2章 主食


<華北>
雑穀
古代華北の主食は、アワ、キビ、オオムギなどの雑穀であった。アワとキビが良質の穀物であり、粒状で食べられた。アワの栽培は黄河流域では約8000年前に始まった。古くは釜に似た「甑(こしき)」と呼ばれるもので蒸して食べた。後の時代では鍋を用いて料理したが、蒸すのではなく水に浸して煮るのであった。ここでの方法は「湯取り法」であり、炊く途中でお湯を捨てることにより、アワや米などは粘り気が無くパラパラになる。逆に日本では炊きあがるまで蓋を取らない「炊き干し法」が一般的であり、粘り気が残るのが特徴である。パラパラに炊いたアワなどは、ご飯に混ぜたり、お菓子の素材として使われた。

コムギ
小麦は漢時代(前3〜後3世紀)の126年に、張騫(ちょうけん)が西域から製粉用の石臼と共に伝えた。だがこの時点には、小麦粉は効率的に作れなかった。小麦の栽培は華北の土地に合い、三国時代(3〜5世紀)には小麦の粉食は中原に定着し、以後華北は小麦粉食圏となった。唐時代(7〜10世紀)より少し前、水車を利用した「テンガイ」の発明により小麦粉が安価で大量に出回り、粉物文化が根付いていった。

しかし、中国では小麦粉をパンとして焼かず、生地を蒸すか茹でて調理した。最も代表的な食品は饅頭(マントウ)である。三国時代の軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)の発明とされ、作り方は一晩発酵させた生地を丸めて蒸す。イメージとしては少し黄色味を帯びた蒸しパンである。今日でも華北の庶民的主食であり、栄養価が高く食べやすい。また、饅頭に具を入れると包子(パオズ)あるいは単に包(パオ)と呼ばれ、小豆餡(あずきあん)、肉や野菜が入れられた。これが日本の肉まん、餡まんの原形だと言われる。

別の代表的食品は餃子だが、形状が時代によって異なり、各地域で独特のものが存在する。現在の中国の餃子は水餃子であり、年始末や春節に大量に作られ、縁起の良い食べ物として食べられる。残ると翌日に焼餃子にする習慣があるものの、驚くことに、焼いたものは客に勧めないという。

麺条
中国の小麦粉食品で世界の食文化に大きく貢献したものは麺類である。使用される穀物によって麺ごとに区別され、茹でるもの、蒸すもの、炒めるもの、油で揚げるものと様々である。現在の中国では、麺(ミェン)は小麦粉そのものを意味し総称は餅(ビン)、日本では麺条のものを指す。

作り方は、日本のうどんやソバと同じように機械を使わず人の手で作る手打ち方式だが、道具を一切使わずに作る手延べ方式や、小さく丸めた生地に親指を押し込んだ小さい円形の猫耳麺(マオアール) などの特殊技法がある。唐時代(7〜10世紀)子供が生まれると3日目に湯餅(うどん)を食べる宴を開き、子供の長寿を祝ったという。イタリアのパスタも、中国由来説が強い。


米は春秋時代(紀元前8〜紀元前5世紀頃)には贅沢な食品として食べられていた。当時は陸稲(おかぼ)と呼ばれる品種を作っていたが、収穫量は少なかった。歴史が進むにつれ華南の米が知られるようになったが、水田品種の水稲(すいとう)は華北の土地では適さなかった。そのため華南からの輸送に頼り、高価であったため上級層だけが口にできた。品種は熱帯・亜熱帯に適し、粒が長く炊いても粘り気が少ないインディカ米で、雑穀と同様に湯取り法で炊かれた。現在では水稲は華北から東北地方でも栽培されるようになり、北京などの華北の都市では庶民にも広がりを見せている。特に電気炊飯器が普及してから若者層に人気が高い。ちなみに電気炊飯器は炊き込み式である。

トウモロコシ
トウモロコシは明時代(14〜17世紀)後期に新大陸から渡来し、山間の痩せた土地にも適した。清時代(17〜20世紀初)以後、平野から東北地方の広域で栽培され、近代にはアワなど他の雑穀を抜いて稲、小麦に次ぐ重要作物になった。華北では粉にし、「ウォーウォー頭」と呼ばれる大きな饅頭を作る。元々農民の貧しい食べ物であったが、西大后(せいたいこう)がこれを好んだため、清朝時代末期に宮廷料理に取り入れられた。四川省などの山間地方では、近代に至るまでは主食であったが、1980年代、政府の経済開放政策以降、人々は小麦を食べるようになり、トウモロコシは家畜の餌になった。

<華南>
ずっと米
主食は変化することなく米であった。品種は温帯に適し、粒が小さく炊くと粘りがあるジャポニカ米であったが、のちにインディカ米がベトナムから渡来した。雲南地方や揚子江上流の山岳地帯では、今もジャポニカ米を食べる民族、毎日餅米を食べる土地もある。

小麦粉食品
華北との交流が盛んになり、特に宋朝(10〜13世紀)が12世紀初め杭州に遷都してから河北の食文化が江南に広がり、華南でも小麦の粉食が始まった。しかし、主食となることがなく手の込んだ多様なお菓子として楽しまれた。こうして、中国茶を飲みながら食事をする飲茶(ヤムチャ)の風習が生まれた。

麺条は江南でも好まれ、この技術を米粉に応用したのがビーフンであり、江南から台湾の特産物である。作り方は、生地をトコロテンのように押し出しそれを風乾燥させる。日本では麺の太さが決まっているが、中国では麺の太さが多様である。華北との交流で中原の文化を支えたが、華南の料理、食法も華北の食文化に影響を与え続けた。 (西 村)

キビ 2-1
 
アワ 2-2
 
ジャポニカ米 2-3
 
インディカ米 2-4