザスのことを利用しただけであって、真実ではないことばかりを言ううそつき人間だと思う。
<望まれる点>
アルザスに関する上の1と2の事情の説明。ミストラルについて。ただし最後の「うそつき人間」が僕は大いに気に入ったのでこれに1点加点!
★平均点などは、1〜3をまとめてあります。そちらを見ること。