===無批判なもの===

◆新宿三丁目日記

2001/08/09 最後の校正

 今日、1年半もズルズル作っていた単行本シリーズの最後の校正を送りました。しんどいとかブツブツ言いながらやっていたわりには、名残惜しい。これで1年半、いつでもどこでも持ち歩いていた取材先の名刺ファイルとサヨナラできる。感慨深し。

ところで、「最後の授業」って知っていますか? 私たちの世代では国語の教科書でおなじみの、確かドーデーだか誰かの短編です。フランスとドイツの国境にあるアルザス・ロレーヌ地方が舞台で、いままでフランス語圏だったある町が、明日からドイツ領になり、今日がフランス語で行われる最後の授業であるという話です。これの続編で「新しい先生」というのがあり、( → 興味のある方、「学長」が持っていますからどうぞ!)教科書には載っていなかったのですが国語の授業で先生が読んでくれました。その「新しい先生」っていうのがすっごく怖いドイツ人の先生で、生徒をバシバシ叩いちゃうんです。あまりに印象に残ったので、私と友達の前田絹代ちゃんは、「新しい先生」というパロディ小説を作りました。「最後の授業」ではフランス人の先生が黒板に頭を押し当てた場面で終わるのですが、私と絹代ちゃんのお話では、この時、先生の頭の当てた所からヒビが割れ、学校は全壊。登場人物全員が死亡します。いい人は天国へ。悪い人は地獄へ。もちろん、主人公は地獄へ行き、「新しい先生」えんま・だいおう先生にシゴかれるという内容です。なんと、この連載は私と絹代ちゃんが交互にノートに書き綴るという形式でノート3冊ぶんほど続きました。ああ、若いって素晴らしい。小学校5年か6年のときの話だったと思うな。しかし、そこは小学生。松田聖子とか田原俊彦とか出てくるヘンなお話でしたよ。で、問題の「最後の授業」なんですけど、ある理由から教科書には採用されなくなったそうです。そのある理由っていうのがわからない。gooで調べたんだけど、キャッシュが残ってなくて詳しいことがわかんなかったんです。知っている人は教えてください。あと、自分たちが書いた「新しい先生」をもう一度読みたいな。高校生くらいのとき、絹代ちゃんに全部返してしまったのです。もしまだ持ってたらコピーさせてね、絹代ちゃん。


◆goo掲示板 チャット

 私はこの話を聞いたとき、ドーデーの小説「最後の授業」を思い出した。1870年の普仏戦争でフランスがプロシアに敗れ、アルザス地方がドイツ領になり 「明日からドイツ語での授業が始まります。今日が最後のフランス語での授業です」で始まるあの小説を。舞台、内容は違っても子ども達にとってはその教師との出会いは最後であることは共通している。


◆御記帳処〜あなたのカキコを数えましょう

 私が大学1年のときのフランス語の先生が「ヴァセルマン」という女性で、スペルがWassermannでした。めっちゃドイツっぽい!と思っていたら、アルザスかロレーヌの出身でした。あそこはもうフランスじゃないですよね、1回行きましたけど、方言とか全然ドイツ語ですよね(あまりにも面白かったので方言会話集みたいな本を買ってきました)。
 でも、その先生もフランス語風に「ワセルモ〜ン」(注:「ル」はフランス語風にノドを震わせ、「モ〜ン」はもちろん鼻母音)とは読ませないんですね。だめだねえ、『最後の授業』(byドーデー)でアメル先生が「フランス語は世界一美しい言語です」とか言って、黒板いっぱいに「フランス万歳」と書いて退席したというのに、教えを守ってないですねえ。


◆?

(無題) 投稿者:五大力  投稿日:10月13日(土)22時44分04秒

 アクアラインによって、東京湾湾岸都市はひとつのサークルゲームを始めるようになった。東京、川崎、横浜、千葉という大都市群と同じ輪っかの中に居て木更津は何をする?何をしてもいいが、真似だけはしてはいけないのである。独自性がなければ、大都市の巨大な機構の中に包み込まれてしまうだけである。
 アルフォンス・ドーデーの月曜物語に「最後の授業」という話がある。フランスのアルザス地方にナチスが乗り込んできて小学校でフランス語の授業ができなくなってしまう話である。その最後の授業でアメル先生は、集まった村人と生徒たちの前で、ある民族が奴隷の境涯に落ちたとき、自分たちの言葉を持っているのは牢獄のカギを握っているのと同じだと、人々に説く。名言である。私は、言葉でなくともその地方独自の文化、風土を大切に守っていくことは自由への最後の武器となると思うのである。私が私であること、木更津市が木更津市であること、あなたがあなたであること、要は独自性である。木更津市の今日のテイタラクは独自性を軽んじてきたからである。無教養で非論理的な紳士淑女たちに政治を任せたら、そのしっぺ返しは大きい。


===批判的===

◆「裏」私的 児童文学作家事典〔海外編〕

ドーデー,アルフォンス 「最後の授業」
 教科書に載っていた定番の感動もの。どちら側とも言いにくいこの地域に関して偏った見方をさせるものでは?

◆ヨーロッパ史

……
ドイツの統一は、ヴィルヘルム1世、ビスマルク、「大砲王」アルフレート・クルップの三人によって成功したと言ってもいいでしょう。
ドイツ建国までにビスマルクが関係した大きな戦争は
@デンマーク戦争(1864)
Aプロイセン・オーストリア戦争(1866)
Bプロイセン・フランス戦争(1870)
の三つです。
@は、国内の危機意識をあおるため、無理矢理起こした戦争。オーストリアを誘ったのは、戦力分析をするため。
A小ドイツ主義を実現するための戦争。ただし、フランスとの戦いに備えて領土は要求しなかった。
B統一を妨害するナポレオン3世を叩くための戦争。「エムス電報事件」できっかけをつくる。フランスはプロイセンにアルザス・ロレーヌを割譲。
そのことを題材にしたのが、以前小学校の国語の教科書にも載っていたドーデー作「最後の授業」です。(舞さん、あるいは舞さんの保護者の方もご存じでは?)

でもあの話は、作者がたまたまフランス人だったので、あのような話になっただけのこと。住んでる人はドイツ語でもフランス語でも話せるので、どちらでもいい。中には「ドイツ語の授業がイイ」という人もいたはず。「明日からドイツ語の授業する」と私たちが言われたら困りますよね。……


◆ミュンヘンでの生活(著者は?)

5月第2週(5月7日〜5月13日)

11時半前
遠くにSalzburgの旧市街を眺めて,なるほどこれは同僚のヨーロッパ人達が薦めるだけのことはある美しい街だと思った。近いんだし一度は来てみたいものである。なおSalzburgは「二押し」で,一押しはチェコのプラハとのことだ。ヒットラーがズデーテン地方の割譲を強要し当時のチェコスロバキア政府を恫喝した時の文句に,あの美しいプラハの街が失われるのは残念なことである,とかいうのがあったと思うが,それだけの説得力があるということらしい。遠くにSalzburg旧市街が見えるのは川を渡っている一瞬で,ほどなく駅に到着した。この街はそもそもが国境のすぐ脇にあるのである。

中学か高校かの英語の教科書の文章はサウンドオブミュージックを描いたものだった。この話の最初の部分でオーストリアは第三帝国のドイツに併合され,SalzburgではラジオがAustria, God bless youと言いました,なんて文章があったのを思い出す。これだけ国境のすぐ脇だったら武力占領だろうと平和占領だろうとあっという間だ。

それはともかく当時も思っていたが,オーストリア人はドイツ語なんだからGod bless youとは言わんじゃろ。なんかそれに相当する文句をドイツ語で言ったに違いないのである。しかしながらそれがどういうドイツ語であるべきか私にはわからない。

同じようなのに小学校の時に受けた模試の国語にドーデーの最後の授業が取り上げられていたのがあって,これは普仏戦争後にフランス領からドイツ領になったアルザス・ロレーヌ地方(というかエルザス・ロートリンゲンElsass-Lothringen)の様子を描いた有名な作品だけれども,その設問に,先生の気持ちが最もよく表われている8文字の文を書きなさい,とかなんとかいうのがあった。これは正解は「フランスばんざい」という,あの,先生が黒板に無言で書いて,今日はこれでお終いです,とだけ言うあの文句を書けば良かったのだけど,国語(日本語)の問題だからそうでいいんだろうがいくらなんでもフランス語じゃ8文字じゃないんだろうなあと思ったものである。いいんだけどなんか奇妙な気分だ。これは(間違えているかもしれないが)後に原文ではVive la Franceと言うのだと聞いたけど,やっぱり8文字じゃないよな。

あとこれなんだけど,私だってこれを最初に読んだ時から一貫して(岩波文庫に入っているはずで買って読んだぞ),アルザス・ロレーヌは明日からエルザス・ロートリンゲンになって(これはちょっと嘘でこの地方のドイツ語名を知ったのはここ数年のことである),主人公の言うように明日からは鳩もドイツ語で鳴くに違いない(未だにドイツ語でどう鳴くのか知らない),戦争に負けて言葉が失われるのは悲しいことだ,と思っていたが,これはそうなのかなあ。この地方に行っていないので断定はできんが,どう考えてもこの地方の人達はこの数百年以上一貫してドイツ語もフランス語も両方使って来たと思うぞ。どっちが公式かの違いはあってもだからってあれほど悲劇的な感情を抱いたとも思えんのだが。近頃EUで調査した住民がどれだけの言語を話せるかという調査結果ではたしかベルギーがトップで,住民の95 %以上が2か国語以上を話すというのだった。フランス語とオランダ語のそれぞれ方言を彼らはそれぞれがどちらかを母語とはしながらも結局両方話すのである。一般的にはドイツ語を話すフランス人や,それよりも多いような気がするがフランス語を話すドイツ人は割合としては低いだろうけど,アルザス・ロレーヌ地方に関して言えばほぼ全員が両方話すんじゃないだろうか,多分。それだったらあんなふうに思うかな。そういえばたしかあの主人公の少年だって,明日からはプロシャ(プロイセン)人の先生がやって来るとは言っていたがだから話がわからないとは言っていなかったんじゃないか。もし戦後の日本が,占領下だからといって日本人の先生が全部首になって先生が全部アメリカ人になってしまっていたとしたら悲しいも悲しくないも話がさっぱりわからないんだからそもそも授業が成立しないよな。少年は一応悲しがってはいたようだけど,プロシャの先生だから授業がわからないだろうとは言っていないのである。あの小説はフランス人の愛国心を高める意図があったというような解説を見かけたことがあり,フランス語しか縁の無い大多数のフランス人はフランス語からドイツ語になるなんてとんでもないと思っただろうが当のアルザス・ロレーヌ地域の住民がどのくらいとんでもないと思ったかについては少々疑問を感ずる。

なお件のEU調査によるとベネルクス三国や北欧が他言語を得意にしている一方,最低の部類に属していたのが,数カ月前にドイツとフランスの大使が連名で,EU内相互理解のために他言語を勉強するように希望する,と発言したのに対し逆切れしたイギリスだった。曰く,勉強しようとしてもヨーロッパ(大陸)のどこに行ってもみんな英語を話してくれるから勉強する意味がない,やらなんやら。全く許し難いやつらである。


◆99.06.20  フランス語、日本語、関西語 (オススメ!)

言語をめぐる世界の話題
  ――最近の新聞から――

   ここ一ヶ月あまりの間、朝日新聞で言語がらみの記事がよう目につきました。「関西語」あるいは「日本語」というものについて考える上で、このような記事は何か示唆するものがあるような気がします。

【意義深い土着語の育成】(9月10日「eメール時評」:一橋大助教授・イ・ヨンスクさん)
 東ティモールでは1976年のインドネシアによる併合以来インドネシア語による教育が行われてたけど、独立後はかつての植民地時代の宗主国のことばであるポルトガル語を公用語にするそうです。「なんでやろ?」と思いましたが、ポルトガル語を使うのは10年間だけで、その後は東ティモールの共通語であるテトゥン語を公用語にするらしいです。   東ティモールの人々にとってはポルトガル語もインドネシア語も外国語であるだけに、土着のことばが育成されるのは、とても意義深い。
と、イ・ヨンスクさんは書いてはります。


【哀惜・東京語】(9月28日夕刊「時のかたち」、作家・森まゆみさん)
 本来の東京語では、「いらっしゃいませ」とか「ようこそお越し下さいました」とは言わんと、「いらっしゃいまし」「ようこそおいで下さいました」と言うのやそうです。
 東京の人は「自分たちは“標準語”をしゃべっている」と思うてる人が多いように見えます。そんな中で、“標準語”とは別に、「東京語」……江戸っ子の「母語」とでも言うべきものでしょうか……というものを考えてる人もあるんですね。

【「言語」と「国家」の緊張】(10月14日「同時代インタビュー」 → 『資料集』に収録!
   「日本語=親日」には違和感:丸川哲史氏(評論家)
   「最後の授業」に潜む政治性:宇京頼三氏(三重大学教授)

   地上でいま話されている言語は約五千といわれる。独立国家の数は約二百だから、多言語国家がふつうということになる。(中略) 多様であることと国家的統合の間には緊張が生じがちだ。(中略) この難題をどう解くか。かつて日本語が支配言語であった台湾のケースを評論家の丸川哲史氏に、またフランスとドイツのはざまで苦難の歴史を重ねたアルザスの例を宇京頼三・三重大学教授に聞いた。  
というのがインタビューの趣旨です。

 「最後の授業」というのは日本でもよう知られてるドーデーの小説ですね。普仏戦争に負けた結果、フランスからドイツに割譲されることになったアルザス地方のある学校でのフランス語による最後の授業が小説の舞台です。これは母語を奪われる悲しい物語……と受け取られてたんですが、実はアルザス人の母語はドイツ語の方言であり、フランス語こそがパリから強制された言語やったという批判が言語学者の田中克彦氏らによってなされた、というのですからややこしい話です。


【ベルギー「言語戦争」天下分け目の地方選 「飛び地」のフロン地区】 → 『資料集』に収録!

(10月5日「世界発2000」)
 ベルギーはオランダ語圏とフランス語圏に分かれてて、フロン地区というのは仏語を使う住民が多いけどオランダ語圏の飛び地になってるそうです。今まで首長の座を握り続けてきた仏語勢が、今度は外国人の参政権が認められたこともあって、オランダ人の票の行方を警戒してるという話です。
 ベルギーの言語問題の歴史については、こんな説明が書かれてます。    1830年にオランダから独立して以来、上流階級が使う仏語が事実上の国語となった。しかし、19世紀末からオランダ語の地位向上を求める社会運動が北部で広がり、1932年に使用言語を南北で分ける言語法が成立、63年には地区単位で色分けした言語境界線が確定した。  


 ベルギーはオランダ語圏、フランス語圏の他にドイツ語圏もあって、言語的に非常にややこしいですが、それでも一つの国を保ってるんですね。


【他言語接触のなかで考察 日本語と近代化】(10月22日読書欄「知りたい読みたい」)

   日本語をめぐる議論が活発だ。とりわけ、日本語の近代化、ナショナリズムとの関連を省察する本が相次ぎ出版されているのが目立つ。他言語と接触する機会が格段に増えたことや、「英語第二公用語化」論が出る時代状況なども背景にあるようだ。  
ということで、本がいっぱい紹介されてます。

  小森陽一、ニホン語に出会う 小森陽一著 大修館書店
日本語の近代 小森陽一著 岩波書店
「国語」という思想 イ・ヨンスク著 岩波書店
死産される日本語・日本人 酒井直樹著 新曜社
帝国日本の言語編制 安田敏朗著 世織書房
言語帝国主義とは何か 三浦信孝・糟谷啓介編 藤原書店
クレオール語と日本語 田中克彦著 岩波書店
日本語で生きるとは 片岡義男著 筑摩書房
日本語の外へ 片岡義男著 筑摩書房


 私はどれも読んだことがありません(^^;)。ひとつぐらい読んでみようかな。


【かっ歩する「インド英語」支配】(10月23日「小田実のアジア紀行」)
 インドで英語が不自由のうできる人の数は、多うて5%と言われているそうです。それでも総人口10億のインドは、5000万人の英語人口を有するという、大「英語国」です。
そして、昔は訛(なま)りのある「インド英語」はローカルな存在やったけど、今や訛(なま)りがあろうがなかろうが「インド英語」はインド国内はおろか世界を闊歩(かっぽ)しているように見える、と小田さんは言うてはります。

   「これはかたちをかえての西欧帝国主義の再来じゃないかね」。私は友人に冗談口をたたいた。友人も「左翼」の経済学者だが、彼は生真面目(きまじめ)な顔で「かたちをかえてじゃない。そのものだ」と言った。  


 インドは別の面から見たら、文字の読めへん人が6割、6億人もいてるという大「非英語国」でもあるわけです。そして「英語国」インドが「非英語国」インドを統治、支配してインドの現実をつくり出してきたというのです。


【満州語 生きていた】(10月24日夕刊)

   中国・清朝の支配民族だった満州族の言語で、約九十年前まで公用語だった満州語は、現在ではほとんど「死語」と化したと中国内外で言われている。実際は中国北西部の少数民族の間でいまも日常語として使われている事実はあまり知られておらず、この少数民族出身の京都大の留学生らが「満州語が生きていることを国際社会にアピールしたい」と、満州語の文法書を日本で出版することになった。  


 なんか、世界史の教科書がいきなり現代につながった、という感じですね。中国東北部の満州族の間で満州語を話すのは数十人しかいてへんそうですが、西域の新彊ウイグル自治区には2万7千人の満州族の支族シボ族が住んでて、満州語を守ってるんやそうです。日常会話はもちろん、新聞、雑誌、ラジオでも使われてるそうですから、死語どころやありません。
 まあ、考えてみたら当り前の話かも知れませんが、言語の世界にも有為転変、栄枯盛衰があるんですねえ。「関西語」もそのうち「標準語」とやらに飲み込まれてしまわんとも限りません。


◆?

7.「わたくしことば」と学校の文化をつなぐ

 小学校の教材にドーデーという作家の『月曜物語』にある「最後の授業」がよく使われていたと思います。ところが使われなくなった教材もあるのです。例えば、詩人の茨木のり子の、暮らしの言葉を「美しい言葉」として書き取った文章に、たまたま身体部位の隠語が方言で出てくるものがあります。そして隠語が方言で出てくるという理由で、その教材が抹殺されるという事態になっています。そうした理由で文部省はその教材を抹殺するのです。あるいは、高史明さんという在日朝鮮人作家が、ふたつの言葉を生きる思いを書いた文章があり、筑摩の教科書に載るか載らないかという文部省と編集者のせめぎあいがあります。

  ドーデーの「最後の授業」は逆の理由です。この教材は、国語愛、祖国愛を教えるものだと言われ、長年教科書に採られてきました。ドーデーは、なぜか日本ではすぐれた作家だと喧伝され、その作品もすばらしい教材と評価されトいます。ところがこの教材が消えてしまうのです。わたしが存じあげている府川源一郎さんが、一九七四年度にその授業をされた記録がありますので、その時の子どもが出した疑問を端折ってお話します。

 フランス語を教えるアメル先生が派遣されて、そこに遅刻の多い・勉強の嫌いな子がおりまして、いよいよドイツ軍が攻めて来る。今日は最後の授業なのでアメル先生は黒板いっぱいにフランス万歳と書いて去っていく感動的場面を読んだ子どもたちが、府川先生に、なぜアメル先生は「アルザス万歳」といわなかったのか、ドーデーはなぜそのように書かなかったのかという質問を投げかけました。 そして、その子どもの質問は、そのまま府川さん自身の課題として残されたのです。

 それから二十年間、府川さんは子どもの問いかけに対する答えを探し続け、その追究の成果を『消えた最後の授業、言語・国家・教育』の本にまとめあげられました。 その持続力を以て二十年間やってこられた研究のあととは、実は今日の言語学研究の最高水準であると私が考える田中克彦さんの研究に出合ったことによるのです。

 田中さんは『ことばと国家』の本の中で、ドーデーの「最後の授業」について、追究しています。アルザスはドイツ軍がフランス軍を追い出せばドイツ語の世界になり、フランス軍が優勢になれば、またフランス語の世界になる。いわば大国の間に挟まって絶えずアルザス語が弾圧されてきた歴史があるということです。

 フランス人はフランス語に誇りをもっているといわれます。有名な台詞「フランスの母親は、娘を結婚させるときに何も持たせられなくても、フランス語という宝を持たせられる」といいますが、とんでもない事です。フランス語は身近にある他の民族の言語を弾圧して、フランス語だけがわが国の言葉だと、国語政策でいい続けています。同じ間違いを私たちは「国語」という言葉を使うことによって、アイヌ語を消し去り、琉球語をできるだけ忘れて、標準語にならいなさいといってきたのです。そして、琉球語を使えば、「罰札」をかぶせて、次に琉球語を使う子をみつけないとその札をはずせないということを教育の場でやってきたのです。そして、ついには朝鮮語を朝鮮民族から奪い去ってしまったのです。

 私たちはまず母親の胎内から生まれ、母親に育てられ母親の言葉をまず学びます。それを「母語=ははなることば」と呼んでいます。ところが学校にやって来ると、いつのまにか日本語のことを母国語と教えられます。そして、「母」が飛んでしまって国語になるのです。「国語」という言葉に疑問をもちませんか。私は、自分のことをいつも「国語の教師」といわずに「日本語の教員」と紹介し続けています。だから外国語といういい方が不自然でないのです。 外つ国の言葉。でも、日本の中で使われているのは日本の言葉だけかという問題になるのです。ところが母語という言葉を失って、母国語なり国語といい続けることによって、日本は純血で大和民族だけだというようなことをのうのうと外国まで出ていき宣伝をする中曽根発言を許してきたのではないかと思います。彼自身にも問題があるが、彼を支える我々の意識がそこを突破できていないのです。

 では、国家をもたなければ言葉はないのかという意味で、アイヌ語はどうなるのか、琉球言葉はどうなるのでしょうか。暮らしの言葉を軽視していくところに標準語が成立し、いつのまにか「国語」という名をかぶせられて、まかりとおっています。このことによって結局、子どもたちの「わたくしことば」もかき消され、話し言葉がかき消され、とうとう子どもたちの声が失われていく状況が、学校の中に生まれていくのではないかということです。

 日常的には「教えるーー教えられる」関係の中で、一定の権力関係を持ちながら私たちは学校の価値観を子どもたちに押しつけています。しかし、声にならない、言葉にならない声を聞きとる感性を教師が持ち続けることによって、最高の文化の先端に影響をあたえ、逆にそこに照らされて、子どもたちを学びの世界に導き、学ぶきっかけや学ぶ瞬間を用意できるかもしれないと考えのです。

 アメル先生に根源的な疑問をだした子どもの発語・疑問が、もっとも先端の思想・文化を書き替えさせ、改めさせ、発展させる力になっているということです。そうみるならば、すばらしい仕事をさせてもらえる教員の仕事に確信ももてるし、教育の営みもまんざら捨てたものではありません。

 そのような文化の担い手を育てるということは、すでにでき上がった一つの型にはまったものとしてとらえるのではなくて、子どもの疑問や発語から出発して文化の先端におよんでいくことから逆に光をあてた、自分の教材を見る目を磨きます。そして、子どもたちの発語に耳を傾けていくという出会いと個別的な対面は、一斉授業の中でも可能だと私は思います。今日の学校教育とその状況のもとにおいても、できるならば一斉授業を極力抑え、個別の子どもとの対面を可能にする、その可能性は、学校教育の中に残されていると思います。 そういう意味で、私は学校否定論の立場に立つものではありません。がちがちになっている学校の中で、どうしたらそうした営みを少しでも回復し、緩やかな場面を作り出していくことができるかを、皆さんとともに追求していきたいと思っています。


◆german travel report

 ドイツのために一言説明するなら、フランスのアルサス・ロレーヌ地方はもともとドイツ語が使われドイツ文化が豊かな所でありました。

 その証拠にはシュバイツァーが子供の頃アフリカに行って黒人を助けようと決心したコルマール(ドイツ語ではコルマー)の町には、アメリカの自由の女神を彫刻したバルトルディがこの町の出身者のためバルトルディ博物館があります(シュバイツァーは子供の頃、バルトルディの作ったフランスの将軍の凱旋記念の彫刻の足元のある支配されて嘆き悲しむ黒人像を見て、アフリカ行きを決心したといいます)。

 その博物館の2階に上がるとバルトルディ自身の選択において最後まで残った自由の女神の2つのモデルも陳列されていますが、その博物館の1階は古いアルサス地方の歴史や文化を説明する郷土資料館になっていて、昔のアルサス地方の言葉はドイツ語であったことが展示で説明されています。

 日本の小学校の教科書にはフランスのドーデーの「最後の授業」という話が載ってあり、プロシャが攻めてきて明日からフランス語が使われなくなる子供たちの悲しみが書かれてありますが、それはそれで正しいのですが歴史をさかのぼると逆のことをフランスがしたのです。

 ドイツ系の住民を追い出したのはフランスの王様です。

 私が盛岡に来てしばらくドイツ語を習ったのはアメリカ人の牧師さんでシュレーヤ博士でした。シュレーヤ先生はもう亡くなりましたが、奥様はまだ元気で地元の大学で教えています。

 二人とも50年以上も盛岡の教会で布教の仕事をしたり英会話教授をしてきましたが、先祖はドイツ人で曾祖父の時代にアルサスからフランスの侵略に耐えかねてアメリカに移住したといいます。


◆批判の元祖?
批判的主体の形成

 アルザスでタクシーに乗った時の経験から、ドーデーの『最後の授業』が、まっかな嘘の小説である、ということを証明する。後にそのことをいう人がでてくるが、はじめて本書の「人間の自由と解放」で読んだときの驚きは忘れられない。
 イエスを生んだ、ガリラヤの辺境性はイスラエルの伝統に対する抵抗の場所としてある、という「イエスの辺境性」。 

 田川氏個人についいては全く存じ上げないのだが、本書のあとがきに「国際基督教大学を首になっ」たとあり、全共闘の運動が歴史の1ページみたいになった時点で読み、ICUにとってもったいなかったなあ、という感想を持ったことを覚えている。 


====国民国家===

◆北海道教育大岩見沢校授業(かなり本格的)