フーベルト・フィヒテと古典ギリシャ、
あるいは「黒いオイディプスたちが上演される」
(日本独文学学会『ドイツ文学』105号(2000年)所収)

1 「ホモセクシュアル」のホメロス

 おそらくフーベルト・フィヒテの小説ほど自伝的な要素とともに「ホモセクシュアル」をテーマ化したものはない。かれは第二次大戦に遡る個人史をまず68年から74年までの三部作『孤児院』『デトレフのイミテーション、>緑青<』『思春期をめぐる試論』で、さらには86年に死ぬ直前まで書き続けた連作『感受性の物語』でデトレフやイェッキーという分身に繰り返し描いてきた。なかでも65年にヘルマン・ヘッセ賞を受けた『孤児院』や68年のベスト・セラーとなった『パレット』からも明らかなように、かれが戦後ドイツの重要な小説家であること−−ハンス・マイヤーは戦後を代表する四人に数え入れる1)−−はほぼ間違いないだろうが、かような編年体の紹介ではフィヒテが書くことを通じて行なってきたことを捉え損なってしまうし、かれが雑誌記事やラジオ番組(Radiofeature)などに寄稿してきたものもかなりの分量をすでに占めている。
 ただし発表する場がなんであれフィヒテにおいては「ホモセクシュアル」が多かれ少なかれつねに問題となっている。あくまでも「自分について書く意志はない」2)と主張しながら「ホモセクシュアル」と「わたし」は不即不離の関係にあって、かなり早い段階からフィヒテが「ホモセクシュアル」に関心のあったことを窺わせる場面が小説『デトレフのイミテーション、>緑青<』にある。なぜクライストの『O侯爵婦人』を読んではいけないのかを幼いデトレフが母親に尋ねる場面である。かれはやがて長じたのち当の女性主人公を役者として演じたいと望むようになる(Grünspan 242)のだが、デトレフと母親の対話は途中から「レイプ」や「ホモセクシュアル」のことで悶着しはじめる。

− こういうこと[同性が惹かれ合うこと][…]がホモセクシュアルって言うの。パトロクロスは男の娼婦でアキレスと寝たと言われているけどね。/ [...]ホメロスセクシュアル-ホモセクシュアル(Homersexuell)!(Grünspan 136)

ちなみにパトロクロスを殺されたアキレスの憤怒が『イリアス』後半の主題なのだが、かれは「ノーマル」な連中から「ホモセクシュアル」だと侮辱された怒りのため、トロイ側の将ヘクトルの死体−−「踵」に穴を穿って−−を戦車で曳き回す凄惨な復讐までした、というのが85年のエッセイ『パトロクロスとアキレス イリアスへの注釈』でのフィヒテの説である(Patroklos und Achilleus. Anmerkungen zur Ilias HuL2 166)。かれはだがここで「ホモセクシュアル」を決定的な語調で規定してないか。

ホモセクシュアリティとは神々の特権である![…] / かれ[ホメロス]もかれら[男神たち]の特権に与ったのか。/ かれは半神アキレスが愛したように愛したのか。(HuL2 181)

なるほどアキレスは「人間の恋愛作法」(HuL2 154)を超える神のような愛しかたをしたとも書かれているが、おそよ神-父権的なナラティヴを拒むのがフィヒテという作家だったはずだ。たとえば『絞首刑にされた者らの広場』は各々の章が長くなっていくというように、あきらかに『コーラン』とは正反対に書くという意図のもとに構想された小説である。おなじ小説には男色を行なったロトたちを諫める『コーラン』第26章(Platz 174)と「黙示録」の神罰が下る第81章(Platz 207)が点綴されているが、これらを狂言回しに展開されるのはマラケシュにおける主人公の相も変わらぬ「ホモセクシュアル」な行為である。だとすると「神々の特権」と等号で結ばれる「ホモセクシュアリティ」の本質主義的な規定と、あらゆる同一性を回避する「言語の迷宮」(グスタフ・ルネ・ホッケ)のような小説とのあいだに、なにか著しい齟齬のようなものをフィヒテは持ち込んでいると言えないか。
 おそらくはフィヒテの「身体」と「テクスト」にともに染み付いている「ホモセクシュアル」なイメージが問題なのだろう。ただし「ホモセクシュアル作家」という概念自体が問題ではないか。わざわざフィヒテ当人も同様の問題提起を「ホモセクシュアル作家」ヘンリー・ジェイムズをめぐる81年のエッセイで行なっている。

ホモセクシュアル作家、ホモセクシュアル文学について語るための前提は、ホモセクシュアル文学の文体、ヘテロセクシュアルの基準があることだ。[...] / そして: / 生物学者が時節ごとに交替させる生物学主義的な基準を規範化するのが文学批評の課題ではないのか。(Der objektive und der subjektive Autor. Anmerkungen zu Henry James' Washington Square HuL1 457)

なにしろ『男同士の愛 ホモセクシュアリティと文学』をものしたヴォルフガング・ポップでさえ、「ホモセクシュアル」を扱った文学が「ホモセクシュアル文学」だという同語反復的な定義をしたあげく、おまけに自説には異論の余地があるという但し書きを加えているありさまである。なおかつポップは「ホモセクシュアル作家」や「ホモセクシュアル文学」の「規範」についても、なかば問題を回避するように「ホモセクシュアル」はたがいを識別するのに「本棚」を見る、という折衷的な付言をするにとどめている。3)
 ただしフィヒテの挙げた「文学批評の課題」も云わゆるジェンダー・スタディーズによって部分的には解決済である。なかでも「女というカテゴリー」は生物学-存在論の自然な事実ではなく「パフォーマティヴ」に形成されるというのはその代表格だろう。4)だとしたらフィヒテが書くことによって行なった「パフォーマンス」の内実を問うほうが意味があるのでないか。かれほど「ホモセクシュアル作家」という概念に疑義を差し挟みながら、「ホモセクシュアル」を自作自演してきた作家もまたいないからだ。かつて喧伝したイメージから逃れようとする身振りも計算ずくの「パフォーマンス」であろう。かれが「パフォーマンス」として捉える対象は「言語行為」(Petersilie 359)を措いて他にない。かくしてフィヒテが「言語」によってなにをしているかが本論の当面の問題となる。

2 サッフォー受容とオルガスムス

 さきに引いたポップの提言にしたがってフィヒテの「本棚」を瞥見してみれば、かれの「ホモセクシュアル作家」をめぐる「誤読の地図」5)も作製できるはずだ。なかでもフィヒテに「ホモセクシュアル文学」の一大集積地を提供したのは古代ギリシャだった。
 たとえば83年のエッセイ『男性側の愉楽 − 女性への賛美 サッフォー受容とオルガスムス問題への注釈』は、かねてより研究者を悩ませてきた云わゆるサッフォー問題に真正面から取り組んでいる。かれはトロイや「フォン・ヴィラモーヴィッツ氏」やプラーテンの友人ヴェックラーなど、おなじ問題に携わってきた名だたる面々の諸説を列挙するという、お決まりの衒学的な身振りをたっぷりと撒き散らしておいてから、「月はしずみぬ、/ 昴もまた。刻はいま夜半、/ とき、うつろいゆくに / わたしはひとり閨にねむる」(94D.)6)の「とき」を解釈している。これを「警備」とする文献学者たちの解釈を退けて「[セックスの]準備が整ったとき」「[セックスに]都合の良いとき」とするのだ。あるいは「星や月の運行」を「更年期と更年期障害」をめぐる感情に、おそらくは先達のヤーンにあやかってか「昴」を「ホルモンに影響する周期」(Männerlust − Frauenlob. Anmerkungen zur Sapphorezeption und zum Orgasmusproblem HuL2 86)に短絡させる。
 さらにフィヒテが大きく取り上げるのは意中の娘が男と坐しているのを目にした詩人の『恋の衝撃』(2D.)である。かれは当の男性が1行目で「神にもひとし」と賞賛されていることから本作品を祝婚歌とする説を紹介したのち、ただちにサッフォーの「身体と嫉妬の生理的プロセス」の分析へと移行していく。

この詩は冒頭の憎むべき男への賛辞がなければ、失恋の狂乱を描いた究極の記述と見なされるだろう。/ かような賛辞は苦悩のもつエロティックな性格を弱めてしまう、賞賛というものは病跡学を儀礼的なもの、芝居がかったもの(das Theatralische)、象徴的なものに押しやってしまう、と奥手の解釈者たちには思われる。(HuL2 89)

あれだけ「芝居がかった」修辞と構造をもったフィヒテ自身の小説と並べてみたばあい、かれがサッフォーを「レスビアン」に数える身振りはいかにもナイーヴである。おのれが批判したセクシュアリティによる本質化の違反をフィヒテみずから犯してないか。あきらかに『男性側の愉楽 − 女性への賛美』はサッフォーを「レスビアン」に同定することに性急である。ただし当の性急さは「ヘテロセクシュアル」で「もっぱら男性によって男性のために書かれてきた文学史」(HuL2 96)に異議を申し立てるという目論見に由来している。かれはサッフォーの「手足を痺れさせるエロスが、/ わたしをまたしても責めたてる、/ 甘く-苦い(bitter-süß) / あの御しがたい、地を這う獣が ... 」(137D.)を解釈して言っている。

ある官能的な感覚が甘く-苦いのだ、レスビアンの愛の流出物(Erguß)[身体から浸出する体液と同時に作品の意も]の味、[…]あつかましくも男がミルクやクリームのことを語るときでさえ押し黙ったままでいる流出物の味が甘く-苦いのだ。(HuL2 105)

たとえ「レスビアン」として規定するにせよしないにせよ、あの文学史家たちが「10人目の詩神」サッフォーに「女性への賛美」を贈る振る舞いに、なにか「烙印を押したり嘲笑したりする」「男性側の愉楽」(HuL2 105)というセクシズムが潜んでないか。むろんサッフォーの『恋の衝撃』には失恋による狂乱は認められてもセクシュアリティに基づく憶見はない。かような「優しさ」(Zärtlichkeit)−−かれには「感受性」(Empfindlichkeit)とならぶ「セクシュアリティ」の同意語である(HuL2 105)−−という寛容を要求するために、あえてフィヒテはサッフォーを「レスビアン」に同定する確信犯の役を買って出ている。
ただし『男性側の愉楽 − 女性への賛美』で見落としてならないのは、このエッセイが同時に「オルガスムス」の問題を扱っていることだ。なかんずく「女性の自分の身体への権利」(HuL2 105)にかかわる問題である。かれはヴィラモーヴィッツがサッフォーを「竪琴によって愛を感じた唯一の女性」と解釈したのを、こんにちのロック・コンサートで見られるように「ギターを演奏したさいにオルガスムスをえた」(HuL2 98)とする再解釈を試みている。なるほどサッフォーが「レスビアン」の性的な感情を実際に歌ったのだとしても、なぜ楽器を演奏しながら歌うことが唐突に「オルガスムス」をもたらすのか。

3 『わが友ヘロドトス』と『研究報告』

 かつてフィヒテはジュネから「虚偽は二重の真理である」という「嘘吐きのアンティノミー」を引き出していた。

− わたしはだれかと一緒にいると嘘を吐くんだよ。(Der Autor und sein Double. Anmerkungen zu Jean Genet HuL2 310)

だれかが自分は嘘吐きだと主張しても当の発言は額面どおりには受け取れない。かれが嘘として発言したのなら真実を言っていたことになるし、あるいは逆に真実を言ったのなら嘘を吐いていたことになる。かような「アンティノミー」からは「現実とその作用とのあいだの非合同性」(HuL2 310)が生じるのだが、がんらい「フィクション」とは「非合同性」からこそ成立するとフィヒテは断言している。かれの「アンティノミー」による方法を徹底化させたのが76年のエッセイ『人間の新しい学のための異端的な見解』だった。

学問の記述方法の基礎は情報理論によって確定された;[だから学問では]無意識、深層意識、前意識を相手にした目隠し鬼ごっこ(ein Blinde-Kuh-Spiel)が行なわれる。/ 恐怖と憎悪、猫っかぶりと嘘、誇張と控えめな表現、暗示とイロニー、イメージとメタファーは情報理論では生じない − だが人間による情報はたいていこれらが組み合わさったものでしかない。(Petersilie 362)

 たとえばフィヒテはヘロドトスに自分との最大級の親和性を認めて、ギリシャの先駆者に『わが友ヘロドトス』なるラジオ・エッセイを4年後に捧げているが、なによりフィヒテにとって Historien は「歴史」ではなく「研究」「暴くこと」(HuL1 383)の謂いだった。

あけっぴろげな態度ほど安全な隠れ蓑となるものはない。/ わたしたちの暴露家[ヘロドトス]は巧みに覆い隠すことで巧者だけにしか明確には分からない意匠をほどこしているのか。(Mein Freund Herodot HuL1 406)

かくして『わが友ヘロドトス』は『歴史』のテクストのなかのイシスの祭式−−むろんフィヒテにとっては「ホモセクシュアル」のそれだ−−などをめぐる記述から、ヘロドトスが「ホモセクシュアル」だったことを「暴」いてみせる。あの歴史家はエジプトやエチオピアの男たちが「ホモセクシュアル」であることを「暴」きながら、かれ自身の性愛の相手でもある情報提供者への守秘義務からなにを「覆い隠」しているのか、たんなる傍注以上に「ヘロドトスが自分の正体を明かしているのがどこか」(HuL1 395)、こんどはフィヒテが読者として「友人」に個人的な秘密を「カミング・アウト」させる番である。

この作品[『歴史』]が[…]後世の、都市的な、叙情詩的な自我の意味でも、ポエーティッシュな次元を含んでいるとしたら、ヘルダーリンが − 悲劇のために − 要請する悲劇的転回7)[…]はどこに残っているのか、[…]ヘロドトスという詩人が自分の言語作品のどこで自分に向かって>わたし<と言っているのか[…]。(HuL1 395)

おなじような「暴くこと-研究」が不可避的に招いてしまう挫折を、あらためて自己言及的な矛盾として取り込んだのが89年の小説『研究報告』である。かれの分身イェッキーは人類学の講義を準備するために中南米ベリーズでフィールドワークをしている。なかでもイェッキーが調査しているのは当地で出逢ったフランクのシャーマンのような空中浮遊なのだが、かれがこのとき岩にぶつかって「踵」(Fersen)を怪我したことしか突き止められない(Forschungsbericht 84)。ちなみにイェッキーが作品のなかで平行して試みているのもエンペドクレスの「韻文」(Verse)の翻訳である。かくして『研究報告』は「身体」の探求が同時に「テクスト」のそれとメタフォーリッシュに切り結ぶ結果となる。8)なるほど「研究報告」を書くというイェッキー当初の意図は、「かれにとって研究が初めて失敗した」(Forschungsbericht 137)というかぎりで放棄されるのだが、ただし人類学の「研究報告」は「失敗」した瞬間に小説『研究報告』として再構築されることになる。

− わたしは研究報告のなかの虚偽でなにを行っているのか。/ − まさにそれよ。研究報告。小説。[…] / − ヒステミとティヘミ:虚偽を暴くこと。(Forschungsbericht 150)

おそらく『研究報告』と『わが友ヘロドトス』に等しく認められるのは、あのジュネから引き出した「虚偽は二重の真理である」という命題の反復である。
 ただし「虚偽」がまだそれとして「暴」かれる対象であるかぎりは、たんに「二重の真理」をめぐる「目隠し鬼ごっこ」をしているにすぎない。あきらかに『わが友ヘロドトス』もまた『歴史』の作者を「ホモセクシュアル」として「暴」こうとする点で性急であった。

− あなたは[二枚刃の剃刀]ジレットですね(Você è Gillette)、と[ブラジルの]バイーア・デ・トド・オス・サントスの男娼たちは、男役(aktiv)も女役(passiv)もする客を指すときに言う。(Xango 53)

セクシュアルな儀礼と性的なロールプレイに浸りきっている二大陸的(bikontinental)な社会[ブラジル]では、「ジレット」という奇抜な表現(Concetto)によって、「男」と  「女」、「剃刀」と「鞘」、「まえから」と「うしろから」、「能動的」と「受動的」といった対立項が、入り乱れたり符合したりする。(Xango 61)

たんてきに言って正体を隠すと同時に露見させる「メディウム」がフィヒテ的言語である。9)たんにフィヒテが「目隠し鬼ごっこ」をしているだけなら、かれの「わたし」がどこで「マスク」を着けたり外したりしているのか、おそらく読者はそのつどコンテクストに応じて自問さえすれば足りるだろう。ただし「マスク」そのものが他ならぬ「わたし」の正体を表わしている素顔だったとしたら。あるいは「芝居がかった挙措」(Theatralitat)が「わたし」の「身体性」の無媒介な表われそのものだとしたら−−。かれの「ジレット」のごとき「言語行為」では「デトレフ」や「イェッキー」といった「マスク」の着脱が常態となり、かれらを道具立てに小説という舞台で「ホモセクシュアル」としての自分自身の、さらには「ホモセクシュアル」一般の系譜図の剔抉が構想されている。

4「ホモセクシュアル」の系譜とオイディプス

 かれの歴史意識が小説『思春期をめぐる試論』のなかに特別に設けられた「もうひとつの思春期」という二つの章で、ロルフ・シュヴァープにナチ時代と強制収容所の「ホモセクシュアル」の消息(Pubertät 123-139)を前史として、ハード・ゲイで殺人犯だったハンス・エッペンドルファーに戦後の69年から73年までを同時代として回顧させる(Pubertät 247-270)ことで、みずからの『感受性の物語』を含む「ホモセクシュアル」の系譜をドイツに位置付けるプログラムだったとすれば、だんだんと高まっていったギリシャへの熱狂はそれをヨーロッパのなかに投げ入れるもうひとつのプログラムだった。かれにとって「ホモセクシュアル」の歴史は重層的な「テクスト-身体」として立ち現われてくる。
 かれが目の前にしている歴史という「身体全体」(der ganze Körper)としての「テクスト」は、あたらしい「身体」のなかへ引用という手続きをとおして「移植」される。かつての記憶を想起しようとする作家によって「移植」された「テクスト」は、だが「黒い時間」(die schwarze Zeit)10)の「異物」(Fremdkörper)として残り続けねばならない。あたらしい「身体」は想起しようとしている当の対象にいつも逢着するわけではないし、また「異物」のほうもかつての「テクスト-身体」の記憶を引きずったままで、さらに「現在そのもの」(Pubertät 37)も「黒い時間」に属していることに変わりない。だとしたら想起によって媒介される記憶の残余こそむしろ「わたし」の「テクスト-身体」を構成してないか。あとは「自分への実験」(Pubertät 52)や「生体解剖」(Pubertät 294)を「異物」によって更新し続けるしかない。11)あくまでも「黒い時間」に居座ろうとする「異物」の謎が「インク」となって「白い時間」の「わたし」(Pubertät 37)に書き付けられる。

スペルマのパランプセスト[羊皮紙を削ってもう一度文字を書いた中世写本の技法][...]。(Kleiner Bahnhof 107)

イェッキーは黒いザーメンの湖を泳ぎきった。(Kleiner Bahnhof 71)

かような白-黒の弁証法には黒人男性に抱く作家の性的な強迫観念が潜んでいるが、これも「二重の露光」というフィヒテ一流の写真の修辞などによって容易に錯綜してしまう。12)
 おなじことは「アフロアメリカ」の習合宗教にも「ホモセクシュアル」の性愛の行為にも認められよう。かれの関心を惹くのは「 継 布 の神話」(Flickenmythologie)の「純粋でないもの」だった。13)なにしろヴードゥーはシャーマンが信者の「身体」に神々という「異物」を憑依させることで再生-更新を演出する儀礼であり、あるいはカンドンブレのカーニヴァルでは白-黒の反転など日常茶飯事の一齣でしかない。あたかも「ホモセクシュアル」のロールプレイで男女とか主客といった関係が象徴的にも想像的にも交替するのに呼応している。かれの言う「ホモセクシュアル」はしたがって「芝居がかったもの」の舞台でもあって、かれにすぐれて美的な実践の場を提供することになった。かような「パフォーマンス」はその対価として演出家兼役者フィヒテの「テクスト-身体」に他者性を喚び込むことになるが、だとしてもそれは「異物」との共生が可能なほど「多坑質」で「感染性」のものでなかったか。14)かくして「テクスト-身体」というものは以上のような観点に立つならば「異物」にすでに分有されたものとしても捉えられよう。
 あの「黒い時間」が晴れ上がる「真理」の瞬間に盲目となったオイディプスの、おのれの出生の秘密を遡及的に領有するという皮肉な轍を踏むのでなく、あらゆる「コン/テクスト」に移し換えて試し続けるということ。かれなりに「わたし」の謎に向き合っているかぎりでフィヒテもオイディプスを模倣している15)のだが、かれにあっては「ホモセクシュアル」として「カミング・アウト」したのちも依然として自分という謎は消えない。

あの半神[アキレス]も人間の世界で孤児となり、なかんずく母親のもとへと追いやられることになったのか。/ そして父親の像を求める永遠の探索へと追いやられたのか。(HuL2 177)

かれが明らかになった父殺しの「真理」−−おそらくは「カミング・アウト」も「真理」のひとつに他ならない−−を知ったことで世界から退くオイディプスではなく、たとえ父親を殺そうとしても殺せない孤児だとか私生児だった、あるいは云わば「父なき社会」(A・ミチャーリッヒ)のオイディプスだったとすれば、おのれに染み込んだ「異物」との共生を「黒い時間」の「わたし」として演出するしかない。

5「黒いオイディプス」のフィヒテ

 かような「異物」との共生をしていることでは「テクスト」もおなじだ。ありていに言ってエッペンドルファーを含む他の作家を引用することが、フィヒテに「欲望の媒体」16) とでも言うべきものを構成している。かれがデトレフに失神状態のままレイプされた「O公爵夫人」を演じたいと夢想させたとき、サッフォーは竪琴と詩作で「オルガスムス」を迎えたと曲解に近い読みを行なったとき、ヘロドトスはエチオピアの黒人の男たちを求めて『歴史』の世界を旅したと推論したとき、あらゆる人間的尺度を超えた悲しみが「半神」アキレスを虐殺にみちびき、かれは「神々の特権」によってパトロクロスを愛したと強弁したとき、さらには自分の「欲望」を完膚なきまでに実現しているエッペンドルファーをインタヴューしたとき−−、かような人物たちには可能でも臆した自分には手の届かない「ホモセクシュアル」のエロス17)が、あるいはフィヒテの脳裏のなかに夥しい「欲望」を分泌させたのではないか。
 かれは「ホモセクシュアル」を「パフォーマンス」することでドイツを振り返ると同時に、ヨーロッパをソクラテス以前の詩人たちに遡って見る視点と、「アフロアメリカ」を経由して外側から見る視点とを獲得した。かくしてフィヒテは一面でドイツとヨーロッパの擬制的な性格を裸にして見せたのである。さだめし相反する要素の大胆に同居した「黒いオイディプス」という倒錯した形象がフィヒテには似つかわしい。あるとき『研究報告』のイェッキーに浮かんだ突飛な着想では、ソフォクレスとヘロドトスがバロック詩人のローエンシュタインに連れられて、モンパルナスの世界貿易センタービルに登っていく。

300メートル下のレンヌ街では黒いオイディプスたちが上演される。[...] / 黒人たちは自分の陰茎と脚と濡れたシーツとマットレスを見せびらかしている。/ フロイトとサルトルとラカンとコルタサルが上空から歌っている: / − オイディプス王、オイディプス、オイディプス王。(Forschungsbericht 96)

ちなみにオイディプスとは「踝の腫れ上がった者」の意味だが、アキレスがヘクトルの「踵」に穴を穿ったことと言い、『研究報告』のフランクが空中浮遊で「踵」を怪我したことと言い、たんなる諧謔とは思えないイメージの連鎖が認められよう。かれはオイディプスを破滅させた自分という謎を抱えながらも、かような謎をめぐって盲目になるという陥穽だけは回避しえたのでないか。

註)
* たとえばフィヒテの引用は次のように作品名とページ数を略号を用いて本文中に挙げることにした。Fichte, Hubert: Versuch über die Pubertät. Frankfurt a.M. 1987 (Pubertat)、Ders.: Detlevs Imitationen, >Grünspan<. Frankfurt a.M. 1987 (Grünspan)、Ders.: Die afroamerikanischen Religionen III. Petersilie. Santo Domingo, Venezula, Miami, Grenada. Frankfurt a. M. 1988 (Petersilie)、Fichte, Hubert / Mau, Leonore: Die afroamerikanischen Religionen I. Xango. Bahia, Haiti, Trinidad. Frankfurt a.M. 1987 (Xango)。さらに死後に出版された連作『感受性の物語』Geschichte der Empfindlichkeit. Frankfurt a.M. 1987-94 からの引用は初出のエッセイにかぎりタイトルも併記しておいた。Fichte, Hubert: Homosexualitat und Literatur Band I und II. Frankfurt a.M. 1987/8 (HuLI/II)、Ders.: Der kleine Hauptbahnhof oder Lob des Strichs. Frankfurt a.M. 1988 (Kleiner Bahnhof)、Ders.: Der Platz der Gehenkten. Frankfurt a.M. 1989 (Platz)、Ders.: Forschungsbericht. Frankfurt a.M. 1989 (Forschungsbericht)。なお引用文の / は作家による改行であり [ ] は引用者による補注である。
1) Mayer, Hans: Auf der Suche nach dem Vater. Rede uber Hubert Fichte. In: DNR H. 1, Jg. 98 (1987), S. 84-102, hier S. 99.
2) Wischenbart, Rudiger: "Ich schreibe, was mir die Wahrheit zu sein scheint." Ein Gespräch mit Hubert Fichte. In: Text+Kritik. Heft 72. 1981, S. 10.
3) Popp, Wolfgang: Mannerliebe − Homosexualitat und Literatur. Stuttgart 1992, S. 437f.
4) Siehe. Butler, Judith: Das Unbehagen der Geschlechter. Frankfurt a.M. 1991, S. 200-208. ジュディス・バトラー(竹村和子訳): ジェンダー・トラブル(青土社)1999, 239〜248頁を見よ。
5) たとえばフィヒテの意図的な「誤読」とハロルド・ブルームの言う「誤読の地図」については、1999年に行なわれたアジア・ゲルマニスト会議の論集における拙論: "außereuropäisch, asianistisch, jazzartig" − Herodot im bisexuellen Diskurs Hubert Fichtes (Im Druck) を参照されたい。
6) サッフォーからの引用は沓掛良彦: サッフォー(平凡社)1988と Treu, Max: Sappho. München 1984 を参考にした。なお文中に(D.)とあるのは Diehl によるナンバーリングである。
7) おそらく画期的とも言えるフィヒテ研究 Böhme, Hartmut: Hubert Fichte − Riten des Autors und Leben der Literatur. Stuttgart 1992 は、ヘルダーリンによる『オイディプス』『アンティゴネー』のドイツ語訳ならびにアントナン・アルトーの『演劇とその分身』が、『思春期をめぐる試論』にいかに影響したかを詳細に跡付けている。なかでも「悲劇的展開」とはヘルダーリンが『アンティゴネー』への注釈で「カウンターリズム」(Gegenrhythmus)と呼んでいる演劇の構成概念に関係している。Vgl. Böhme, Hartmut: S. 271-347.
8) Siehe. Benninghoff-Lühl, Sybille: "Schon irgendeinmal namlich war ich Knabe und Madchen und Baum und Raubvogel und auch aus der See ein stummer Fisch" Zur Verwendung des Zitates in Hubert Fichtes Forschungsbericht. Roman. In: Medium und Masken − Die Literatur Hubert Fichtes zwischen den Kulturen. Frankfurt a.M. 1995, S. 143-159.
9) Böhme, Hartmut: Medium und Masken − Die Literatur Hubert Fichtes zwischen den Kulturen. In: Medium und Masken − Die Literatur Hubert Fichtes zwischen den Kulturen. S. 10.
10) おそらくはベーメの言うとおり「黒い時間」という思わせぶりな観念は、アルトーの『演劇とその分身』の「演劇とペスト」を下敷きにしているのだろう。あのオイディプスが自分の出自の謎にたいして盲目だったためテーバイが猖獗を極めた時間である。ただしフィヒテ本人がアルトーとの繋がりを暗示するのにとどまっているだけに、わたしの小論でも「黒い時間」はフィヒテが意図したようにメタファーのまま用いたい。Siehe. Böhme, Hartmut: Hubert Fichte − Riten des Autors und Leben der Literatur. S. 276-287, hier S. 279.
11) Tiling, Johann Nikolaus: Hauchbilder der Erinnerung − Biographische Spuren und die Entwicklung literarischer Motive im Werk Hubert Fichtes. Berlin 1996 はフィヒテが後期の作品で、かれが小説家としてデヴューする以前に寄稿した雑誌記事からの引用さえ行なっている事実を、ヤーンやジュネとの交友関係も交えて実証的かつ詳細に跡付けている。
12) Gundrin, Rainer: Das Double der Schrift. Photographie und Schreibprozes. In: Medium und Masken − Die Literatur Hubert Fichtes zwischen den Kulturen. S. 103. グンドゥリンは白-黒にまつわるフィヒテのメタファーとして、炙り出しのインクに使うミルク、肌の色、身体の色、黒い茄子などを列挙している。
13) Wischenbart, Rudiger: S. 83.
14) Bohme, Hartmut: Welt aus Atomen und Korper im Fluß. Gefühl und Leiblichkeit bei Lukrez. In: Rehabilitierung des Subjektiven. Festschrift für Hermann Schmitz. Bonn 1993, S. 421f. おそらくヘルマン・シュミッツはドイツにおける身体論の重要なレフェランスであると思われる。
15) たしかに生前は未刊のまま終わったのだが『ハクネス島のオイディプス』という60/61年執筆の戯曲があるように、かれのオイディプスへの傾倒は急拵えの思い付きでは決してなかった。Siehe. Fichte, Hubert: Ödipus auf Haknass. Frankfurt a.M. 1992.
16) ルネ・ジラール(古田幸男訳): 欲望の現象学(法政大学出版局)1982, 2頁以下。
17) 越智和弘: 暴力と優しさの超感覚 − フーベルト・フィヒテと、そのホモ・エロスの系譜〔『ユリイカ』11月臨時増刊号、1995、258〜264頁〕263頁参照。

Hubert Fichte und griechische Klassik oder:
"Unten werden die Schwarzen Ödipusse vorgeführt"

In einem Gespräch im Roman Detlevs Imitationen, >Grünspan< (1971) fällt dem jungen Detlev/Fichte das Wort "Homersexuell" ein. Vor Homosexualität warnend, erzählt ihm die Mutter, Patroklos sei eine Mannshure und liege bei Achill. Auch in seinem späteren Essay Patroklos und Achilleus. Anmerkungen zur Ilias (1985) unterstreicht Fichte seine Meinung, indem er den griechischen Dichter noch einmal als homosexuell schlechthin beschreibt. Hier aber ist Homosexualität mit dem "Privileg der Götter" gleichgesetzt, während Fichte sonst immer gegen den göttlich-patriarchalen Diskurs schreibt und die "biologistischen" Voraussetzungen homosexueller Autoren und Literatur in Frage stellt. Gender-Studies zufolge ist vor allem die Kategorie 'Frau' keine biologistisch-ontologische Wahrheit, sondern sie wird erst >performativ< konfiguriert. Zumal auch Fichtes Homosexualität von ihm selbst geschaffen und aufgeführt wird, kann man seine Identifizierung der Homosexualität mit dem Göttlichen als eine >Performanz< bezeichnen.
In Männerlust − Frauenlob. Anmerkungen zur Sapphorezeption und zum Orgasmusproblem (1983) z.B. kritisiert der homosexuelle Autor die Philologen in ihrer "heterosexuellen" Fragestellung, ob die zehnte Muse "lesbisch" sei oder nicht. Im Gegensatz zu ihrem sexistischen Gestus lobt Sappho mit aller "Zärtlichkeit" − einer, so Fichte, Eigenschaften der Homosexualität − den Mann des von ihr geliebten Mädchens. Hier spielt Fichte absichtlich die Rolle eines 'Essentialisten', indem er Sappho ausschließlich als "lesbisch" behandelt.
Ähnliches gilt für den Radioessay Mein Freund Herodot (1980), in dem er wie immer auf pedantische Art und Weise erforscht, wo Herodot mehr als nur in Randbemerkungen hervortritt. Das Wort "Historien" bedeutet für Fichte sowohl "Forschung" als auch "Aufdecken", aber es ist diesmal an Fichte, als Leser aus Herodots Historien das Motiv dieses Buches "aufzudecken": das der "sexuellen" Reisen und Forschung. Der "Aufdecker" Herodot "deckt", so Fichte, in Historien geschickt "zu", dass er auf der Suche nach dem "schönen Schwarzen" gereist ist.
Auch im Roman Forschungsbericht (1989) wird eine selbstreferentielle Diskrepanz entwickelt, die Fichtes "Forschung-Aufdecken" unausweichlich ans Tageslicht bringt. Jacki will in Belize ausfindig machen, ob ein Einheimischer namens Frank wirklich wie ein Schamane geflogen ist oder ob er einfach lügt. Als er zum angeblichen Beweis für Franks Aussage feststellt, dass der Karibe sich beim Fliegen die "Fersen" brach, geht sein "Forschungsbericht" dennoch nicht weiter, weil er sich mit den Grenzen des "Aufdeckens" konfrontiert sieht. Neben dem gescheiterten "Forschungsbericht" beschaftigt er sich mit der Übersetzung von Empedokles' "Versen", was die Suche nach dem >Körper< und die nach dem >Text< metaphorisch in Zusammenhang bringt (Sybille Benninghoff-Lühl). Wie Jacki aber mit der "Lüge" im "Forschungsbericht" umgeht, konstituiert sich neu als der Roman Forschungsbericht. Hier wiederholt sich eine "Antinomie des Lügners", von der im Gespräch mit Jean Genet die Rede war: Die Lüge sei eine doppelte Wahrheit.
Soweit die Lüge als solche aufgedeckt werden soll, geht es bei Fichte aber nur um ein "Blinde-Kuh-Spiel" mit der "doppelten Wahrheit". Seine Sprache ist nach Hartmut Böhme eigentlich zugleich "Medium und Maske", mit denen er sich sowohl verhullt als auch enthüllt: Maske als Ich selbst und Theatralität als Körperlichkeit. Indem er "Mann und Frau", "Klinge und Scheide", "vorne und hinten", "aktiv und passiv" jeweils miteinander vermischt, will er mit Hilfe der Sprache, benutzt wie eine "Gillette" mit der doppelten Klinge, nicht nur seine eigene Genealogie als Homosexueller, sondern auch die der Homosexuellen überhaupt entwerfen.
Vor ihm taucht die Geschichte der Homosexuellen als mehrschichtiger >Text-Körper< auf. Als der ganze Körper wird sie durch Zitieren in einen neuen >Text-Körper< verpflanzt, in dem aber die zitierten Segmente diesmal als Fremdkörper die "schwarze Zeit" leben müssen: der neue >Körper< erreicht nicht immer die Gedächtnisse, an die er sich erinnern will, und die Fremdkörper haben noch die früheren fremden Gedächtnisse bei sich. In diesem Fall machen die überschussigen Reste der Gedächtnisse den >Körper< des Ich aus. Der Autor kann diesen >Körper< − durch das "Experiment" oder die "Vivisektion" an sich selbst − mit den Fremdkörpern immer nur erneuern. Wie Fichte selber auch mit Metaphern wie "Samenpalimpseste" oder einem "See von schwarzem Samen" andeutet, wird ins Ich der "weißen Zeit" das Enigma der Fremdkörper immer schon eingeschrieben, das in der "schwarzen Zeit" unzahmbar bleiben will. Die Dialektik von Schwarz und Weiß ist zudem gut mit Fichtes an anderer Stelle entwickelten Rhetorik von Fotos zu verknüpfen. Dem entspricht sowohl der afroamerikanische Synkretismus als auch der homosexuelle Sex: Voodoo macht die Götter besessen, um für die Glaubigen eine Art Auferstehung im Sinne eines neuen Lebens zu inszenieren. Auch im Karneval des Synkretismus findet die Umkehrung von Schwarz und Weiß wie alltäglich statt, genauso wie bei den Homosexuellen der Rollentausch von Mann und Frau symbolisch und imaginär häufig geschieht. Auf Fichtes Bühne der Homosexualität wird also das >Theatralische< ins Spiel gebracht. Ruft diese >Performanz< in seinem >Text-Körper< dabei eine Fremdheit hervor? Und ist er tatsächlich >porös< genug, um mit dem Fremden zusammenzuleben?
Wegen der Auseinandersetzung mit der Genealogie der Homosexuellen musste Fichte in seinen >Text-Körper< auch das Thema >Begehren< bei anderen homosexuellen Dichtern und Religionen − Homer, Sappho, Herodot, Hans Eppendorfer und Voodoo, Candomble − aufnehmen und dementsprechend nachahmen. Dieses Verfahren gibt ihm die Möglichkeit, so lässt sich resumieren, einerseits Europa von außen aus zu betrachten, es andererseits bis zu den Vorsokratikern zurück zu rekonstruieren. Fichte druckt diesen Sachverhalt passend mit der perversen Figur "Schwarze Ödipusse" aus, eine Bezeichnung, die schließlich am meisten für Fichte selbst zutrifft.


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