「小さな家」との出会いと個人的な思い入れ



私の専門は、チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens, 1812-70)を中心としたヴィクトリア朝のイ ギリスの小説ですが、英語ができるようになりたいと思ったそもそものきっかけは、「小さな家」のシ リーズでした。

「小さな家」のシリーズとの出会いは、小学4年生の時の10月でした。2日に生まれた従弟の良君に会 いに行く途中、私は母に連れられて、故郷の久留米の西鉄電車の駅の上にある、たがみ書店に寄ったのです。そこで私は、 恩地三保子さん訳、福音館の『大きな森の小さな家』を見つけたのです。オレンジ色のハードカバーの きれいな本でした。私は母に『大きな森の小さな家』を買ってもらうと一気に読み終え、続きがあること を知ると、同じ恩地三保子さんの訳で『大草原の小さな家』、『プラム・クリークの土手で』、 『シルバー・レイクの岸辺で』、『農場の少年』と読み進んでいきました。

それから1年くらい後になって、ローラの物語の続きが鈴木哲子さんの訳で岩波少年文庫から出ている ことを知り、『長い冬』、『大草原の小さな町』、『この楽しき日々』、『はじめの四年間』とさらに 読み進みました。私は本当にローラの物語が好きで、特に前半については、一冊当たり最低10回は 読み返しているのではないかと思います。

ただ、恩地三保子さんの訳した前半と鈴木哲子さんの訳した後半とでは、随分印象が違います。小学生の私には同じローラの物語なのに、『長い冬』は『シルバー・レイクの岸辺で』のすぐ後の話なのに、どうして、全く別の物語のような感じがするのだろうと、納得できませんでした。

どうしてなのだろうか、と解説を読んでみて、鈴木哲子さんの「私なりに農村風に訳してみました」という文が目に留まり、「訳」というのは、訳す人によって違うのだということに初めて気付いたのです。ということは、本当にローラが言いたいことを解るためには、私がローラが使った英語を解るようになればいいんだ、というのが私の結論でした。恩地さんの訳も鈴木さんの訳も名訳だとは思いますが、ローラに直接触れるために、私は英語ができる人になろう、と私は決めたのでした。

いろいろと迷ったり、回り道をしたりしましたが、大学も英文科に進み、英語を仕事にするようになりました。英語ができる人になろうと決めた時から随分時間が経ちましたが、あの気持ちが原点だったなあ、と今でも時々思い出します。



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