ギリシア 1日3食 紀元前9世紀頃の古代ギリシア人は、普通1日3回の質素な食事をした。朝食は、朝日が昇るとすぐに生のワインに浸したパンを食べるというものであった。当時のワインは今とは違い、生での飲用には適さないほどのどろどろした飲み物であった。そのため水や湯で割って飲むのが普通で、朝食での使用法は例外的である。正午前に摂る昼食は軽い食事であり、日没頃の夕食が一日で最も重要とされる食事であった。 横になって食べた この頃のアテネの人々は大勢が集まって食事をすることを好み、たびたび饗宴を催した。客を招いて入浴をさせた後、全員で宴会用の衣服に着替えてから宴を始めるというものであった。客は臥台(クリネー)に横たわり、枕に左手を当てて右手で前の食卓からたべものを取った。 指でつまんで食べた 当時はナイフやフォーク、ナプキンといった現代の食卓で使われるようなものは一般的でなく、指で食物を口に運び、汚れた指はパン片でぬぐった。スープなどはスプーンを用い、一部では固いパンをくぼめた匙パンを用いることもあった。 |
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食べるのと飲むのは分けた アテネ人の饗宴は二部に分かれ、第一部は食事で、第二部はワインが主体の酒宴であった。第一部が終わり皆が手を洗うと、酒宴が始まった。ここではもっぱら飲みながら語り合い、議論する集いであるため、ギリシア人は飲みながら食べたり、食べながら飲むことはしなかった。酒宴にだけ参加する客もあり、語り合う内容がよければ酒宴は成功であった。音楽や舞踊などの余興もあった。飲み物はワインで、それも水で割って飲んだ。ビールは下等な飲み物とみなされた。 魚は最初軽蔑されたが、後に好物になった ギリシア人は粗食であり、一般の人々の主食はマーザと呼ばれる大麦粉の粥を固めたものを、少量の魚とオリーブの実やイチジクなどとともに食べた。ギリシア人の祖先は中央アジアから来た狩猟民族で、初期には魚は軽蔑されたが、のちにはギリシア人の好物となった。特にウナギが最高級のご馳走であったが高価であった。 肉では牛肉、羊肉、山羊肉が普通の食肉で、ブタも飼育され豚肉は好まれた。肉料理は主に焙って塩を振って食べたが、血を忌む思想があり、いったん茄でてから焼いた。これにチーズ、野菜、パンとワインが上流階級の日常の食事であった。パンはいろいろな穀物の粉を用いて作り、香りや味をつけた多種類のパンがあった。ギリシアではエジプト人の影響でパン作りが発達した。 |
http://en.wikipedia.org/wiki/ Ancient_Greek_cuisine |
ローマ 飲みながら食べた ローマではギリシアにおけるような食事と酒宴の区別はなく、人々は飲みながら食べた。古代ローマ初期の人々の食事は質素であったが、後にはギリシアを凌ぐ贅沢な食文化を生みだした。宴会は、上流の者たちが見栄を競い、富を顕示する場となった。 3コース制が成立した 饗宴は普通3つのコースから成り、第一のコースは前菜で蜂蜜を入れたワインと卵、オリーブの実、ソーセージなどであった。第二のコースは魚、鳥肉、獣肉を主とした料理で、第三のコースはデザートとしてリンゴ、ザクロ、アーモンド、ナツメヤシなどの果物のほか、麦粉で作った甘い菓子が出された。3コースより成るスタイルは以後のヨーロッパの饗宴の原形をなしている。 食べるために吐いた ローマでも、客はベッドのようなものの上で肘枕をして横になり、右手の指で食べものをつまんだ。汚れた指はナプキン(マッパ)で拭いた。食卓のご馳走を一通り食べ終わると、ご馳走を載せた別の食卓が運び込まれた。極端なのは、多くのローマ人は、満腹すると鳥の羽根で喉をくすぐってわざと吐き、胃を空にしてまた食べたということである。 |
『物語 食の文化』北岡正三郎、2011年、 中公新書、p. 328 |